死に絶えながら、生き延びる、あるいはその逆
こんにちは。
今日はいつもと趣向を変えて、文学者・詩人・哲学者等々の格言を淡々と引用する記事にしようと思います。
テーマは「ネガティブ」。
しんどい時には暗い曲を聴いてとことん沈むような人にオススメです。
その実、ネガティビスト達の嘆きの中にあるポジティブさも感じて欲しかったりします。
われわれは絶壁が見えないようにするために、何か目をさえぎるものを前方においた後、安心して絶壁のほうへ走っている。
-パスカル
踏みつけられた虫は身を縮める。実に賢明な遣り方である。こうすることで、虫は新たに踏みつけられる確率を減らしているのである。
これを道徳の言葉で言えば、謙遜。
-『偶像の黄昏』ニーチェ
神に祈る人間などほとんどいない。ただ物乞いをしているだけだ。
-バーナードショー
いつだって僕は、会ってうれしくもなんともない人に向かって
「お目にかかれてうれしかった」って言ってるんだから。
生きていたいと思えば、こういうことを言わなきゃならないものなんだ
-『ライ麦畑でつかまえて』サリンジャー
人が虎を殺そうとする場合にはスポーツだといい、虎が人を殺そうとするときは獰猛という
-バーナードショー
遠からず君はあらゆるものを忘れ、遠からずあらゆるものは君を忘れてしまうであろう。
ーマルクス『自省録』
何ひとつ為した事はない。このまま死んでしまえば、全くいなかったのも同然なのだ。
-モーム
夕べの散歩のとき、往来のどんなちょっとした騒音も、自分に向けられたどんな視線も、ショーケースのどんな写真も、すべてぼくより重要なものに思われた。
ーカフカ
愛とは、種の存続を達成するために我々に仕掛けられた汚いトリックにすぎない。
-モーム
生誕と鉄鎖とは同義語である。この世に出てくるとは、手錠をかけられることだ。
-『生誕の災厄』シオラン
君はひとつの死体を担いだ小さな魂に過ぎない
-エピクテトス
すべてが素晴らしい。
ただ、ぼくにとってだけはそうではない。
それは正当なことだ。
ーカフカ
人生というものは、通例、裏切られた希望、挫折させられた目論見、それと気づいたときにはもう遅すぎる過ちの連続にほかならない。
-ショーペンハウアー
人生なんてものは宴の席と同じで、適当にのどをうるおしたら、飲み過ぎもしないうちに立ち去るのが一番よろしい。
-アリストテレス
この世に生まれないことが、すべてにましてよいことだ、
生まれてきたからには次善のことは、生まれたもとのところにすみやかに戻ることだ
『コロヌスのオイディプス』ソポクレス
私は生を嫌っているのでも、死を願っているのでもない。ただ生まれなければよかったのにと思っているだけだ。
ーシオラン『カイエ』
人生には二つの悲劇がある。一つは願望が達成されないこと、他の一つは、それが達成されることである
-バーナードショー
人生は 彩られた影の上にある。
-ゲーテ
だれも、生まれる前の私について何も知らないのだから、死んだあとの私についても、何も知らなくていい
-ショーペンハウアー
いま最後の丘に立てば、もう一度その谷の全貌は足下にひろがる、去りゆくものは顧み、歩をとめ、低徊する。―そのようにわれわれは生き、いつも別離をつげている。
『ドゥイノの悲歌』リルケ
慰めは、無意味なことばだ。絶望し得ないものは生きてはならない。
-ゲーテ
思い煩うことはない。人生は無意味なのだから
-モーム
この世が無意味なものだとすれば、あの世もやはり無意味だ。破滅が無意味なものとすれば、救いも無意味だ。
-『カイエ』シオラン
こうして救い手は、救うことなくまた去っていく。
ーカフカ
救いがもたらされることは決してないとしても、ぼくはしかし、いつでも救いに値する人間でありたい。
ーカフカ
終わりです。
感想も解説もありません。
寺山修司は人の感情というのは排泄物のようなものだと言いました。
それはいったいどういうことだったのでしょうか?
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