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言葉が消費されるだけの即自的なものとなっていくのを、最近はただ諦観している。
言葉は、語りかけるためのものではなかったか。音になりえない声ではなかったか。刻み込まれた悲痛さではなかったか。沈黙と雄弁の止揚ではなかったか。ただ、かなしい。
コロナ禍で見たもの:支配と言語
前回の記事は、現場にいた者としての個人的な記述だったが、一歩引いてコロナ禍と人間のことも書いておきたい。
哲学者ヘーゲルの有名な言葉に次のものがある。
私は哲学徒として、ヘーゲルのこの言葉を常に指針にしている。つまるところ、思想というのは時代性を超えることはできないのであり、常にその時代を洞察しその中で時代を最も把捉した思想(概念)を生み出すことが哲学の役目であるということだ。
それには歴史文
コロナ禍で見たもの:独白と呪詛
「コロナ禍」と呼ばれる混乱がはじまってから一年以上が経った。
多くの人が人生を振り回されたであろうが、私も例外ではない。むしろこの災厄をある意味では「中心」から見ていた。
この苦しみと失望に満ちた一年を振り返り、呪詛を吐きながらこの感情を供養したいと思う。
私はしがない一公務員で、感染症関連の部署にいる。この言葉の指す意味はただちにわかってもらえるだろう。コロナウイルスが流行りはじめた昨年の
休職することになりました
休職することになりました。
気を遣われても困るので、あまり周囲には言っていませんでしたが、2月からずっと病気休暇を取っています。
前のnoteで精神状態がよくないことは書いたと思いますが、4月上旬くらいまではその時よりも酷い状態でした(今は落ち着いてきています)。
毎日、目が覚めることに絶望していました。まだ生きている、と落胆することから一日がはじまります。気力が何もなく、動くことすら億劫に
明日なんて来なければいいー眼球とミサイル
残業終わりにがらんとした電車に揺られながら、窓越しに街並みを眺める。まばらに明かりのついたマンション、家々。思考がぼやける。駅に近づくと明かりが増えていく。
退屈な風景、見るようなものは何もない。
明かりさえなければ、世界が滅んだものと思えたかもしれない。だめだ。電車が動いている。車内放送が聞こえる。
駅で停車する。また動き出す。何度も繰り返す。各駅停車なんて鬱陶しいだけなのに、僕はいつもそれ