187年前に死んだゲーテに会いにドイツに行ってきた(完)
ヴァイマール
エアフルトを後にした私はついにヴァイマールに降り立った。
ドイツの「小パリ」と呼ばれている街並みはこれまでの都市とは一線を画す華やかさだった。(パリは唯一だが何故か「小パリ」は無数にある)
ヴァイマールは、日本においては「ヴァイマール憲法」でよく知られた地名だと思う。この憲法が1919年にヴァイマールで制定が決まった故にその名を冠することになった。この事実はドイツの歴史においてヴァイマールが重要な役割を担ってきたことを示唆しているのは間違いないが、私達はもう少し遡ってこの都市を見てみることにしたい。
ゲーテが宰相として赴任した当時、つまりヴァイマール憲法より100年程遡ると、この都市は現在の姿では考えられないほど退廃していた。
若きゲーテは1人の官僚として、この都市の立て直しを任されたのである。この時彼は『若きウェルテルの悩み』をヒットさせ、既に時の人となっていた。それを踏まえ、文化政策をはじめとする都市改革に抜擢されたというわけだ。
その目論見は功を奏し、ヴァイマールは知識人や詩人、文筆家の集まる有数の文化都市となった。その証左として、現在のヴァイマールは「古典主義の都ヴァイマール」として世界文化遺産に登録されている。
しかしながら、当の改革を担ったゲーテ自身は苦労も多かったようで、仕事を放ってイタリアに逃亡したりもしている。
いずれにせよ、ヴァイマールがこのような華やかさと文化的蓄積をもった有数の学芸都市になった背景には他ならぬゲーテの影があるのだ。そして、彼は終生自らの血肉たるヴァイマールで時を過ごした。この都市は、ゲーテそのものと言っても過言ではない。
ゲーテの墓前で
私は直ちにゲーテの眠る墓へと向かう。
都市部からは少し外れたところにある公園の中で、文字通り「眠るように」それは建っていた。
ヴァイマール大公のカール・アウグストによって建築された墓所で、その地下にゲーテはいる。
地下への階段を降りるにつれ、ひんやりとした空気が肌に触れる。
探すまでもなく、ゲーテはいた。
「GOETHE」と記された棺と向かい合い、静かに黙祷した。
思えば日本というドイツからは遠く離れた地で、ゲーテへの憧憬を持ち続けてきた。しかし、今はその物理的距離はなかった。間違いなくゲーテの前に私は立っていた。
それと同時に、その静かな棺は彼と私との間に100年以上の時間的距離があることを示していた。どれだけ近くの場所にいても、私は彼に会うことはできないのだ。それが死ぬということだ。
不思議と悲しくはなかった。
彼の痕跡はゲーテ街道をめぐる中で数え切れないほど感じられたし、手元の本を開けば彼の精神はそこで息づいているからだ。
彼は間違いなく死んでいたし、当然のように会うことはできなかった。だが、もはや「生きている」あるいは「死んでいる」ことは私にとって重要なことではなくなっていた。
ゲーテという私にとっての最上の友人、教師、精神の父は、荘厳でもなく、尊大でもなく、権威的でもなく、彼の著作で描かれた人々のように、完璧ではないひとりの人間として、ただ自由に生きていたことがわかった。
彼のように美しいものを美しいと感じ、美味しいものを食べ、生活の中に幸福を見出すこと、その色彩豊かな敬虔を引き継いでいきたいと思う。
だから、私が墓前に残す言葉は「今までありがとう」と「これからもお世話になります」という凡庸な2句だけだった。
シラーへの献花
ゲーテの棺のすぐ隣に彼の最上の友人も眠っている。
詩人シラーだ。
日本では知名度が異様に低いが、世界的に見れば、偉大なドイツ文学の巨人として誰もが挙げるであろう文豪である。シラーはゲーテより一回りも若かったにも関わらず、生涯の友人であり続けた。
ゲーテが文筆活動に行き詰まっている時には常に彼を励ました。『ヴィルヘルムマイスターの遍歴時代』や『ファウスト』といった名作達も彼の励ましによって挫折を免れたことがわかっている。
ゲーテとシラーの作風は異なっているし、立脚している思想にも近似性があるわけではない。しかしながら、シラーとゲーテは互いによき理解者であった。数え切れないほど書簡を送り合い、行動を共にし、議論を深めあった。
ヴァイマールの国民劇場の前には、互いに違う方向を見ながらも手を取り合うゲーテとシラーの像が立っている。この姿は彼らの関係性を象徴しているようである。
ゲーテにとって不幸だったのは、シラーがあまりに早くこの世を去ったことであろう。シラーは45歳という若さで死んだ。
ゲーテはショックで体調を崩し、長く寝込んだ。彼がシラーの頭蓋を前にして詠んだ詩は希望に溢れているが、それを読むとシラーの偉大さに必死に思いを馳せるゲーテが心に浮かび悲痛な気持ちになる。
そして数十年後、ゲーテもまたこの世を去ると、親友シラーの隣に埋葬されたのである。
私が墓所に行った時、シラーの棺の前には一輪の赤い薔薇が献花されていた。華やかで高貴な彼の印象にピッタリだと思った。残念ながらゲーテへの献花はなかったが、彼はそんなことを気にもせずシラーへの客人を喜んだことだろう。
最愛の人クリスティアーネ
翌日、私は再びヴァイマールに訪れていた。
向かった先は、ゲーテハウス。
ゲーテが長い時間を過ごした家である。
この大きな邸宅自体は、譲り受けたものだが、ゲーテは自身が住むにあたり大々的にリフォームしたらしい。設計にもゲーテが大きく関わっていることもあり、彼の拘りがあちこちに見受けられる。
そのひとつひとつを解説したいところではあるが、それだけでnote1本分になってしまうのでやめておこう。
この家を実際に見て、私はひとつ大きな発見をした。
それは、ゲーテの妻クリスティアーネの存在の大きさである。
ゲーテを語るというのは、彼の恋愛や恋人について語ることに等しいと言っても過言ではない。換言すれば、ゲーテの生涯の背景には常に女性がいた。
第一回でも書いた『若きウェルテルの悩み』の「ロッテ」のモデルとなったシャルロッテ・ブッフ。同様に『ファウスト 第一部』「グレートヒェン」とフレーデリケ・ブリオン。恋人ではないが、『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』の『美わしき魂の告白』の原型であるスザンナ・フォン・クレッテンベルクもいる。また、知性的なシュタイン夫人との交際からは人格的にも教養としても多大な影響を受けていることは間違いない。
挙げればキリがないほどだが、私はかねてよりゲーテの人生で最も語るべき女性は長い時間を共に過ごしたクリスティアーネなのではないかと思っていた。
しかし、クリスティアーネについての研究は全く進んでおらず、資料も少ない。それには様々に理由があるだろうが、推測する材料はある。
クリスティアーネ・ヴルピウスは身分が低かった。ゲーテは恋人の身分や生まれを気に留める性格ではなかったが、当時社交界にも出入りしていた彼の周囲はクリスティアーネの存在を許さなかった。彼女は「ベッドの恋人」と呼ばれ中傷されたという。
彼女はゲーテの唯一の結婚相手であることを踏まえても、シャルロッテやフレーデリケとの恋愛のようなドラマティックさはたしかにない。加えて、多くの研究者はクリスティアーネをあくまで「家事担当」の女であるとしてーさながら当時ゲーテにまとわりついた風評と同じようにーないがしろにしてきたのではないかと考える。
クリスティアーネとゲーテは長く正式な結婚をすることができなかった。それは無論、周囲がそれを許さなかったことがあるが、それでもある時ゲーテは知人らの反対を押し切って結婚した。
1806年イエナ・アウエルシュタットの戦いに勝利したフランス軍がゲーテ宅に侵入し暴行を働こうとした。この時、クリスティアーネは命を張ってゲーテのことを守り抜いた。
ゲーテは命の危機によって自らの存在の脆さに、彼女の献身によって周囲の目ばかりを気にしていた自分の不誠実さに気がついたことだろう。この事件により、彼は20年という長い内縁関係に終止符を打つこととなる。
このエピソードが物語るように、クリスティアーネはゲーテを支え続けてきた。多忙を極めるゲーテは家にいないことも多かったが、彼女は家事を完璧にこなした。それだけではなく、疲弊しやすい彼の心の安らぎにもなっていた。ゲーテハウスの記録によると、彼らは緑豊かな庭でともに休息することを史上の喜びとしていたそうだ。
ゲーテハウスの華やかな客間を抜けると、落ち着きのある部屋に行き着く。クリスティアーネの部屋である。ゲーテはこの部屋でクリスティアーネと「くつろぐ」ことを大切にしたかったそうだ。ゆったりとした空間に淡い色が配置されていて他の部屋にはない可憐さがある。
先ほどの美しい中庭と接近したこの部屋をゲーテがクリスティアーネにあてがったのは偶然ではないと思う。彼はクリスティアーネを、クリスティアーネと過ごす時間を、心から大切に思っていた。
ゲーテの恋人たちは彼に激しい感情を与えた。それらは輝きに満ちていることもたくさんあったけれど、その激流の故に破滅的な運命を彼に植え付けることも多かった。
クリスティアーネがゲーテに与えたものは、それとは真逆だった。探究心と好奇心に溢れたゲーテの少年の心が、羽を散らすことなく飛び続けられたのは、ひとえにクリスティアーネというとまり木によるところが大きい。
このことは、『ファウスト第二部』を読み解く上で重要な意味を持っているのだが、それはこの次に任せよう。
ゲーテハウスではじめて知ったのだが、ゲーテはクリスティアーネに次の詩を捧げたらしい。
ここまで素朴で美しい言葉を私は他に知らない。
では、クリスティアーネはゲーテをどのように思っていたのだろうか。
ゲーテに宛てた彼女の手紙から引いてきてみよう。
かつての姿を残すゲーテハウスの庭にいると、今にもゲーテとクリスティアーネの語らいが聴こえてくるようだった。
グレートヒェンとは誰なのか
ゲーテが20歳代から着手し死の直前に完成させた悲劇『ファウスト』は、彼の生涯そのものと言っていい。
ゲーテは自らの経験をもとに作品を作っていくタイプであるため、解釈する際には、彼のバックボーンと重ね合わせながら試みられることが多い。その点を踏まえると、『ファウスト』を解釈することはゲーテについて考える上でも極めて重要な意義を持つ。
第一回で少し触れたが、『ファウスト』は大きく分けると第一部と第二部に分かれている。
第一部はグレートヒェンという少女とファウストの出会いから悲劇的な末路を迎えるまでが主軸となっている。
つづく第二部では様相は一変し、ファウストはより広い世界に出ていき社会的成功を求めるようになっていく。
そうして肥大していったファウストの欲望はついに「永遠の美」そのものである女神ヘレネーを手に入れるまでに至るのであるが、それもまたつかの間のうちに幻影として消えていく。
最終的にファウストは自然を克服し新しい大地に自らの理想国家を築くことを夢に見る。眼下で進む理想の実現を前にし、彼はかの有名な言葉「とまれ、お前はいかにも美しい」を発し死ぬ。悪魔メフィストとの契約でその言葉を発した時に魂を渡すことになっていたからである。
しかし、最後、メフィストがその魂を連れて行こうとすると、天使たちが現れかすめとっていく。そして、かつて「罪」を犯した女性たち(※キリスト教史が元ネタの聖者達のこと。犯罪を犯した一般女性のことではない)が彼の魂を天上に連れていくことで、ファウストは救済される。
特筆すべきなのは、その贖罪の女性達の中に、「かつてグレートヒェンと呼ばれし女」という形でグレートヒェンが再登場していることだ。第一部最後でファウストと出会ってしまったがために死に至った彼女が、第二部の最後でファウストを救済する。
この構成自体が極めて象徴的であるが、私が着目したいのはそのグレートヒェンの原型が何であるか、ということだ。
先程触れたように、グレートヒェンのモデルはフレーデリケ・ブリオンであると伝統的に考えられてきた。彼女はゼーゼンハイムという村の牧師の娘で、ゲーテとは素朴な純愛を結んでいたことが、この時期に書かれた「野ばら」といった詩からわかる。
しかし、結婚を望んでいた彼女との交際をゲーテは一方的に破棄してしまう。理由はゲーテ自身が全く語っておらず不明だが、彼はこのことを深く負い目に感じていたようだ。
つまり、『ファウスト』におけるグレートヒェンとは、ゲーテのブリオンへの罪の意識の現れとして見るという解釈である。
しかし、どうだろう。
第一部の悲劇的な末路は書かれた時期を考えると重なり合う部分が多いとは思う。
しかし第二部も同様に捉えると、グレートヒェンの救済が、ゲーテ自身の「許してほしい」という感情の発露のようになってしまい、数十年を経て書かれたものとしてはお粗末な結論ではないかと思う。
ゲーテの筆力と発想力を鑑みても、それは収まりが悪いと思う。
そこで登場するのが、クリスティアーネである。
止まることのない欲望は「永遠」という自己超越にたどり着くが、身の程をこえたその願いは決して叶うことはなく、それは「安寧」に身をおくことによってのみ満たされる(=救済)というのが、『ファウスト』の私なりの解釈だ。
(※これは伝統的な「たゆまぬ努力を続けた男が生きることの真理を知り救済される」という解釈とは大きく違うことを理解されたい。)
この「安寧」は次のように表現されている。
この「永遠にして女性的なるもの」は、文脈から考えると贖罪の女性たちであるといえる。
ここにおいてファウストの欲望が満たされる、ということは欲望は追求することによって満たされるわけではないということだ。
ここの解釈は長年私を悩ませていたが、クリスティアーネという存在を踏まえると話は変わってくる。
ゲーテは、これまでの恋愛では満たされなかった欲望がクリスティアーネとの日々で満たされていった実感を、文学的に表現したのではないか、と私は仮説を立てた。
そして、ゲーテハウスを実際に訪れ、彼におけるクリスティアーネという存在の大きさを見て、それは確信に変わった。
ゲーテは、力強い努力の男性という理想像(「男性的」原理)を打ち立てたかったのではなく、むしろ生活に根を下ろし幸福に節度をもつこと(「女性的」原理=クリスティアーネ)の重要性を描きたかったのではないだろうか。これはまさに、彼が生活する中で長い時間をかけて自然と心に浸透していった「真理」なのだと思う。
常に求め行動し続ける人生の「虚しさ」をファウストの歩みを通して皮肉的に表現しつつ、自己反省できない魂が破滅するところで物語を終えず「女性」によって救済される様まで描ききったこの作品はやはり傑作だと思う。このことを思うと、ゲーテにおけるクリスティアーネの大きさは計り知れない。
『ファウスト』は悲劇でありながら、喜劇のようでもある。神話や宗教、歴史のパロディを詰め込み、エンターテイメントとしても楽しめるように構成されているが、説話的な教訓を読むことのできる余白もある。
ゲーテにおける「人生」とは、きっとこのように二面的なものであったのだろう。「ワールドバイブル(World Bible)」と呼ばれるのは全く過大評価ではないと思う。
死に際のことば 「Mehr Licht」と「W」の文字
偉人というのは往々にして「死に方」にもドラマを求められる。
それは意味深であればあるほどよい。
ゲーテにおいても同様で、彼の死に際の言葉(とされているもの)は有名だ。彼は「Mehr Licht!(もっと光を!)」と言ったとされている。
厳密にはこの言葉はただ部屋が暗かったから窓から光を入れて欲しいとお願いしたに過ぎないものであるし、彼の死にゆく姿を見た全ての人から証言がとれたわけではないため、疑義の余地もある。
ただ、希望を信じ続けたゲーテには最期まで光を求める様が「イメージ」として必要だったのであろう。
しかし、私個人としては、それよりも死の淵で彼が宙に書いたとされる文字のほうが気になる。
彼はこの寝室で3行程度の文を虚空に指で書いたという。その内、頭文字「W」は読み取れたと複数の人が語っている。
Wからはじまる重要なドイツ語の単語は幾つか考えられる。ゲーテの名前「Wolfgang」、「世界」の意をもつ「Welt」、彼は末期「世界文学」を構想していたから「Weltliteratur」もありうる。
これらは全て推測の域を出ないものであるが、私の勝手な思いつきを述べると、「真理」を意味する「Wahlheit」も可能性に入れてもいいと思う。
世界を愛し、そこに大きな働きー「真理」を垣間見た彼に相応しい言葉ではないだろうか。
これもまた、偉人を神格化しようとする欲望のひとつである。
ゲーテにとっての死と生
老齢のゲーテが秘書のエッカーマンに死についての自らの見解を述べた言葉がある。
ゲーテの世界観についてはともかくとして、彼が一見して楽観的な考えを持っていることはよくわかると思う。
しかし、ゲーテの他者の死への反応はそう穏やかなものではない。
前述のとおり、シラーの死の際には著しく体調を崩しているし、妻クリスティアーネが危篤の際には彼女の死ぬ姿を見ることに耐えられないため別部屋で寝込んでいた。
彼女の死んだ日の日記にはこのように記されている。
ゲーテは親しい人の葬式には出席しなかった。死のショックに耐えられないからである。精神の永遠性を信じながらも、友人や家族が死んでいくことには非常に繊細だった。
矛盾しているようだが、これは非常にゲーテらしいとも思う。
どちらもゲーテの言葉である。彼はこのような矛盾した語り口で物事の本質を表現する手法をよく使う。
身近な人の死に傷つく自分、死とは永遠に移ろい続ける世界の一つの現われに過ぎないと信じる自分、どちらも本当の姿なのである。往々にして「真実」というのはシンプルな形をしてくれていない。
だから、彼は「人生には苦悩しかない」とは決して言わないし、「苦悩は幻想に過ぎない」とも言わない。
苦しみを気にしないようにしても、生きているとそれに振り回されずにはいられない。でも、だからといって、希望する権利まで剥奪されているかのように思ってはいけない。そういう彼の心の中の綱渡りがよく現れている。私はゲーテのこの考え方が好きだ。
ゲーテは希望の力を信じていたが、それは彼にとって希望が日常ではなかったことを意味している。
彼は絶え間ない絶望の中で生きていたからこそ、そこからすくい上げてくれる希望の価値を知っていた。
この絶望と希望の振子を虚しく思う人もいるだろうが、彼はそれこそが「生きること」だと考えていたようだ。
だから、彼からすれば、絶望を感じなかったりそれをないものとして扱ったりするような人間はもはや「生きている」とは言えないのだ。
尽きない悲しみ、苦しみ、なぜ生きていく
ゲーテの生涯は苦しみに満ちていた。彼自身が「本当に幸福だったときは一ヶ月もなかったと言っていい。石を上に押し上げようと、繰り返し永遠に転がしているようなものだった」と語っている。
実際にゲーテには不幸が耐えなかった。シラーやクリスティアーネは既述のとおりだが、最愛の妹コルネーリア、多くの教養を授けてくれた恋人シュタイン夫人、ゲーテをヴァイマールという永住の地へ招いたカール・アウグスト公、一人息子のアウグスト、すべての人に先立たれている。
彼がひとを愛するほどそれは手のひらからこぼれ落ちていくのである。
書いた本が売れないこともあった。「ちりの中でうごめく虫の努力に過ぎない」と自らを嘲った。
宰相の仕事はうまくいかないことも多かった。精神をすり減らしながら役人仕事に耐えた。
私は本当に不思議だった。ゲーテがなぜそこまで希望を信じられるのか。
どれだけ著作を読んでも、生涯を知っても、半分しか理解できていない気がしていた。
ゲーテの足跡を辿ってみて、少しだけ近づけた気がした。
彼はただ、生きていたのだった。
悲しみや苦しみがあろうと、生きることそれ自体には高邁な理由は必要ない。生きることは選択肢ではなくて、もうそこにあるものなのだから、必要なのはただその事実をうけとめることだ。
それは難しいことだが、彼の言葉が道を示してくれる。
世の中を厭世的に否定しないこと。それは、自分自身が生を楽しむために。
絶望は絶えないが、自分自身まで否定してしまわないこと。
旅の終わり、私は日記にこう記していた。
旅の疲れでかすれた文字は、何とも弱々しかった。
その日記は次の言葉で締めくくられていた。何か明晰な答えを見つけ出した記憶はないが、その時たしかに感じたものがあって、書かずにはいられなかったのだと思う。
終わりに
これを書いている今、もう旅から1年経ったが、相変わらず私は変わっていない。でも、別にそれでいい。
ふとしたときにヴァイマールの銀杏並木を思い出す。
葉の揺れる音、やがて舞い地に落ちる。それを踏みしめながら歩く。
木陰は止まっているように動き、木の乾いた匂いと人々のせせらぎを通り抜けていく。
きっとまた、ここに訪れるのだろう。
思い出されるものとは、そういう繋がり方をしている。
(完)
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