メンタル破損日誌
メンタルを壊してから半年経つ。
夏頃、あっさりと適応障害の診断を受けて、担当医の指示のもと1ヶ月の病気休暇をとった。
その後なんとか復帰して、時短勤務を経ながら現在は残業制限以外は通常通りの勤務となっている。
一応土日出勤は免除してもらっているが、担当業務替えがあっても相変わらず仕事は多いので、最近はほぼ毎日残業している。
係長も課長も知らんぷりで何も言わない。
電話はいつも鳴り止まず、取れば大抵クレームだ。そうでなくてもいい思いはしない。だからあまり取りたくないが、同じ職場の他の事務職員はなるべく取らないように聞こえないふりをしているため、私が取る。たぶん自分が忙しいからそうしているのだろうけど、それはまあ私も一緒だ。
そういうことを繰り返していると、仕事が終わらず残業せざるを得なくなる。
復帰してからは仕事中トイレによく行く。
職場のストレスに耐えられず、少しでも離れたくなるからだ。最初は吐き気がしていた。個室にこもって動悸を抑える。全身がぐったりする。戻りたくないが、戻る。
この前、人事考課が帰ってきた。当然のように去年度よりは下がっていた。去年度がよかったこともあってそこまで悪くなったわけではないけど、自己評価よりもかなり下がっていたのはやっぱりショックだった。
そうだろうな、とは思っていたし他人の評価なんて…とも言い聞かせたけど、かなしかった。
今でこそ担当は変わったけれど、年度始めから数ヶ月は死ぬ思いで業務をがんばってきた。未知のウイルスの前例のない事務業務を、公益に反しないように、違法にならないように法律に都度都度当たりながらひとりでやってきた。
休みから復帰してからも、自分のできる範囲で全力で業務をやった。
でも、休みをとって迷惑をかけたから、結果として他の人に仕事を押し付けたから、それは職場からすれば「ダメなこと」だった。
大変な業務に課全体が苦しんでいる中、私だけが壊れた。
そしてそれは「ダメなこと」だった。
自分は劣等存在なんだと改めて思った。
もう何もかも捨てて、徹底的に自分を守ろうといつも思う。
でも、困っているお客さんがいたら他の職員のように見て見ぬふりをしたり、自分は忙しいといって突き放したりできない。
仕事に追われている同僚を見たら、やっぱり手伝ってしまうし、仕事を引き受けてしまう。自分のようになって欲しくない。
こんなことをしても自分が損するだけだともう身に染みてわかっているのに、やめられない。
私はかれこれ10年以上「死にたい」と思いながら生きている。生きていることにはいいことはひとつもないと本気で思っている。
たのしいことや嬉しいことはただ「苦しみがない」状態の言い換えに過ぎない。すべて苦しみの強弱だ。幸福は無苦痛と同義なのだ。
そんなことはないと思ってくれても構わない。誰に何を言われても私には生きることはそうとしか思えないだけの話だ。だから、私は劣等存在なのだ。何もかも「終わっている」。
生きるにはお金が必要だ。お金のためには働かなくてはいけない。私は夢や希望を無邪気に語れるような「資本」を持ち合わせていない。だから、存在を続けるために嫌でも働く。働けば苦痛や苦悩に追われる。誰からも断絶したいのに他者と関わらなくてはいけない。この解決には死ぬしか道がない。生きている限り苦悩はずっと消えない。そう思いながらダラダラと生きてきてしまっている。
自殺を試みて失敗してから、逆に前向きになったみたいな話をよく見かける。自殺は失敗しても成功してもいいことしかないのか、と驚いた。パスカルの賭けのようだ。心底うらやましい。
今朝起きると身体がうごかなかった。職場に行かなくちゃと思っているのに言うことを聞かない。メンタルを壊した時と同じ症状に苛まれた。
また、だ。
明日は仕事に行けるだろうか。いつまでこんなことを続けるのだろうか。いつ死ぬことができるだろうか。
回らないあたまで天井を見上げながら思う。
存在しなければこんなこと思わなくてもいいのに。
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