雀の埋葬 2

買い物から帰路につく途中、家の近くの道路まで差し掛かったところで雀が死んでいた。

前回の時のように死んだところに立ち会った訳ではなく、彼はすでに干からびてぺちゃんこになっていて、毛の色と形からかろうじて雀だとわかる姿であった。
 
私はしゃがんで手を合わせた。
どうしようかと少し考えた後、家に戻って準備をしてからその場に戻ってくることにした。

死体を包むための紙ナプキン、ビニール袋、ポリエチレン手袋(衛生面を考慮した)、軍手をカバンに入れる。
家にはスコップがなかったため、キャンプ用のトングで代用することにした。

地面に張り付いているかもしれないと思ったが、触ってみるとそんなことはなく、すぐ手のひらに乗った。
紙ナプキンで包んでそのまま近所の川へと運ぶ。

以前雀を埋葬した場所と同じところにしようと思い連れていったが、夏場なので草が生い茂り土も乾いていて前ほど簡単には行かなさそうだった。
雑草をわけいって、土の見える場所を見つける。トングでちまちまと土を掘り返し、ある程度掘ったところで雀を置く。
土を被せてから、埋葬場所を少し整えてその場を跡にした。埋めた後は、手を合わせたりはしなかった。

帰り際に頭上で雀が鳴いていた。勝手に同胞を持ち去ったことを怒られているような気もしたが、たぶん彼らはただ鳴いているだけだろう。

前と同じように、私はまた自分の感情を雀に押し付けたのだ。
しかし道端で手を合わせている時に、そのまま通り過ぎることが頭に浮かぶと自分が酷く惨めな存在に思えた。

死というものは物質的/自然的なありふれた帰結であって、それを観念的に捉えているのは人間だけだろう。
儀礼や弔いのようなものは本質的に必要なものではない。
私は自分の中でそれを反芻しながら、自宅へ帰って行ったが、やはり儀礼的な埋葬行為をしないでいることはできなかったと思った。

頭の中に冷静な自分がいて、偽善的な行いを常に咎めるのだが、結果として私自身はとくに深い理由もなくそういう行いを時々してしまう。

この罪悪感は、身勝手な感情の押しつけをした自分への罰として、私自身が背負うべきことなのだろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?