復職報告とおまけ
3ヶ月の休職を経て、病状が改善傾向にあるとのことで、慣らし出勤という形で職場復帰する運びとなりました。復帰とは言っても、ほんの短い時間・回数から徐々にペースを戻していくという感じみたいです。
以前のように仕事をこなしていけるようになれるかは甚だ不明ですが、自分を守ることを第一にやっていこうと思います。
これだけで終わるのも何ですから、休みの間に支えになったものを書き出していこうと思います。
1 BUMP OF CHICKEN 『flare』
私の精神がちょうど最底辺だった時(2月頃)にBUMP OF CHICKENが発表した楽曲です。
自分の言葉ではないのに、これほど自分のことが歌われていると思ったことはありません。
初めて聴いた時、涙がとまらなくなりました。
転んだりしてケガした直後って意外と痛みを感じなくて、時間が経ってからジンジンと痛くなってきてこんなに痛い傷だったんだって気が付くことってありますよね。
この曲を聴いた時、心が本当に痛かったんです。それまではとにかく無気力で、死にたくて、それ以外の感情がありませんでした。心が痛んだ時、初めて自分はこんなにも傷ついていたんだと気が付きました。
休みに入って数ヶ月は起き上がるのもいっぱいっぱいだったので、YouTubeでこの曲を延々と流していました。
とりわけ歌詞がいいので、個人的に好きな部分を抜粋します。
『カルマ』で直接的に描かれていますが、藤原さんの歌詞は「存在」自体の苦しみ、疎ましさ、孤独を表現するのが非常に上手です。
生きるのってしんどいです。存在することすら苦痛です。私は跳ねて音を立てるだけのコインなんです。音すら鳴らなければいいのに。
こういう話を哲学の分野では「実存主義」で取り組んでいると言われています。ただ、代表的な実存主義哲学者は真正面から存在の苦しみに取り組んでいるようには私は思えなかったので、あまり参考になりませんでした。それよりボードレールやバイロンの詩のほうが本質を捉えているように思います。
BUMP OF CHICKENの楽曲では割と「朝」という言葉が使われます。
ただ、他のミュージシャンと異なるのが、「朝」という言葉をネガティブなイメージで使うところです。ありがちな「明けない夜はない」みたいな使い方とは一線を画しています。
メンタルが弱く生まれついてしまった方々には感覚的に伝わりやすいと思いますが、朝って辛いんですよね。厳密に言うと明日が来るのが嫌なんです。また自分という存在を続けなくてはならないから。
また、「朝」というと日が昇って光り輝いているイメージがありますが、藤原さんはその中で輝きに覆い潰されてしまったものたちを感じ取り掬いとろうとしているように思います。
雑踏を歩く自分。「コイン(≒自分)」が転げおち、目を閉じる。その瞬間に「オーケストラ」のように響く音。雑踏の騒音の中で、より深く響く自らの孤独。掌に握りしめた叫びと震え。
「壊れた心でも 息をしたがる体」、存在の理不尽がこの言葉に集約されていきます。
一体、どうやったらこんな言葉を紡げるのだろう。
自分の痛みに気付かせてくれ、ずっと寄り添ってくれたこの曲。
誰かにとってはただの石ころでも、私の宝です。
2 モンスターハンター
モンスターハンター、通称「モンハン」。言わずと知れた大人気狩りゲームです。
これが、休職中かなり支えになりました。
私が学生時代の頃には「モンスターハンターポータブル2ndG」が大流行しており、例に漏れずかなりの時間を費やしました。
時を経て、「モンスターハンターRISE」が発売するということで、過去作の「モンスターハンターXX(Switch版)」を、たしか3月頃に触り始めました。
「モンスターハンターX」は3DS版をやり込んでいたため、引き継ぎする形でプレイ。モンハンのリハビリにちょうどよかったです。
正直に言うと、学生自体のモンハンはコミュニケーションツールの側面が強く、みんなでやってるから楽しいのであって、ゲームとしての面白さをあまり感じてはいませんでした。それは、その後にプレイしたモンハンX、ワールドでも同じでした。
モンハンって基本的に単調なんですよね。モンスターを狩る→武器・防具を作る→またモンスターを狩る…の繰り返しなので。ストーリーもそれほどしっかりあるわけではないため、他のゲームと比べても作業感はより強くなります。
ただ、メンタル損傷後はモンハンのこの無目的な作業が心地よかったです。
当時は、本を読むことができなくなり、映画やアニメ、ドラマのようなシナリオがあるものを見るのもしんどいような状況でした。
当たり障りないゲーム実況をYouTubeで垂れ流してぼんやり眺めてるのが精一杯でした。
そんな中で、モンスターの動きを思い出しながらひたすら狩り、武器や防具をつくることで適度な達成感を得る。マルチプレイでコミュニケーションの刺激も得られる。何より、余計なことを考えず目の前のモンスターを狩ることだけに集中できるというのが、陰鬱な考えに陥りがちな休職期間の気晴らしとしてマッチしていました。
あぁモンハンって面白かったんだなぁと初めて思いました。
モンハンRISEも未だにやっていますが、楽しいです。ハンターランクが200超えた辺りからはビギナーハンターの手伝いをして自己肯定感を得ています(最近はあまりやっていませんが…)。
RISEは初心者の人でも取っ付きやく、細かなバランス調整の行き届いた良ゲームだと思いますので、オススメです。
3 猫
ちょうど去年の秋頃から我が家のベランダで見かける野良猫がいました。ある時に餌をあげると、それからは時折顔を見せるようになりました。
病気休暇や休職の間、私はずっと家にいましたから、いつ現れても餌をあげることができました。
いつしかスーパーで飼った餌やおやつを用意するようになりました。
気ままに現れて餌を食べてから少しくつろいで去っていくその猫がなんだか愛おしくて、彼が現れるのを待っている自分がいました。
雨の日には、濡れて風邪をひいてないだろうか、と不安になり、
しばらく姿を見せない時には心配で一日に何回もベランダを見に行きました。
出かけている時に来ていたら、と思うと気が気ではありませんでした。
次第に自分が餌付けをしたせいで、野生として生きていく力が落ちてしまったのではないか、という罪悪感も生まれてきました。
もともと臆病で身体の小さい猫です。野生で生きていくには厳しいことも多いでしょう。舐められているのか、縄張りを侵害されて喧嘩をしているところも見ました(喧嘩を止めようとしたら、思いっきりベランダで滑って怪我をしてしまいました)。
種類もどうやら日本では珍しいもののようで、去勢手術こそされているものの、捨て猫であると推察できました。そうであれば、妙に人慣れしていることにも説明がつきます。
結論としては、パートナーとも相談して、我が家に迎えることにしました。
最初は大変でしたが、最近は猫のほうも慣れてきてお腹を見せて撫でさせてくれるようになりました。
寂しがり屋でよく鳴いています。
休みの間、ずっと私の気を紛らわせてくれた彼に、少しずつでも恩返しが出来ればと思います。
犬を飼っていましたから、ペットを飼うのはいい事ばかりではないことはよくわかっていますが、幸せに過ごして貰えるように頑張りたいと思います。
自分の労働が猫の餌やおやつになるのだと思うとやり甲斐もでてきます。
※猫の写真や種類、性別、愛称は意図的に書いていません。推測できる部分にもフェイクを混ぜています。彼も家族ですし、人格を持った存在として扱いたいので、プライバシーを第一に考えました。
以上、近況報告でした。
余談ですが、最近は読書もできるようになり、以前のように哲学書も読んでいます。
いま主に取り組んでいるのはドゥルーズの思想です。極めて難解ですが頑張っているところです。
それがひと段落したら、次はフーコーの『性の歴史』辺りでしょうか。ハンナアーレントの『人間の条件』を参照したい気持ちもあります。
何にしても、意欲が戻ってきてよかったです。ネガティブな心持ちは相変わらずですが、パートナーや猫、数少ない友人との関わりで生きていけています。感謝。
改めて、生きるのって本当に大変だなぁと実感した半年でした。
出勤して仕事して、あるいは家事をして、勉強をして、苦しみながらも毎日をふつうに過ごせてるひとはみんなとてもすごいですよ。
私の好きなドラマに、「みんなできてることは、すごくないんですか?」って問いかけるセリフがあるんですが、これもっと常識になってもいいですよね。
そんなことを考えているうちに、日々が過ぎていくのでした。
傷や怒りは消えることはないでしょうし、自分という存在の無価値さ、苦しみも重くのしかかりますが、生きていこうと思います。
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