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#文章
結局文章は世間に出したらもう読み手のものだけど、仲さんに解説してもらったからちょっと私も解説しちゃおうかしら
先日、 note &ツイッタ仲間の仲さんがこんな noteを書いてくれました。
すごい。記事の中身、まるまるクニnoteについて書いてあります。ココまで解説&分析できるほど読んでもらえるなんて、幸せです。
元のクニnoteはこちらです。
仲さんの今回のnoteの発端は、おそらくこのツイート。
上記のアイスキャンディー記事のシェアをしてくれたのですが、固いよねえ表現。事象と視点が入り混じる
わたしは【選ぶ側】になれない。
わたしはどうしてわたしでいられるのでしょう。
真夜中にアイスを食べたくなる。
これがわたしの生きる本能だとしたら、くだらない。花に水をあげる毎日。君はわたしがいるから生きていられるのよ、って。
君はわたしが選んだの。
わたしがこうして毎日見離すことなく、愛で続け、水を与える。君はすくすくと育っていったね。光も欲しい?じゃああげるよ。
カーテンを思い切り開ける。
台風が過ぎ去った空は、今までが
渡す必要のなかった嫉妬の手紙。それを教えてくれたのはnote酒場の"肌"でした。
自分の足で歩きたい。
身体を動かそうにも、心をどこかに置き忘れていました。淋しくて、風だけがわたしの隣にいる。書いていても、自分の言葉の限界がある。届ける力が足りないのは勿論でした。それでもわたしの肌はひとつしかなかったから。だからこそ今まで読んできたあなたの肌と結びたかった。先に行ってしまった身体に、わたしの心が呼びかけているようでした。
電車に揺られる、いつも乗ることのない路線。遠くに向かっ
"苦悩する文章を書かなければいけない"という苦悩から出る更なる苦汁
『 書く側の人間は悩んでいてはいけないのでしょうか。』
わたしは誰とも友達ではありません。
それでも自分がこうして言葉を溢していること、孤独だなんて思いません。
さなぎから蝶になる。
それほどの変化しか気づけなくなってしまったとしたら、それこそ書く側にいることも出来なければ、読む側にだって回らないでほしかったのです。
苦しくて、だから書いていた。
書くことは確かに好きだった。
でも目の前に
noteコンサルティングを受けた率直な感想と、続けていくために大事なこと
noteコンサルティングを受ける機会をいただいた。昨年チャレンジした「紅茶のある風景 投稿コンテスト」で審査員特別賞を授かり、その特典として設けられたものだ。
noteの使い方について、60分間自由に相談できる。受けるのは任意。こんな貴重な時間は絶対に逃したくないと前のめりに参加表明した。
本来は対面ベースであり、ぜひピースオブケイク社にお邪魔したかったのだけれど(ミーハー)、海外在住なので難