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わたしは【選ぶ側】になれない。


わたしはどうしてわたしでいられるのでしょう。

真夜中にアイスを食べたくなる。
これがわたしの生きる本能だとしたら、くだらない。花に水をあげる毎日。君はわたしがいるから生きていられるのよ、って。

君はわたしが選んだの。
わたしがこうして毎日見離すことなく、愛で続け、水を与える。君はすくすくと育っていったね。光も欲しい?じゃああげるよ。

カーテンを思い切り開ける。
台風が過ぎ去った空は、今までが嘘みたいに世界が潤っているようでした。



書いて、萎れて、また書いて。

別に誰にも見られていないようでわたしたちのことを見ている人はきっと、沢山いました。


こうして毎日文章を書く生活をしていると、有り難いことに書く仕事をしている人と会う機会が増えてきました。

それは主にライターの方で。
ただ"ライター"と言っても様々な人がいます。今わたしはそもそも書く仕事がしたいと言いつつ、なりたいものが"ライター"ではない気もしています。



「いちとせさん、今度一緒にごはん行こうよ。」

そんな言葉をかけてもらえることも増えてきました。


「嬉しい。」

そんな単純で明快な言葉がわたしの心へストンと落ちる。けれどそんな時間すらもわたしは書く時間に当てていたかったりもして。日々自分の時間の使い方が制御出来なくなっています。


それでもわたしは有意義な寄り道もしていたくて。そして贅沢な人生がほしかったのです。

先日ごはんを一緒に食べに行った相手も、フリーのライターの方でした。その方の活動は、わたしにとって知りたいことで溢れていました。何よりわたしは言葉や文章を書くのが好きと言いつつも、目の前の人から放たれる声に、救われすぎてしまうところがあります。




お会いした場所は都内のとある喫茶店。
オムライスが美味しいと評判のお店でした。店内は少し薄暗く、ディープな雰囲気がわたし好みでした。

そして店内でライターの方と何気なくnoteの話をしていると、ふとこう言われました。



「そう言えば、知り合いでnoteをやっている人がいてね。この前いちとせさんに会いたいって言ってたから今から呼んでもいい?」



大好きなオムライスを食べる手が止まる。

突然の話の流れにわたしは動揺し、わかりやすいほどまばたきをしてしまいました。


「ちょっと待ってください。それ、冗談ですよね…?」

「冗談じゃないよ〜。折角だから呼んでみるね。今そこの会社で働いてるからお昼休憩で来てくれると思うんだよね。」


喫茶店の窓の外を指差し、すぐそこにいることはわかりました。



『ただ、ちょっと待って』

わたしはとにかく予期していなかった人に会うのが苦手でした。わたしはわたしであることに変わりはない。それでも"いちとせしをり"はいつだって準備が必要なのです。

不安に胸が落ち着かないまま、わたしはとりあえずオムライスを完食する。口周りを丁寧に拭き取り、熱い珈琲で喉を焼く。そもそもふらっとわたしに会いたい人が来ること自体が現実世界の枠を越えた出来事でした。

そんなことをぐるぐると考えていると、時間はあっという間に過ぎ去り。会社での休憩時間を使って、ふたりの方が会いに来てくれました。



「初めまして、〇〇です。」

当たり前のように ふたりから名刺を渡される。
自分自身にまだ渡せるようなものがないことを実感してしまう。そんな感情が付き纏うから名刺はいつも緊張する。


「いつもnote読んでますよ!!」

そう目の前で繰り広げられる世界に少し後退りする。


困った表情をわたしは露骨に浮かべる。
ライターの方はわたしの視線を感じ取ってくれたのか、新たにこう切り出しました。


「そう言えばふたりとも、いちとせさんにnote読んでもらえば?こんな機会滅多にないしさ。」



『いや、待って待って。』

わたしは勘違いしてしまいそうでした。
自分は懸命に書くことで日々生きてきました。ただわたしはnoteでも誰かの文章にコメントや言葉を残すことに抵抗がありました。その意味はこれから読み進めてくれればわかると思います。





「え〜!是非読んでください!」
「わたしのも読んでください!」

ふたりともわたしの予想を簡単に上回る。わたしは乗り気な笑みを前に、感情が追いつかない。

そのまま何も言葉を発することも出来ずに、そのふたりのnoteを読むことになりました。当たり前(?)だけれど、全く内容が頭に入ってこない。スマホで文章をスクロールして読んだふりをするだけで汗が止まらなかった。



ふたりのnoteをスクロールし終わったわたしを確認し、ひとりの方がこう言いました。

「どっちが面白かったですか?」



身体の奥まで突然指を突っ込まれたような衝撃でした。その台詞をあっさりと使いこなす人にわたしは今までの人生で会わなすぎていたのかもしれません。


ライターの方と、そしてnoteユーザーのふたり。

三人が突然何かを期待しているかのような眼差しでわたしを見てくる。



『待って、本当に待って。』

と、わたしはそれだけを心の中で繰り返していました。



そうしてやはり、わたしは選べませんでした。

それはきっとわたしが選ばれたかったから。そしていつだって選ばれなかった人の表情を自分と重ね合わせ、その"哀"の重さに耐えられなかったから。



「どっちも…いいと思います。」

そうわたしは一番つまらない答えを出してしまいました。

どっちが面白いか。
それを聞いてくれた。
でも、選べませんでした。

わたしが考えすぎなだけで、その場でのnoteの会話はゆっくりと薄れ、ふたりはまた自身のオフィスへ帰っていきました。




「どう?緊張した?」

ライターの方は意地悪かつ楽しそうな表情をしていました。最後に話を聞いたところ、わたしに少しでも人との繋がりを持ってほしかったとのことでした。それにしても心臓に良くない。そんな選ぶという経験を肌で感じたわたしは、また新たな考えをその時から持つようになりました。



ここ最近でのnoteは
" 誰かが誰かを選ぶ。"

そんなことがわかりやすく行われるようになってきたと思います。ただそれでもほんの一部での出来事かもしれません。


note公式とは全く別の、それぞれの個人が誰かを選び、まだ見つかっていない才能や努力を掘り出す。マガジンでのピックアップも盛んになってきました。そのこと自体はとても素敵なことだと思います。わたし自身も誰かに選んでもらえた時は勿論嬉しいです。包み隠さず言えば、全員わたしのことを選んでほしいとすら思います。


しかしながらそれによって制限も生まれてきてしまいます。心も、そして自分が本当に書きたい内容も。

noteを書く理由は人によって様々だとは思います。でもそのハッシュタグは本当にあなたの色なのか、それが気になってしまいました。本心を疑うつもりはありません。自分に起きたことを正直に書かせてもらえるのであれば、わたしは邪な思いで何度も誰か特定の人に選んでもらうための文章を書いたことがあります。でも全てではありませんが、思い返せばそれはわたしの本当の色ではなかったのです。



わたしも日々、多くの人を選んでいます。
noteに限った話をするのであれば、noteを読む相手を選び、「スキ」を押すnoteを選び、フォローする相手を選んでいます。

裏を返せば、選ばれていない人もいます。
いちとせしをりの、その狭い世界だけの話をすれば、わたしが誰かを選択することによって、目に見えて選ばれていない人が浮かび上がってきます。


わたし自身、今noteでフォローしている人全員と相互なわけではありません。それはわたしがフォローをした相手が、わたしのことを選ばずにフォローを返していないと捉えることだって出来ます。


それでもわたしは、"読みたい人をフォローしている自分"を選んでいます。

自分を、選んでいるのです。
SNSでよく聞く、フォローしたらフォローを返さなければいけない世界。そして相手を顧みない「スキ」をし合う関係。別にそれを全面的に否定する気はないけれど、それは"本当の自分"とはかけ離れたものだったのです。


"まずは自分のことを選んでほしい。"

自分ですら選べなくなったら声も出なくなるから。


わたしは今まで、noteを書き始める前もやっていた学生時代のブログも含めるとしたらきっと、何百何千という数の文章を書いています。

それら全てを読み返したいかと聞かれたら、二つ返事は出来ません。noteですらわたしは、最初に始めた頃の文章を読み返しただけで身体が熱くなるような感覚です。


それでも今は自分の文章は何度も読み返したいと思います。


ここはこう書けばよかった。
でもこれはこう書けたからよかった。
次はこう書こう、これの方がよかった。

そんなことを心の中で独り言として昇華する日々に変わっています。



自分ですら読み返せない文章を書かないで。
自分ですら思い出せない言葉を書かないで。
本当に届けたい人のための文章や言葉を…


『誰かに選ばれないと自分のことを選べない。』

それはとても哀しいことです。
ただその気持ちは痛いほどわかります。
わたしも昔、ずっと選ばれてこなかったから。


書く仕事や、noteでのことだけではありません。

会社員だって、なんだって。
別の仕事だって、自分の好きな趣味だって。

自分が最初に愛で始めること、難しいです。
どんな時だって寄り添う人、匿名であろうと励ましの言葉があるから立ち上がれることなどいくらでもあるでしょう。そしてSNSでの活動なんてまさに誰かに届いたことが肌でリアルに感じれなければ、死んでしまいます。


皆本当は必死に選ばれようとしている。

『自分の文章を楽しく書いていられればそれでいい。』

そんな台詞、わたしには言えません。
そして、わたしより目立つのはやめてほしい。


苦しい、苦しいよ。

別にわたしは【選ばれる側】だなんてことも言えません。



ただ無理して誰かに選ばれるための色をつけて。それで自分の色を消してほしくない。読まれない苦しみから、どこかの輪に目を瞑って飛び込む必要はない。


痛かったとしても。
それでも書き続ける、生き続けるのであれば。

自分のことだけは【選ぶ側】でいてほしいのです。


書き続ける勇気になっています。