マガジンのカバー画像

生活の中の小説

35
日々、心を通り過ぎていく一瞬の風景を切り取って、小説にしていきます。小さな物語を日々楽しんでいっていただければと思います。
運営しているクリエイター

#ショートストーリー

小説 トルルカ半島の灯台

小説 トルルカ半島の灯台

 トルルカ半島は、ミラスコ北西部に位置する小さな半島を指す。地図上で見ると、マルユノ海に角のように飛び出していて、地元では「鹿の角」と呼ばれている。なぜ鹿なのか、それは誰も知らない。

 マユラバは、星を見ていた。
 マユラバはトルルカ半島の、ヒュカ村出身の男だ。若くて、強い村の男だ。
 昨晩から、星の光が鈍くなった。毎夜、星空を見ているマユラバだからこその気づきだった。
 空が落ちてくるのかもし

もっとみる

小説 渦

 巻き込まれた。その渦に。
 不意に襲ってきた、その激情。恋なんて、捨てたのだ。
 燃えるゴミに紛らせて。なのに。

 蟻地獄だよ。底であなたが待っている。泡沫、春の夜の夢。
 体も麻痺しちゃってさ。
 私を特区にして、他人を介さないでほしい。

 夜のポエマーかよ。指先で、温もりを探る。
 海の底で、息もできないまま、口づけを交わした。
 
 乾いた唇を、言い訳で濡らす。吸い込まれてはいけない

もっとみる
小説 天才

小説 天才

 天才なんだよ。あいつは。

 宮岸は、よくそう言った。あいつは天才だ。あいつは。
 あいつとは、弟の豊のことで、豊のことを宮岸は天才と呼んだ。

 幼い頃から宮岸はサッカーをやっていた。兄に憧れて弟もサッカーを始めた。才能の差にすぐに周囲が気づいた。しかし、言わなかった。言えなかった。
 宮岸本人もまた弟の才能に気づいていた。幼時にそれとなく、自己の持つ才覚の限界を見定めていた。ああ、こんなにす

もっとみる
小説 紙飛行機

小説 紙飛行機

 雄介の作った紙飛行機は、校舎の向こうまで飛んだ。クラスの誰もそんな飛距離を想像していなかった。先生も想像していなかった。

 結局、紙飛行機は校舎に隣接する家の敷地に落ちた。 
 後で、担任の先生と雄介が飛行機を回収に行った。
 康太は、その様子を教室からじっと見ていた。
 

 『紙飛行機をどうやったら遠くまで飛ばせるのか』

 ある日、そんなテーマの授業があった。紙飛行機を作って飛ばす。単純

もっとみる
小説 メダカ

小説 メダカ

 牛嶋神社の横に、ひょうたん池と呼ばれる場所がある。それは名前の通りひょうたんのような形の池だった。
 
幼い頃、その池でメダカをよく取った。水面を覗くと、すいすい泳ぐメダカがいた。
 小さい頃、その池はとても大きく見えた。幼い頃の記憶は曖昧だが、あのひょうたん池の様子はしっかりと脳裏に刻み込まれている。

 ペットボトルに入れて、家に持ち帰った。母は怒ったが、父は興味を持った。父と私は近所の熱帯

もっとみる
小説 目玉焼き

小説 目玉焼き

 目玉焼きは、完熟がいい。私は完熟が好きだ。
固い方がいい。固い身をぐっと噛んで、崩れていく黄身の感覚が好き。

 でも、彼は半熟が好きだ。
 私が目玉焼きを作ると、彼はいつも文句を言う。もっと、柔らかい方が好きだと。

 でも、私は完熟にする。
 彼の好みとは違うものを作る。それは私のささやかな抵抗。
 なんでも、彼に合わせては面白くない。

 静かな朝食の時間、彼は目玉焼きを見ていつもと同じ文

もっとみる
小説 鶴

小説 鶴

 美咲は、鶴を折っていた。
 とても小さな手で、驚くほど綺麗な鶴を折った。
 その鶴はいまにも、飛び出しそうに思えた。

「鶴って、渡り鳥なの、知ってる?」
 と彼女は言った。

 渡り鳥。
 そうだ。鶴は日本の鳥ではない。
 ある季節だけ日本にやってきて、また次の季節には次の国へと旅立つのだ。

 「同じ場所に戻ってくるって、どういう気持ちなんだろう。故郷みたいな感じかな」
 彼女は笑った。しか

もっとみる
小説 赤鉛筆

小説 赤鉛筆

 ノートに大きく花丸が書かれた。
 「素晴らしい!」

 先生は大きな声でそう言った。
 小学校が終わったあと、私はすぐに塾へと向かった。塾に行って、その日の宿題をするのだ。

 勉強が好きだったのか。決してそういうわけではない。ただ、私は先生に褒められたかったのだ。

 先生の名前は知らない。当時、塾に行っていた人みんなに聞いても、先生の名前を憶えている人は誰もいなかった。

 その塾は小さい塾

もっとみる
小説 辞書

小説 辞書

 彼女は、よく辞書を読んでいた。

 休み時間になると、辞書をめくっては視線を落とし、新しい言葉を探していた。
 僕にとって辞書とは「読み物」ではなく「道具」だった。言葉を探す道具。そう思っていた。
「例えばね、新しいクラスになって、新しい友達と会うって楽しいでしょ? そういう感じなの。ぱらぱらってめくって、素敵な友達と会えたらって思うと楽しく読めるでしょ」
 彼女は、そう言っていた。彼女にとって

もっとみる
小説 ピアノ

小説 ピアノ

 そのピアノは、幼い時から家にあった。

 祖母が母のために購入したものらしい。母は小さい頃、ピアノを見て一目惚れしたそうだ。自分もピアノを習いたい。そうやって親にねだった。

 あまりに真剣だったので祖母も折れてピアノを購入した。KAWAIのアップライトピアノを買った。
「人生で一番の買い物かも」
 と祖母は後に語る。
 ピアノが家に来た。母はとても喜んで、一日中練習をした。

 近所のピアノ教

もっとみる
小説 長靴

小説 長靴

 娘に長靴を買ってあげた。雨の中学校に行くたびに靴を濡らしては可愛そうだと思ったからだ。
 エメラルドグリーンの長靴を買ってあげた。妻が好きな色だった。
 

 妻が世を去ってから3ヵ月。生活は一変した。
 私に残されたのは小学生の娘との時間。それも平穏ではなかった。
 私は何も知らなかったのだ。
 妻の苦労も、娘の寂しさも。

 家族を持った。その事実で強くなったような気がした。
 一方で、逃げ

もっとみる
小説 二胡

小説 二胡

 彼女は二胡の先生だった。
 彼女が弓を丁寧にひく姿が、悩ましい。

「ゆっくりと弓をひくでしょ。その癖かもしれないけど、ゆっくりと話す癖がついているの」
 彼女はそう言って笑った。彼女の言う通り、しゃべり方はとてもゆっくりで、間をたっぷりと使って話した。

 「ゆっくり」と言うところを「ゆーっくり」と音が間延びしていく様が愛らしかった。ゴムのように伸縮自在で、それでいて決して切れない力強さを感じ

もっとみる