小説 鶴
美咲は、鶴を折っていた。
とても小さな手で、驚くほど綺麗な鶴を折った。
その鶴はいまにも、飛び出しそうに思えた。
「鶴って、渡り鳥なの、知ってる?」
と彼女は言った。
渡り鳥。
そうだ。鶴は日本の鳥ではない。
ある季節だけ日本にやってきて、また次の季節には次の国へと旅立つのだ。
「同じ場所に戻ってくるって、どういう気持ちなんだろう。故郷みたいな感じかな」
彼女は笑った。しかし、その表情は寂しかった。
彼女から鶴の折り方を教えてもらった。
美咲は僕の先生になって、丁寧に、鶴の折り方を教えてくれた。
僕の指先は、僕が思っているようには動いてくれず、不器用な鶴しかできなかった。
「あなた下手ねえ」
と美咲は言った。
秋になると、美咲は姿を消した。
彼女の父親は転勤族で、一年中引っ越しを繰り返していた。
どこかに定住するということがなかった。
美咲の母親は父親に頼りっぱなしだったので、一人で生きていく力はなかった。
娘には悪いと思いながら、引っ越しを続ける生活をするしかなかった。
一言、引っ越すことを伝えてくれても良かったのではないか。
僕らは仲が良かった。
たくさん言葉を交わした。美咲もたくさん笑っていたように思う。
どうして彼女は何も言ってくれなかったのだろう。
僕は寂しかった。しかし、寂しさ以上に悔しさを覚えた。
何に対して悔しさを覚えたのたの、よくわからなかった。
僕の机の上には、美咲と一緒に作った鶴が置いてあった。
不器用な鶴が一羽、そこにいた。
僕はその鶴を思い切り握りつぶした。へろへろになった鶴が、目の前に横たわった。
もうその鶴が死んでいた。生き返ることはなかった。
あれから十年経つ。
僕はある企業の営業マンとして、日本中を飛び回っていた。
僕は、渡り鳥だった。
金沢に行った時の話しだ。
時間があったので、街中を散策をした。駅から外れた所に小さな公園があった。
僕はそこで歩を止めて、休憩した。
6月のはじめ、太陽が輝く。背中がじわりと汗をかいている。
ふと、見ると、そこにはベンチに座る一人の女性がいた。
それは間違いなく美咲だった。美咲の変わらない笑顔がそこにあった。
その視線の先には、一人の小さな男の子がいた。
男の子は笑顔で美咲に駆け寄った。
その子が、彼女の息子であることは一目瞭然だった。
そうか、彼女はここで暮らしているのだ。
じっと彼女を見ていた。ふと、目が合った。
僕は反射的に会釈をして、向こうも笑顔を返してきた。
しかし、すぐに彼女の視線は息子に向かい、二度と僕を見ることはなかった。
渡り鳥。
思い出は、行ってしまったのだ。もう、ここに戻ることはない。
僕はその場を離れ、駅構内の書店で文房具コーナーで折紙を買って、ホテルに戻った。
そして、記憶を頼りに、鶴を折った。
言葉ではなく、指先が鶴の折り方を覚えていた。
出来上がった鶴は、やはり不器用だった。いびつで、翼はよれていた。
しかしなぜだろう。この鶴は、力強く飛ぶような気がした。
国境を越えて、どこへでも行ける。そう思った。
僕は、鶴をふわりと投げた。
飛べ。そう念じた。
鶴は、力なく地面に落ちた。
渡り鳥。
君は、この街に留まる。
そして、僕は、明日別の場所へと向かうのだ。
僕は鶴を拾い上げて、机の上に置いた。
鶴よ、今は飛ばなくていい。じっと、春を待て。
無表情の鶴が、僕を見ていた。なんだか、笑っているように思えた。
美咲の笑顔を思い出した。
翌日、ホテルをチェックアウトした。
鶴はそのまま、室内の机の上に置いておいた。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?