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小説 トルルカ半島の灯台

 トルルカ半島は、ミラスコ北西部に位置する小さな半島を指す。地図上で見ると、マルユノ海に角のように飛び出していて、地元では「鹿の角」と呼ばれている。なぜ鹿なのか、それは誰も知らない。

 マユラバは、星を見ていた。
 マユラバはトルルカ半島の、ヒュカ村出身の男だ。若くて、強い村の男だ。
 昨晩から、星の光が鈍くなった。毎夜、星空を見ているマユラバだからこその気づきだった。
 空が落ちてくるのかもしれない。
 マユラバは、大きな目をより大きく見開き、夜空の果てを睨んでいた。

 季節の変わり目には、必ず何か起こるものだ。
 災厄は常に、隙間を狙ってやってくる。世相が移り変わるとき、物事が定点を持たないその時にこそ、災厄は、いや、悪霊はつけ込む。
 
  懐中電灯をつけた。行商人から手に入れたものだ。便利な光だ。
 あたりを照らし、誰もいないのを確認する。
 最近、妙な違和感を感じるのだ。何かに、引き込まれるような、そんな感覚。

 マユラバは、灯台へと向かった。漁に出た男たちが帰ってくる。その男たちの帰路を示さなければならない。それが俺の仕事なんだ。
 マユラバは灯台の扉を開け、階段を上った。長いらせん階段を上り、ついに頂上へと着いた。
 隅から薪を運び、ナイフで小さく削り、木のカスを集めた。マッチで木のカスに火をつける。小さく炎が上がる。炎は周囲の木のカスを飲み込み大きくなっていく。またその火が、周囲の木を飲み込む。
 
  見る見る火が育った。灯台の中、炎が力強く猛り、吠える。この火を漁師たちが帰ってくるまで死守する。これだけ強い火だ。しばらくは消えまい。
マユラバは一番太い薪を入れた。しばらくして、薪に火が移った。

 火が揺れる。火を見ていると安心する。茫洋たる世界がそこにあって、自分自身の不安と呼応するのだ。 
 マユラバをしばらく火を見ていた。薪をくべるのも忘れていた。
 
 夜の星はやはり鈍い。ややもすれば見逃してしまうほどの小さな鈍さだ。

 ふと、夜の中に小さな光が見えた。何かが、灯台の近くへと落ちてきている。
 あれは、なんだ?
 マユラバは立ち上がった。しかし、光に包まれ正体は不明だった。マユラバは、大きな薪を再び投入し、すぐに灯台を駆け下りていった。

 灯台から300メートルほど、離れたところに光は落ちた。マユラバが光のもとについた時、もうそこから光は失われていた。
 
 光の中にいたのは、一人の女性だった。異国の少女だ。黒髪で、無地の白い衣装を着ている。光に乗って、ここにきた。
 まだ、息をしている。

 何かを考えている余裕はなかった。夏の入り口とはいえ、夜風はまだ冷たい。マユラバは女性を抱き起こし、かついで灯台へと運んだ。
 
 彼女を担いだままらせん階段を上るのは骨が折れた。マユラバは、彼女を部屋の隅に寝かせ、再び自分の任務に戻った。

 不用意に助けることはなかったかもしれない。
 マユラバは、理性ではなく直感で行動したことをやや恥じた。しかし、誰かを助けることが悪いはずはない。そう、自分に言い聞かせた。 
 
  あの光は何だったのだろう。揺らめく炎を見ながら、マユラバは考えを巡らせたが、有益な答えを一つも導き出すことができなかった。

 女性が目を覚ました。
「ここは、、?」
「ここは、トルルカの灯台だ。あなたは、光に乗ってやってきた」
「トルルカ、、、?」
 女性は、自身の状況を把握していないようだった。それはそうだ。マユラバも、女性も、誰も状況を理解できなかった。

 その時、女性は何かを思いだしたようにばっと立ち上がり、灯台の窓辺へと向かった。窓からぬっと顔を突き出し、空を見た。

「やっぱり。星の光が、鈍い。やっぱり」
 マユラバは、女性の言葉に反応した。自分だけではなかった。そうだ、星の光が鈍い。それに気づいた人間が他にもいたなんて。

「大変! 大変!」
 女性は、一人叫んだ。混乱しているらしい。
「何が、大変なんだ?」
 マユラバは女性を落ち着かせようという思い以上に、彼女が何を大変としているのか知りたかった。

「空が落ちてくるかもしれない。みんな、消えちゃう」
 女性は叫んだ。マユラバは女性の顔を見た。その顔に混乱はなかった。あったのは、自身の信念に貫かれた女性の凜々しい顔だった。

 その時、遠くから船の明かりが見えた。
 マユラバは薪を炎に投げ込んだ。炎は、勢いよく膨れ上がった。

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