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世界はここにある57  最終話

「私にそれ以上近づかないで」
 官邸の群衆の先頭に立つナオは彼女を拘束しようとする警察官を一喝する。警官らは呪縛に囚われたように動けなくなった。
「通してください」
 その言葉に大群衆をバリケードするために居並ぶ機動隊の面々も道を開ける。正面入り口には政府関係者が出迎える。
「総理が待っている。案内するがその端末は預かりたい」
「それは出来ません。いいですね」
 ナオの言葉には逆らえなかった。「わかった。ではどうぞ」
 
 取材陣はナオを次々とカメラでとらえた。しかし誰一人ヤジや質問を飛ばす記者はいない。そして彼女を捕えようとする者もいなかった。彼女に触れることが禁圧であるかのごとく感じているようだった。不思議に感じるも受け入れざるを得ない。彼女に近くよれば寄るほど誰もがそうなっていく。
 
 群衆は依然、静かに官邸を取り囲んでいた。シュプレヒコールは止み、ただ黙って官邸に入っていくナオの後ろ姿を見送った。そして彼女の姿が見えなくなった瞬間、群衆は一斉に座り込む。民衆の代表者を再び迎えることを待つために。

 ナオ自身も見慣れた会議室に通され一人待った。「ネット接続の環境を整えてください」という希望も関係者は断りもせずすぐに用意した。普段からやり慣れたようにナオは準備をする。そして阿南総理、友安官房長らが入室してくるのを起立して迎えた。

「ようこそナオさん、君の勇気に私は感服せざるを得ない。しかし、なぜここへ一人で入ってこれる? 私は武装した大勢の君の仲間が警護してやってくるのかと思っていたが」
「総理、直接お目にかかれ光栄です。その答えはもうお感じになっておられるでしょう? ご自分で」
 阿南はその通りだと思った。彼女をそのまま受け入れ協議をしなければならない。そう言う自分が心の中にいる。それは友安も同じであった。

「では、米国にもコールします」
 ナオが端末を操作するとシステムは全て起動を始める。彼女は政府のシステムを完全にコントロールしている。阿南はそれを茫然と眺め、彼女がこの国のインフラや防空体制をいかようにもできた事実を改めて理解した。この子は恐ろしい。それが率直な感想だった。

 壁面の大型モニターに米国大統領の執務室が映し出される。クリス大統領はまだ着席をしていない。
「クリス大統領閣下、いらっしゃるのでしょう? 席におつき下さい」
 ナオの言葉に押し出される様にクリスが席についた。その表情は余裕を見せるかのように繕われているが主導権がナオにあることは阿南の目にも明らかである。

「ナオ、と呼ばせてもらっていい?」クリスは静かに呼び掛けた。
「ええ、どうぞ」
「あなたの力は私も認めてる。それを前提にしてお話しましょう。あなたが望むものはなんなの?」
「フラクタル3.0計画のすべてを世界に公表することです」
「あなたの正体も、そしてあなたが行ってきた悪事も公表するということね」
「私の正体についてはその通りです。しかし悪事と言う面では異論があります」
「ダヴァースはテロ組織よ、世界はそれを認定している。その事実は変えられないわ」
「いえ、私が言うのは悪事と言う面ではあなた方の悪事も同様に公開されるべきということです」
 ナオの言葉にクリスが反応する。
「私達の悪事? 米国が何に関与していると言いたいの?」

「あなた方が、私のデータを利用し、それを軍事利用していたということ。これに関しては証拠を全て提供できます。そしてそれには西側の各国が協力していたということ。そして一部の勢力を通じて東側へもそれが渡り、軍事開発の競争となったこと。先の感染症は意図的に全世界にばらまかれたこと。それにより米医薬業界が天文学的規模の利益を得た事。そしてロセリスト家を始めとする支配者層も第一次、第二次世界大戦での武器供与を数倍上回る利益を得、あなた自身もそれにより利益を得ている。これについても全て証拠は掴んでいる。チャールズの証言もありますよ」

 クリスは冷静さを保ちながら反論する。
「作り話はスケールが大きいほど信じられやすいものだけれど、そこまでいくと笑い話にもならないわ。ナオ、世界は子供の夢や空想の世界だけで動くものではないの。もちろんイマジネーションが科学や技術を発展させるのは否定しない。むしろそれが大事だから。けれどフィクションは小説や映画のような娯楽よ。現実はもっと複雑であり、欲で動かせるものではない」

「いいえ、欲で支配してきたのが現実。それは歴史が証明している」
「そんなものだけで世界は動かせないの」
「だから軍事力も暴力も必要なんでしょうね」
「私達は自由と正義の為に戦ってきた。これからもね」
「ベトナムや中東で失敗をした教訓はどうなったのでしょうか」
「結果として間違った点もある、しかしその時の選択は正しかった。歴史にIfはない」
「では今、ここでする選択はどうですか? 貴方の選択は正しいと。それを自分と国の正義に誓えますか」
「当然よ」

「クリス大統領、日本は彼女の言い分にある意味で耳を傾けている」
 阿南が口を開いた。
「タカ、正気なの? あなたは日本国の総理大臣よ? 米日同盟の70年以上の絆をこのテロ犯の妄言で捨て去るというの?」
「米国は大切なパートナーだ、だからこそ日本も泥をかぶるつもりで真実を明らかにしないといけない。彼女はこの先、司法で裁かれることになる。それは彼女も覚悟しているだろう。そうすれば彼女が持つ証拠とやらも全て明るみに出る。そうなった時に弁解しかできない国のリーダーは果たして本当に必要なのか? フラクタルが持つ力を私は今、目の前で見ている。これが悪用された例はこれで終わりにしないといけない。彼女のような存在を生み出してはいけないんだ」

「そうよ、タカ、彼女自身が悪魔なの、早く拘束して。あなたができないのなら米国がそれを行う」
「クリス、ここは日本だ、米軍に警察権は認められない」
「彼女は国際テロ組織のリーダーよ、米国も裁く権利がある」

「私は裁かれるべきだと思う。私は悪魔なのかもしれない。なら世界は悪魔の真実をすべて知るべきです。天使が覆い隠した虚構の喜びではなく、悪魔がせせら笑う現実を」

「そうね、裁かれなければならないわ。あなたが犯した罪を」
「そうです、あなたがチャールズとジェームスにドクター・ブリュスコワを利用して行った行ったこともすべて」

 クリスは執務机を叩き叫んだ。
「いい加減にしなさい! テロ犯の妄言に付き合うほど私は寛容ではない!阿南総理、今すぐその子を拘束し、そのうえで協議することを私は要求する」

「わかりました。ではこのやりとりも含め今までのすべての情報を公開します。その上で私は日本政府に対して投降します。阿南さん、それでよろしいですか」
「結構だ」
 ナオの問いかけに阿南は頷いた。

「嘘の情報を公開して自分に有利な状況を作るのはテロの常とう手段よ。日本政府がそれに乗るのならば米国は正当な防衛手段をとるわ」
 クリスは最後通牒のように阿南に語る。
「それも結構です。協議することにも日本政府はやぶさかではない」
 ナオは阿南の言葉を最後に回線を遮断した。

 重い沈黙が暫く続いたあと阿南はナオに声を掛けた。
「君を拘束しなければならないが」
「わかりました。ただ、少しの時間、官邸の外で仲間に逢わせてください。お別れが言いたいのです。父とも」
「父? 君の父とは?」
「高山教授です」
「高山教授が日本に戻ってきているのか?」
「はい」
 ナオは子供らしくほほ笑んだ。
「では、時間を与えよう。ただし、そのあとは我々の指示に従ってほしい」
「勿論です」

 ナオは阿南や政府関係者と共に官邸の外に出た。その姿を見て群衆は一斉に立ち上がる。機動隊をはじめとする警察関係者に緊張が走る。
 群衆を押しのける数名の男女がいた。機動隊はすぐにその人物を抑えようと動くが「通してください」というナオの言葉にその動きは止まった。

 群衆から出てきたのは高山教授と英人、そしてサツキだった。それを追うようにして三佳と坂崎も出てくる。

 高山尚人たかやまなおとはゆっくりとナオに近づく。ナオも一歩一歩、尚人に近づいた。
そして二人は誰にも邪魔されず抱擁した。言葉はない。尚人はただナオを抱きしめ、ナオは高山に抱きしめられていた。

 静寂のなかで尚人が言う。
「すまなかった、お前を一人にしてしまった」
「そんなことはないわ」
 ナオは尚人の温もりを感じながら答えた。
「投降するのか」
「うん」
「じゃあ、私も一緒に行こう」
「ほんとに? いいの」
「あたりまえだ、もともと私に責任がある」
「でも、英人さんは? サツキさんも……」
「英人なら私を後押ししてくれたよ。サツキもきっとわかってくれてる」
「ありがとう…… パパ」
「もう一人にはしないよ」

 ナオと尚人は手をつなぎ、阿南らに向かい歩みはじめたが、尚人が立ち止まり振り向いた。
「英人、母さんと絵里奈を頼む! そしてサツキちゃんも…… 日本に着くまでお前のことばかり話してたぞ」
「わかった。父さんはナオを頼む」英人はそう返した。
「先生! ありがとう」サツキが泣きながら叫んだ。

 尚人は手を振り、踵を返した。
数歩前のナオが、舞うように手を大きく振った。そしてマリオネットの糸が切れたようにその場に倒れ込む。
 尚人はすぐに駆け寄り彼女を抱き起こそうとしたが、その彼も次の瞬間、彼女の上に覆いかぶさるように倒れた。

「父さん!!」 
 英人が、サツキが駆け寄る。三佳も、坂崎も、桜木も駆け寄った。

 覆いかぶさるように倒れた二人から血が流れ出る。二人は堅く手を握り合っていた。

「銃撃だ!! 救急車を回せ、総理を官邸のなかへ、急げ!」
 SPの声がこだまする。カメラのシャッター音が途切れなく聞こえる。
 しかし英人らには何も聞こえない。

☆☆☆☆☆

 年の瀬にしては穏やかで温かい日が続いている。休日の朝はゆっくりと起きだし、カーテンの隙間から差し込む光の感触で外に出るかどうかを決めていたのが随分と昔のような気がする。僕はベッドの片方に残っている温みを確かめたあと、そろりと身体を持ち上げた。スマホの時計は8時を示している。少し目覚めるのが早いかと思いながらベッドから抜け出た。

「もう起きたの?」
「ああ、なんか目が覚めちゃって」
「じゃあ、朝ごはん……と言ってもなあ…… 相変わらず何にも入ってないね」
 サツキは冷蔵庫を覗いて思案している。僕は彼女の横顔が好きだ。昔からそうだった。大人になってからはそんな無防備な彼女の横顔を見ることは少なかったが、彼女は大切なことを何ひとつ変えていない。変わっていない。それは僕にとっての大切なことなのだが。

「ね、朝ごはん、調達しにいこうよ、コンビニでいいからさ」
「え? 寒いでしょ」
「今朝もそんなに寒くはないよ。大丈夫。ほら、わたしなんか」
 サツキは上だけ着ていたオーバーサイズのパジャマをたくし上げた。白い肌と均整のとれた彼女の身体は美しく魅力的だ。けれど彼女の横顔の凛としたフォルムにはかなわない。
「わかったよ、顔をあらってくる」

 二人でマンションを出て歩く。彼女の言う通り寒さはさして感じない。
僕らは無言でコンビニを目指した。
 静かな朝だった。街の人たちの日常は何も変わることなく、それぞれの時間で動いている。仕事に行く人、買い物へ出かける人。休みに入ってゆっくりと散歩を楽しむ人。誰もがそれぞれの時間のなかで日常を過ごしている。

 あの公園を通り抜ける。子供たちと、ナオと初めて出会った公園だ。今は犬の散歩をする女性を見かけるだけ。当然にあの子達の姿はない。

「ここで彼らに出会ったんだ。そして始まったんだ」
 そう言えばあれからこの公園をゆっくりと歩く機会がなかった。避けていたのかもしれないが、今はサツキとこの場所にいることが自然なような気がした。

 あれから世界は一時混乱したと言える。ナオが公開した情報はその真偽も含め大きなショックを世界中に与えた。
 
 クリス米大統領は弾劾裁判にかけられ失職。米だけではなく多くの国で重要な人物が去った。東側でもその影響は大きく、中国はタイペイの侵攻を中止し、内政の立て直しと西側との関係復旧に苦慮している。国連は改めてクローン技術についてのルールの取り決めと生物兵器の開発、転用の禁止の宣言を全会一致で可決し、国連主導の監視組織を新たに立ち上げた。その実効性について疑問の声は多かったが、何もしないよりは前進と言えるのかもしれない。

 ロセリストの当主は精神錯乱状態から拳銃自殺を図ったらしい。これは坂崎さんから聞いた情報だ。彼は今、三佳さんと組んで世界を回るジャーナリストとして活躍している。三佳さんとの関係については「微妙やねんな」と言っていた。

 ヒスマンの当主は代替わりをしたと噂を聞いた。そしてポール・ヴュータンはベラギーから反逆罪で起訴され裁判中だ。そしてフランツ・シュナイターは皇太子の身分を王室に返上し、今は英国で家族で過ごしているという。
 ドクター・ブリュスコワも米国でスパイ容疑を掛けられ裁判中だ。

 けれどその中に、父とナオの話題はない。あの時、世界中に流された銃撃の瞬間。テロ犯の最期、異常な科学者との最期などと心無いニュースが津波のように押し寄せていたのはほんのひと月ほどだった。フラクタルという言葉は検索されなくなり、誰も官邸を取り囲んだあの群衆の話をする人はいない。参加した本人でさえ忘れている。

 世界はほんの少し変わったのかもしれない。でも大きく変わったのは多分僕たちだけだろうと思う。

 サツキと並んでベンチに座った。

「ここに凄い人数の子供たちがいたんだ」
 僕はサツキに懐かしそうに言った。風が小さな渦をまかせ枯葉を舞い上げる。
「あのデモの中にもいたんだろうね、ここにいた子供たち」
「そうだろうな…… でも、今はもうみんな忘れてるよ」
「そうね、ナオちゃんがいなくなれば、彼女の心もみんなの中になくなっちゃうんでしょ?」
「そんなことを言ってたかな」
「でもね、私はまだ感じるんだ、時々、彼女のこと」
「ほんとか? そんなこと言わなかったじゃないか」
「うん…… なんかやっぱりね、辛い体験もあったから、思い出したくないことも…… だから口にださなかったかな」
 サツキはそっと僕の手を取って両の手で温めるように握った。そうしなければならないのは僕の方なのに。

「ひでくんは? やっぱり思い出すでしょう? 辛いと思うけど」
「ああ、忘れる事なんてないよ。でも、僕は……」
 本当に辛くかわいそうだったのは母の方だ。けれど母も妹の絵里奈も今はそんな顔を僕に見せない。家族お互いがそれぞれを思いやっていた。僕だけが過去に引きずられ父を否定することは間違っていると思った。

「僕は父さんとナオが今、一緒にいることで良かったと思う。父さんは最後にちゃんと約束を果たしたから」
「約束?」
「そう。今度こそひとりぼっちにしないって。父さんはちゃんとナオを守ってる。今も」
「なら、私の約束も守ってね」
「ああ。君をもう一人にはしない」
 僕はサツキに短いキスをした。

 ベンチに座る僕たちをじっと見ている子供に気が付いた。幼稚園児くらいの男の子と女の子だ。僕らがその子達を見つめ返すと、その子たちはにっこりと笑い大人がするような会釈を僕らにした。

「あの子たち、知ってるの?」
 サツキが訊いた。
「あの子たちが覚えてくれているならね」

 

 完


★この作品はフィクションであり登場する人物、団体、国家は実在のものと一切関係がありません。


エンディング曲

畑中摩美 細胞のうた


世界はここにある①    世界はここにある⑪   
世界はここにある②    世界はここにある⑫
世界はここにある③    世界はここにある⑬
世界はここにある④    世界はここにある⑭
世界はここにある⑤    世界はここにある⑮
世界はここにある⑥    世界はここにある⑯
世界はここにある⑦    世界はここにある⑰
世界はここにある⑧    世界はここにある⑱
世界はここにある➈    世界はここにある⑲
世界はここにある⑩    世界はここにある⑳

世界はここにある㉑    世界はここにある㉛
世界はここにある㉒    世界はここにある㉜
世界はここにある㉓    世界はここにある㉝
世界はここにある㉔    世界はここにある㉞
世界はここにある㉕    世界はここにある㉟
世界はここにある㉖    世界はここにある㊱
世界はここにある㉗    世界はここにある㊲
世界はここにある㉘    世界はここにある㊳
世界はここにある㉙    世界はここにある㊴
世界はここにある㉚    世界はここにある㊵

世界はここにある㊶    世界はここにある51
世界はここにある㊷    世界はここにある52
世界はここにある㊸    世界はここにある53
世界はここにある㊹               世界はここにある54
世界はここにある㊺    世界はここにある55
世界はここにある㊻    世界はここにある56
世界はここにある㊼
世界はここにある㊽
世界はここにある㊾
世界はここにある㊿


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