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世界はここにある㊱  第二部

 ロシア・カレリア共和国、ヘリュリャ。 フィンランド国境まで約50㎞のところまで彼は来ていた。一帯は農村でありながら、国有の工場も点在する関係で人口は8000人ほどの人が暮らす。自動車の部品工場の他、農業試験場などがある。南にヨーロッパ最大の湖、ラドガ湖があり、バルト海へも通じている。

「もうすぐ国境だ」
 トラックを運転するロシア人の男が呟く。隣に乗る男が携帯電話でテキストをどこかへ送った。時刻はすでに夜の9時を過ぎている。
 鋼製のコンテナを乗せたトラックは道路灯のほとんどない道をフィンランドへ向け、速度を上げていた。コンテナにはロシア産の農産物が満載されている。ロシアと別の隣国との紛争で国際社会は制裁を科してはいたものの、個々の取引はまだ多く行われている。紛争の当事国は別として、お互いの利益があうところで経済活動は止まらない。経済封鎖など画餅に過ぎない。

 国境の検問所はロシア側とフィンランド側にそれぞれ設けられている。普段の検問所は職員と警備隊の構成でその任を行っているが、ロシア側には国軍が重装備で配置されていた。フィンランド側では特に厳しい検問が行われている様子はなかった。

 ロシア側の検問に着いたトラックは兵士の指示により停止する。道路のすぐ横に重機関銃を据えている装甲の厚い車両が運転手から良く見える位置でその存在を誇示していた。
「こんな時間に配達か、ご苦労なことだな。書類を見せろ」
 どう聞いても丁寧と言えない口調で兵士が要求する。
「ご苦労なのはそちらですよ。祖国の勝利はもうすぐだ。裏切りものや卑怯者が逃げ出さないようによく見張っててくださいよ」
 運転手は書類を渡しながら兵士に愛想を振りまいた。
「身分証を見せろ」
「はい、これが俺で…… おい、早くだせ」
 運転手の男は隣の男を急かせた。
「すみません」
 隣の男も身分証を出す。
「荷物を検めるからコンテナを開けろ」
「へい、わかりました。おい、封印を切ってコンテナを開けろ」
 運転手が男に指示をする。男は助手席から降り、ワイヤカッターを工具箱から取り出し、コンテナの扉にある封印を切ろうとした。
「おい、ちょっと待て、お前だ」
 別の兵士がワイヤカッターを持った男を呼び止めた。
「お前、ロシア人ではないな。おい、登録証を見せろ」
 兵士二人がライトで登録証と男の顔を照らし確認をする。
「これは何と読むんだ、リー……」
「リー・チン・ウー」
「中国人か?」
「はい」
「就労の許可証も見せろ」
「はい」
 男は助手席に戻りバックを取り出し許可証を取り出した。
「お前が雇い主か?」
 兵士が運転手に訊ねる。
「ええ、こいつは俺の嫁の親戚なんですよ。嫁さんは中国人なんですけどね。国にいても仕事がないということで、農村なんでね。それでうちのを頼って出てきたんですけど、最初はもっと若い奴かと思って俺も『いいぜ』と呼び寄せたものの、来たらこんなガリガリのおっさんでねぇ。いもの袋一つも持てやしねえ。でも嫁さんが泣いて頼むもんだから、仕方ねぇということで横に乗らせてるんでさぁ。フォークリフトや農機は動かせるんでねぇ。まあ、我がロシアの友好国のおっさんだし。これが韓国や日本人なら俺も追い返してますけどねぇ」
 運転手の話に兵士は鼻で笑った。
「確認をするから待て」
 兵士は検問に戻り端末からデータベースにアクセスしている。その間、別の兵士は中国人の男に自動小銃の銃口を遠慮なしに向けてへらへらと笑う。
『中国の大統領は何て言うな名だ?』『おい、中国人の女は別嬪か』などと話しかけるが、男はロシア語があまり分からないのか苦笑いを続けるばかりだ。
 コンテナの扉を開けると木製のパレットに丁寧に積まれた野菜などのカートンや穀物の袋などが積み込まれている。検問の職員が形ばかりの書類との照らし合わせを行う。運転手は兵士に見えないように職員に金を握らせた。不正が見つかるのがまずいからではなく、兵士らがそれを超える要求をしてくるのが目に見えているからだ。運転手はコンテナの奥から酒のボトルが入ったカートンを1つ取り出すと、兵士の一人に『我が兄弟たちに』と言い手渡した。
『スパシーヴァ』と礼は言うが、当たり前のようにそれを受け取り自分たちの車両に放り込んだ。

「リンクがつながらん。今日は電波が悪いのかもしれんな」
 確認をしていた兵士が戻りそう言った。
「通してくれないんですかい? 今夜中に向こうへ着かないと朝一の便に間に合わないんですよ」
「悪いが彼の確認が取れんと通せんな」
 兵士はニヤニヤとしながら先ほどの証明書を眼の間で振った。
運転手は同じ酒のカートンをもう二個降ろしてからその兵士に金を掴ませた。
「ああ、丁度確認がとれたようだ。行っていいぞ」
「スパシーヴァ」
 運転手はコンテナをリーに閉めさせ、車に乗り込み検問を通過した。

「フィンランドの検問も同じか」
 リーは運転手に訊ねる。
「向こうは今の倍は渡さにゃならんかもしれませんぜ。今度は入る方だからね」
「データは全て書き換えている。もっとも、そんなものより酒と金のほうがスムーズにいくのがなんとも……」
「人間なんざそんなもんですよ」
 運転手はフィンランド側の検問に入るため徐行しながら言った。

「こんばんは。遅くまでご苦労です。書類と荷物を調べます。身分証明書とパスポートも拝見しますよ」
 にこやかに職員が話しかけ、運転手から書類を受け取り『確認させて頂きます』と言って事務所に入る。
「ほらね、あれだけの笑顔だ。倍はふんだくるつもりでさぁ」
 まあいいとリーは思った。積荷が無事に届けられればそれでいい。無用なトラブルは起こさないに限る。

 同じようなやりとりがここでも繰り返され検問は通過できた。それからトラックはニ十分ほど走ると三台の車とフォークリフトが路肩に止まる三叉路に到着した。リーは運転手に泊るよう指示する。

 リーがトラックから降りると車からも数人の男が降りてくる。運転手は車から降りコンテナを開ける。フォークリフトがいくつかパレットの荷物を取り出し、男達がコンテナの奥にある木箱を解体し始めた。

「ご無事で何よりです」車で待ち受けていた男が言った。
「検問でトラブルになったらどうするつもりでしたんで?」
 運転手が尋ねる。
「この人たちの仲間がずっと周りにいたはず。多少の花火はあがったかもだが」
 リーは、ほっとした表情で答え、紙袋を運転手に渡す。運転手は紙袋の中身を見て眼を丸くしてほほ笑んだ。
「約束より多いようだ」
「生きてるうちに金はつかうもんでしょう」
 待っていた男は丁寧に頭を下げた。運転手も真似るようにお辞儀をし、車に戻る。必要な荷はすでに降ろし、元通りに他の荷は積み戻されていた。

「旦那、中国人は約束を違えない、いい奴ばかりだねぇ」
 運転手はエンジンをかけ、去り際にそう言い走り去った。

「しっかり中国の株をあげてしまったな。共産党から勲章をもらわねば」
「賄賂は重罪ですよ」
 リーが言うと男が笑いながらそう返した。
「サンプルは無事か」
「はい」
 男が木箱から取り出したケースをリーに見せる。
「しかし、よくここまで来れたものだ。もうロシアから生きては出れないと思っていたが」
「ロシアの国境紛争にうまく乗じれました。あなたの消息を探るのにも一年かかりましたし、爆破騒ぎにフェイクニュースと随分と手を講じましたが、ヒスマン家を騙せればクレムリンなどどうにでもなります。ああ、中国もですが」
 男はそう言ってケースをリーに手渡した。

「日本はどうなってるんだ」
「計画が10時間前にスタートしています。残り時間は38時間。日本は間違いなく我々と敵対する道を選ぶでしょう」
「理不尽な要求だからな」
「米国はすでに戦力を集結させています。シナリオ通りです」
 男は車のドアを開き乗車を促した。

「あとはあなたがこの戦いを終わらせる決心を、子供達の未来を守る約束を違えないことですよ。例えどんな罪に問われようとも」

「彼は元気か」
 リーは男に聞いた。
「今は米軍機でワシントンへ向かっているはず」
「彼は日本へ戻ることはもうないのか」
「わかりません。彼次第ですね。いずれ米国は彼が厄介になるはずですが今は敵方に狙われることより米国に身を置く方が安全です」
「そうか……」
 眼を伏せる彼に男はもう一度車に乗るように促す。

「行きましょうドクター・タカヤマ。ミス・ドウヤマを助けなければなりません」

「わかった。フランツにも連絡をとりたい」
「それは我々も手を尽くします」
 一行を乗せた車は空港へ向け走り出した。
 
 
 世界が38時間後へカウントダウンを始めている。その先に待つのは混乱と新秩序のどちらなのだろう。どちらにしてもそれは自分自身が作り出したものの結果だ。高山尚人たかやまなおと教授は車の中でサツキと英人のことを考える。その手には木箱から取りだした小さなケースが抱かれていた。


第二部 完

第三部 対決篇 ㊲へ続く


★この作品はフィクションであり登場する人物、団体、国家は実在のものと一切関係がありません。


エンディング曲

ショスタコーヴィチ 交響曲第5番ニ短調作品47《革命》 第4楽章
サー・ゲオルク・ショルティ ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団



世界はここにある①    世界はここにある⑪   
世界はここにある②    世界はここにある⑫
世界はここにある③    世界はここにある⑬
世界はここにある④    世界はここにある⑭
世界はここにある⑤    世界はここにある⑮
世界はここにある⑥    世界はここにある⑯
世界はここにある⑦    世界はここにある⑰
世界はここにある⑧    世界はここにある⑱
世界はここにある➈    世界はここにある⑲
世界はここにある⑩    世界はここにある⑳

世界はここにある㉑    世界はここにある㉛
世界はここにある㉒    世界はここにある㉜
世界はここにある㉓    世界はここにある㉝
世界はここにある㉔    世界はここにある㉞
世界はここにある㉕    世界はここにある㉟
世界はここにある㉖
世界はここにある㉗
世界はここにある㉘
世界はここにある㉙
世界はここにある㉚


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