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世界はここにある㉓  第二部

「生みの親って…… 君は一体誰なんだ」
 ナオはデスクに置いたタブレットをタップしてからそれを手に取ると、壁に掛けられている大型のモニターを指し『きちんと説明するね』と言った。

 モニターに映し出されたのは父だった。大学進学の頃から父とは疎遠になっていた。帝都大と関係する米国、英国の研究施設をローテーションで回っている父が家にいること自体がほぼなかった。母や妹もそんな父をあきらめて自分たちの生活を築いていた。
 連絡がないではなかったが、親戚が近況を訊ねるようなもので、お互いに何か月分かの出来事を伝え合うようなやり取りの後は『なにかあれば連絡してくれ』と言っていつも父は電話を切っていたようだ。

 妹が小学生、僕が中学に入学する頃まではごく普通の家族であったように思う。僕は父が研究していた遺伝子や再生医療について、友人達が色々なことに興味を持ち、将来の夢を抱くのと同じように考えていた。それはとても興味深くそして神秘的であり、父の研究の成果は世界中の難病を抱える人々の希望になり、そして奇跡を起こしうるものだと思っていた。

 実際、その研究成果は世界中で注目もされていたし、メディアにも取り上げられていた。僕も父と一緒の写真が雑誌に掲載され『将来は父と一緒に研究したい』などとコメントを載せられたこともある。本当にそう思っていたはずだった。

 しかしそのような憧れと尊敬は、ある時期に僕から消え去った。ペットボトルの飲料水のプラスチックラベルをはがすように簡単にはぎとられ、僕の人生から分別されてしまった。

 あの時、父は誰かと口論をしていた。僕が夏休みに父の研究室に見学に来ていた時のことだ。僕が居るのを忘れたかのように、父は訪問してきた男と激しい口論を戦わせた。内容はわからなかった。それを理解する知識は中学生の僕には到底ない。しかし『倫理』『神の領域』『超えてはならない』といった断片的な言葉から、父は相手を諫めているのだと感じた。当然に父は自分が人生を賭している研究を貶めることは絶対にできない。

 父はそう主張している。僕はそう信じていたのだ。

 その数日後、父は急に海外へ発った。そして間もなく英国でクローン人間の誕生の噂がマスコミに流れ、その中心に父がいたのではという話がまことしやかに流れた。

 当然に父は海外からその噂を否定し、そのニュース自体がデマだとした。そしてなぜかこの話は突然にマスコミから消え去り、その後の追求もなかった。母や妹そして僕も含めてそれには安堵したものの、父はそこから急に変わっていく。日本での研究活動を一部に制限し、海外での研究活動にシフトして家に帰ることが少なくなった。

 マスコミを騒がせたクローン騒ぎに、一時、僕の家の周りにも取材が押し寄せることもあったが、それも無くなり平穏が戻った頃に一人の男が母を訪ねてきた。僕は部活が無く二階の自分の部屋で、何をするでもなく窓外を眺めていた時にその男は来た。

 僕はすぐにその男が父と口論をしていた男だと気づいた。そして玄関口で対応する母とその男の話に階段から聞き耳を立てた。

「‥‥‥ご主人は表向きには否定‥‥‥ 息子さん‥‥‥ 病気を治すために‥‥‥ 技術を利用して完成した‥‥‥ 金銭的なことが‥‥‥ 」
「帰ってください! 私は何も知りませんし、そんな事実はありません」
 
 普段、怒鳴ることなどない母が発した悲鳴のような言葉にも、男は動じず捨て台詞のように言う。

「まあ、記事は書きますんで。俺は圧力には屈しませんから、一応、奥さんの否定のコメントは載せますよ。ジャーナリストは一方的な意見だけでは書きませんから」

 そう言い残して男は去った。
動揺していた。
あの男が言った『息子』とは僕のことを指すのか?何かは分からないが僕の中で疑念が生じようとしていた。

 部屋に戻って窓から外を見る。その男はまだ家が、そして僕の部屋の窓が見える所にいた。そしてタバコに火をつけ白煙をまき散らすと、窓からのぞく僕を見つけまた白煙を吐く。そしてタバコを捨てて靴でにじると、もう一度僕にむかい口角をあげたように見えた。

 階段を降り、母の様子をそっと覗き見る。母は泣いていた。あのクローン騒ぎの最中にも僕や妹の前で弱気な態度など一切見せなかった、毅然として無礼なマスコミにも対応していた母が泣いている。

 僕に生まれた疑念がその姿を現すのに大した時間はかからなかった。

 それから数日がたち、あるニュースが流れる。

『フリージャーナリストが刺されて死亡。新宿で暴力団同士の抗争に巻き込まれた様子。警察は自首してきた誠和会幹部〇〇46歳を傷害致死容疑で逮捕した。被害者の△〇さんは文愁社などから著書を発表するなど精力的に活動をしていた社会派ジャーナリストで、最近は海外でのクローン技術の倫理性の問題の取材を…… 』

 あの男が何を書こうとしていたのか、それを母に問う事は出来なかった。僕は忘れることにした。何もかも僕から消してしまいたかった。僕がそれを目指し歩けばよいと、まっすぐにいただきに伸びていた道はある日突然に崩れ、父の姿は得体のしれないものにまかれて見えなくなった。

 それから僕は父と交わらなくなった。本当のことを聞きたかった自分を深い内に押し込んで、何食わぬ顔で家族の一員でいた。そして今、モニターに映る高山教授は僕の父。そしてナオと名乗る子の生みの親でもあるという。

「あなたのお父さん、高山先生は10年前に私を体細胞クローンで誕生させたの。クローンについては知ってる?」
「ああ、わかるよ。家畜では成功している技術だ。そして全世界で人への技術応用は否定されているはずだ。君は10歳なのかな。10年前に生まれたのなら」
 ナオは少し不機嫌そうな顔をした。
「私は牛や豚と同じと言いたい? 命があるという意味では勿論一緒よ」

「いや、ごめん、そんなつもりはないよ。僕と君は同じだよ。僕は32歳の男そして君は10歳の女の子だ」

 ナオはそれには答えず、タブレットを操作する。するとサツキが両親と写る写真が映された。

「どうしてサツキたちの写真が……」
僕は漠然としていた不安がナオの言葉になるのを恐れた。

「そうね、英人さんは認めたくないでしょうけど。私はサツキさんの遺伝子をもっているの」

「待てよ、どうやってサツキの遺伝子を父は盗んだんだ!」
 僕はなりふり構わぬ怒りをナオに向けないように努力したが、発した言葉がナオを傷つけていることを慮るほど冷静ではいられない。ナオはこの組織のリーダー的な存在なのかもしれない。しかしまだ10歳の女の子であることも事実だ。彼女も守られなばならない存在。しかし僕は真実を知らねばならない。

 ナオはポニーテールにしていた黒髪を下ろした。僕ははっとした。中学校の美術室でその横顔を見つめていた。サツキが急にそこに現れたような気がした。

「そうね、英人さんが怒るのは当然でしょうね。でもその結果が私なの。英人さんは知らないだろうけど、サツキさんは小さい頃ある病気の疑いがあったの。遺伝子のバグが問題で発症する危険な病気、症状はさまざまなものがあるけれど、身体に麻痺がでたり、発育不良や臓器不全になり死に至る場合も予想できた」
 
 僕はそんな話は知らなかった。サツキたちが父と以前から関りがあったということなのか。

「知人の紹介で高山先生はサツキさんたちを知った。そして研究中だった未承認の技術を極秘で臨床実験をしたの。何もしなければサツキさんはこの世にすでにいなかった筈。そして奇跡は起こった。サツキさんは完治したのよ」

「その時に遺伝子を?」
 
「そう、その時の治療したサンプルを先生は保存をしていた。そしてそこから私を生み出した。私はサツキさんと同じ遺伝子情報を持ってる。だけど別の人間よ」

「なぜ父は君を……」

「その時は純粋に病気の治療の為の研究としてだったかもね…… でも私は健康に生まれ育つとは限らなかった筈、正直わからなかった。結果、現在では成功してるのかも…… でも将来的にどうかはわからない。それはサツキさんも同じはずだけどサツキさんも命を繋いだ。こんなことにならなければ今頃はあなたの奥さんになってたかもね。でも、私は実験材料のままなの」

 僕は父がサツキを助けた事実をどうやって受け入れたらいいのかがわからない。そして目の前のナオとサツキが重なることを怒りでは防げないことにも気付き始めていた。



㉔へ続く

★この作品はフィクションであり登場する人物、団体、国家は実在のものと  一切関係がありません。

エンディング曲
Alone Again/Gilbert O'Sullivan


世界はここにある①    世界はここにある⑪   
世界はここにある②    世界はここにある⑫
世界はここにある③    世界はここにある⑬
世界はここにある④    世界はここにある⑭
世界はここにある⑤    世界はここにある⑮
世界はここにある⑥    世界はここにある⑯
世界はここにある⑦    世界はここにある⑰
世界はここにある⑧    世界はここにある⑱
世界はここにある➈    世界はここにある⑲
世界はここにある⑩    世界はここにある⑳

世界はここにある㉑
世界はここにある㉒


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