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世界はここにある㉞  第二部

 横須賀ベースは米海軍第7艦隊の母港である。原子力空母ロナルドレーガンと第五空母航空団を主力として、東アジア地域を中心として太平洋全域を活動地域とする米海軍最大の第7艦隊の司令部がここ横須賀に置かれている。フレンドシップ・デーと言われる基地の一部が一般公開されるイベントが毎年開催されており、僕は数年前に会社の友人と一度行ったことがある。その時に岸壁から見学できたのが旗艦『ブルー・リッジ』だった。

 今、僕はその艦上に降り立った。ヘリから降りてすぐに球状の巨大なレーダー設備が眼に入る。ヘリの離着陸ポートの周りには観光船のような手すりなどなく、端を歩けなどと言われれば足がすくんでしまうだろうが、兵士たちは当たり前のように機敏に動く。
 通常なら僕がこの足でこの甲板を踏み歩くことはない。停泊するこの艦艇に僕の居場所などあろうはずがないのだ。頬に受ける潮風は間違いなく横須賀に吹く風だが、僕が立つこの場所は日本ではなかった。
 
 艦の端部には僕の身長ほどもある銃身の機関砲が並ぶ。整備をする兵士はひと時も手を止めることはない。周囲の兵士たちの緊張感を感じながら、武装した海兵隊員に連れられてブリッジまで歩いていく。
 一瞥はあっても、物珍し気に僕をみる水兵など一人もいない。彼らが見ているのは自分がすべき目の前の仕事だけだ。今、この瞬間に戦争が起こり、敵弾が己の頭をかすめる事態となっても、彼らはその視線を目標から外すことはないだろう。

 分厚い鋼板の扉をくぐり、狭い階段を何回か上って10人ほどが入れるであろう部屋に通された。そこには制服姿の軍人が3名、僕を待っていたようだった。

「ミスター・タカヤマ。ブルー・リッジへようこそ。こちらはロバート・タイラー大将、米第7艦隊の司令官です」
 通訳らしき軍人が日本語で紹介をしてきた。
「英語は話せますか? 私が通訳として立ち会うことができますが」
「通常の会話なら問題ありません。ただ、わからない言葉もあるかもしれませんので居ていただけるとありがたいです」
「わかりました」
 通訳がその旨を話したあと、タイラー司令官はみずから握手を求めてきた。
「ようこそ、タカヤマさん。お待ちしていた」
「すみません。僕はまだこの事態がよくわかっていません」
 僕はそう言いながら彼の握手に応えた。
「どうぞ」僕は会議卓の席を勧められた。眼の前に司令官、通訳とそして名乗らぬ軍人が1人、僕を挟むように座った。

「これからあなたは我が国の保護下に置かれる。勿論あなたの人権は尊重され安全も保障される」
「それはあなた方に協力すればという条件が付いた上でということですね」
「ほう、君とは初対面だし失礼とは思うが、随分と頭の良い方だ。では早速本題に入るとしよう」
 タイラーは卓の上にあるファイルを開き、僕を見据えて話し始めた。

「君の父上の仕事は知っているね」
「研究者です。遺伝子に関する研究をやっていました」
「現在もだ」
「そのようですね。でも父とはもう5年以上あっていませんし、連絡も電話が家族にたまにある程度です」
「そのようだね」
 タイラーは僕の状況を全て知っているような口ぶりだ。
「父は今、どこにいるのですか」
「ドクター・タカヤマは一時、我が国の同盟国の研究施設で仕事をしていた。しかし現在は我々の保護下にはない」
「どこに?」
「これは未確認ではあるが…… 東側陣営に幽閉されている可能性が高い」
「わからないということですね」
「我が国の機関が全力で調査をしている。一年前はロシアにいたことがわかっているのだが、その後は足取りがつかめていない」
「父はなぜ誰かに捕まっているのですか、父は何をしていたんですか」
「それは君に関係のある話になる。そのことはわかっているね」
「僕が誰かのペアである。つまり僕の遺伝子が何かの為に重要だということですね」
 僕がそう言うとタイラーは本当にびっくりしたような表情をしてこれは参ったというような仕草をした。

「君は本当にスマートだ。なら、そこから話を進めよう。ただし、私も米国の一軍人であるから、許可されていない国家機密を話すことはできないし、私自身も知らないことはある。それは了解してほしい」
「承知しました」
「君の父上は資料によると10年前に人体クローン技術を完成させた。ある女性の遺伝子治療を行う過程でヒントを得て完成させた技術だ。しかしそれは羊のドリーとは違う。つまり単に細胞のクローンから別の人間を生み出しただけではなかった」
「それだけでも倫理的に許されないし条約違反だ」
 僕は思わず日本語で叫んだ。通訳がすぐにタイラーへ伝えた。
「それは今は主題ではない」
 タイラーは諫めるように言った。

「専門的なことは私には説明ができないが、その技術を使えば新たに同じ人間を何人でも作り出せる」
「それは無理ですよ」
 僕も専門ではないがある程度の知識はある。
「クローンは同じ見た目の人間を生み出せる。しかし人間は成長する過程で受ける教育や育った環境に大きく左右される。ツインズでも性格が違うのと同じで全く同じ人間というのは無理なんです。ロボットではないんです」
「だが、父上はそれを可能にするアイディアを持っていた」
「まさか……」
「ただ、それはアイディアだけで、さすがに父上はそれを実験はしなかったようだ」
 
 僕は正直、安堵した。ナオを生み出した時点で父は許されない行為をしている。だが、タイラーの言ったことにまで手を染めてしまったら、父は何万年もの人類の歴史に終止符をうつ最後の悪魔になっている。

「それを悪用しようとする誰かに捕まったということですね。そしてそれは米国の仮想敵国である国の組織」
「君は全くもって素晴らしい。さすがドクター・タカヤマの息子さんだ。なぜ、父上と同じ研究者にならなかった?」
「その言葉は僕にとって非難されるのと同じことです」
 タイラーはかぶりを振り『自分の才能は大切にすべきだ』と言ってから続けた。
「敵国は、その技術を応用し科学兵器をも量産しようとした。それは戦争で使ういわゆる細菌兵器の類ではないものだという」
「どんなものなんですか」
「それは私からは説明できない」
「なぜです」
「安全保障上の機密事項だ」
「なら、質問を変えます。父の研究を悪用しようとした連中はそれを成功させたのですか?」
「そうだ、だから我々も対抗処置を講ずる必要があった」
「その事実はわかります。そのために父を取り戻す必要があるということですか」
「君には気の毒だが、その必要性はない」
「では、米国はすでに対抗処置はできていると」
「ノーコメントだ」
「僕は…… 僕はなんのためにここへ連れてこられたのです」
「最近になって判明したことなのだ。そこから君の運命は変わったといえる」
 僕は最初に公園でナオに会ったときのことを思い出した。もう随分と前のような気もするが実際には一週間ほどしか時間は経っていない。

「その対抗処置にも、当然だが敵側にも君は重要な存在となった」
「それは僕だけではないでしょう。本当は」
「君はどこまでわかっているんだ」
 タイラーは両手を拡げこれはお手上げだとこぼした。
「ミス・サツキ・ドウヤマ。彼女と君がとても重要になった。そしてこれは偶然であったのだがミス・ドウヤマは2年前に敵側の手に落ちている。これは君の父上が指示をしたことだ」

「嘘だ……」

 僕は父を憎んでいる。それはナオという少女をサツキから生み出してしまったことについてだ。そしてそれが元になり、彼女が事件に巻き込まれたことについて。だが、心の奥底では僕が知らない病気で苦しんでいたサツキを救ったことの事実は、父の人間としての哀愍あいみんの情からだと信じたかった。それまでも父は裏切ったのか? 

「ドクター・タカヤマがなぜミス・ドウヤマを拉致させたのかは分かっていなかった。しかし彼女を彼が身近に置かなければならない理由の一つは間違いなく君が大切だということと一致する」

「それは僕らの遺伝子。多分、僕らの遺伝子は父が最初に組み立てたプランの基になっているんだ。そしてそれは数限りなく全く同じものを作られていた、いや、作られるはずだった。しかしどこかに綻びが生じた。そして誰かが作ったクローン技術が元になった生物兵器? はその対抗処置としての、例えばワクチンを作るうえでどうしても必要になる。それも僕らが存在しないとできないような何かが秘められている……」
 僕は絶望の淵に足をかけ始めていた。

「私が言えるのは君たちがいなければ我々は滅びるかもしれないという事だけだ。そして君たちを保護した側は必ず勝つ。そしてこれからも繁栄するということだ」

「僕とサツキは核兵器と同じだという事ですね」
 絶望は目の前に果てしなく広がりつつある。

「正確にはもう二人。『ダヴァース』を率いるナオというクローンの少女、そして君のペアの存在」

「僕のペアは誰なんですか、わかっているんでしょう」
「それもノーコメントだ」





㉟へ続く


★この作品はフィクションであり登場する人物、団体、国家は実在のものと一切関係がありません。


エンディング曲

Elegie Op. 3 No. 1
Sergei Rachmaninoff 


世界はここにある①    世界はここにある⑪   
世界はここにある②    世界はここにある⑫
世界はここにある③    世界はここにある⑬
世界はここにある④    世界はここにある⑭
世界はここにある⑤    世界はここにある⑮
世界はここにある⑥    世界はここにある⑯
世界はここにある⑦    世界はここにある⑰
世界はここにある⑧    世界はここにある⑱
世界はここにある➈    世界はここにある⑲
世界はここにある⑩    世界はここにある⑳

世界はここにある㉑    世界はここにある㉛
世界はここにある㉒    世界はここにある㉜
世界はここにある㉓    世界はここにある㉝
世界はここにある㉔  
世界はここにある㉕
世界はここにある㉖
世界はここにある㉗
世界はここにある㉘
世界はここにある㉙
世界はここにある㉚


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