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世界はここにある㉖  第二部

「どこへ行くんです」
 三佳を抱きかかえるようにして部屋を出た僕は、先を行く男の背に訊く。
「説明は後で」
 
 部屋から出てさらに伸びる通路を進むと両開きの鉄扉の前に行きつく。男がロックを解除し扉を開け放つと、そこには最初に入った倉庫に匹敵する大空間があった。何台もの車両が並び、大型のトラックも数台ある。フォークリフトが頑丈そうな木箱を積み込んでいる。
ナオがいたスペースとは違い、ここは屈強な男達が様々な作業をしている。彼らが大規模な移動なり何らかの行動をしようとしているのだと思った。

 濃紺のバンに乗せられた僕らは、車の中で少し待つように言われた。三佳は右足を痛めているのか少し庇う様な仕草をしている。
「足…… 大丈夫ですか」
「大丈夫よ」
 そう言えば僕もあちらこちらが痛かったはずだがすっかり忘れていた。
矢継ぎ早に飛び込んでくる僕の知らない事実は、鎮痛剤よりも僕の感覚を麻痺させているのかもしれない。

「ひでくん」
 三佳が僕の手に自分の手を重ねて続ける。さっきより少し暖かく感じる三佳の手。僕はこんな時に彼女を感じている自分に少しうろたえる。

「仮にサツキがあなたのところに戻ってきたとして、あなたはサツキをどうしたい?」
 僕は彼女の質問の意味が分からなかった。
「仮にって、まるで彼女が戻らないこともあるような…… 今は絶対に取り戻す。それが一番の目的だから。とにかく無事に……」
「私はサツキは死んだって言ったわよね」
 三佳は僕の方を見ず、重ねた手だけを見つめていた。
「僕はサツキが生きていると、今もどこかで捕まっていて……」
「聞いて」
 三佳は僕の言葉を遮る。

「あのは生きている、そうかもしれない。けど、サツキが私に話した、あの娘が日本に帰ってやろうとしていたこと、やり直したいと思っていたことを、それを私が原因で全部奪ってしまったの…… サツキはもう、以前のサツキには戻れない。生きていても」
 
 重ねた手が震えていた。彼女の自責の想いは僕が感じる以上に重いものなのかもしれない。サツキがさらわれて二年もの間、彼女はそれを拷問で抱える石のように抱き続けたのだろう。一方、僕は先週までサツキのことを遠い記憶の端に追いやっていた。すぐには開けることができない、そしてなるべく目立たない箱の中に閉じ込め、偶然にも心に触れないようにしていたのだ。

 大学の時に付き合った人はいた。サツキに何処か感じが似通った人だった。一度だけその彼女を抱いたけれど、隠していたサツキを取り出して汚しているような気がして僕の方から離れていった。それからサツキはずっと隠れて居る。僕の中で。そして僕自身もやはり何かから隠れていたのかもしれない。それがいきなり、到底信じることができない世界の中に僕は放り込まれ、三佳からサツキの名を聞き、僕は隠れていたところからサツキを抱えたまま飛び出さざるを得なくなった。けれどそれはサツキへの想いからだけではないような気もする。

「三佳さん、自分一人ですべてを背負うのはやめにしましょう。今はサツキを取り戻すことだけを。確かに本当の味方なんかいないのかもしれない。けど、僕らは誰と手を組もうともサツキを取り戻さなきゃいけないと思うんだ。やり直すのはそれから。サツキも、三佳さんも…… 僕も」

 車の扉が開く。手当を受けた坂崎が乗り込んできた。
「おっ! 三佳、無事だったか!」
「坂崎さん!」
僕を真ん中にして窮屈そうに坂崎と三佳が抱擁する。三佳の顔にほんの少し笑顔が戻っている。何時間かぶりに心が和んだ。まさにほんの一瞬だが。

 勢いよく運転席と助手席のドアが開く。桜木と部下が乗り込んできた。
「出発します」
 フロントから見える目の前の大型のシャッターが開き車のライトにスロープが映される。僕らを乗せた車の前に何台かの車両が先導する。後にも車は続くようだ。急ぎスロープを昇るとまた大型のシャッターが開いていた。
飛び出せば僕たちはまた現実の外の世界に戻るのだ。それは僕の知っていた世界ではなく、僕がこれから知らなければならない世界だ。

「どこへ行くんかは、答えてくれんのやろ」
 坂崎が桜木に訊く。
「いいえ、答えますよ」
 桜木はルームミラー越しに言った。
「どこや」
 坂崎は続けた。僕は無意識に三佳の手を握っていた。

「これから皆さんをスイスにお連れします」
 僕らはお互いに眼を見合わせた。三佳は手を握り返す。
「スイスから陸路でドイツを経由しベラギーに向かいます」
「そこにサツキはいるんですか」
僕は桜木に訊いた。

「サツキさんの身体はベラギーにあります」
 僕はその答えの不自然さが腑に落ちなかった。
「ほんとのサツキはどこなの?」
 三佳は僕が口にできなかった言葉を吐いた。

「それはナオさんしかわかりません」

 車はいつの間にか何台かずつ道を分かれて走り去っていった。僕らはどうやら調布飛行場を目指しているようだ。そこからスイスへ行ける筈もないが何らかの手段を彼らは持っているのだろう。

「三佳さん、ほんとのサツキって、どういうこと?」
 僕は思い切って三佳に訊いてみる。

「サツキはベラギーのどこかにいる。でもサツキの心とか思考はその場所にはいないかもしれない。わかる?」
 三佳はそう言った。
僕は以前に読んだ科学記事を思い出した。
「量子脳理論ですか?」
「さすが高山教授の息子さんだ」
 桜木が先に口を開いた。

「でもそれはあくまでも仮説ですよね。マイクロチューブルでの量子効果は一部認められることはわかってるけど、意識そのものの発生や伝達との関係はまだ立証されてない」
「お前ら、何の話してんねん。俺に解るように喋れ!」
 坂崎は自分が理解できない話が始まり説明を求める。
「量子力学だもの、一般人には夢物語よ」
「けっ、俺なんかは門外漢もいいとこや」
 三佳のなだめにも彼は不満そうな顔をやめない。

「坂崎さん、幽体離脱ってあるでしょう?自分の身体から意識だけが抜け出るってやつ。簡単に言えばあれを科学的に証明できてって感じよ。ただし本当に実証できたんならということだけど」

「サツキ自身は何処に移動しているかわからない? 抜け殻だけがそこにあるということ?」
「そんなオカルトみたいなことほんまにあるんかいな。できるんか?」
 僕が訊くと坂崎も身を乗り出して三佳に訊ねた。
「わからないわ。行ってこの目で確かめないと。けど私達ではそんなサツキを連れて帰っても植物状態の人間を連れて帰るようなものよ。なにもできない。できるとすれば……」

「父ですね、たぶん……」
 
 僕は三佳が「サツキは死んだ」と言っていた意味がようやく分かった。そして僕をこの世界に引き込んだ理由のひとつも。

「ナオはなぜ僕らに手助けをするんです? サツキを取り戻せば自分たちの戦いが有利になる。それだけなんですか?」
今度は桜木に訊いた。

「それは私が答えられる質問ではないですね、ただ……」
「ただ?」
「あなた方はサツキさんを取り戻す。私達は別のものを取り戻すとだけしか言えません。ナオさんがいずれそれを明らかにしますよ。そして我々の共通の敵が誰なのかもね」

「あと10分で着きます」
 運転する男が桜木に報告する。
桜木は携帯端末を取り出し指示をだす。
「あと10分で着く。すぐに発つから準備をぬかるな。万一の場合はプランBでいく。その時は機を爆破しろ」
そう言って桜木は携帯を切ると、またミラー越しに僕らに言った。
「多少の銃撃戦があるやもしれません。この車は防弾仕様ですが、我々の指示に従い勝手な行動はとらないでください」
「銃撃戦? そんな、ここは日本やで」
 坂崎はまた身を乗り出し桜木に突っかかる。
「さっき刺されたのは忘れましたか」
「ナイフと銃の撃ちあいは違うやろ」
「こんどはチンピラ相手ではないというだけですよ」
「ほ…… ほな、誰やねん」

「戦いのプロが動き出したんですよ。日本でも」
「プロって誰やねん」
「内調と警察、それだけならどうってことありませんが」
「警察がいきなり鉄砲ぶっぱなしたりするわけないやんけ」
坂崎は興奮気味に桜木に言った。

「ナオさんが別動隊を率いて動いています。相手は横須賀ですから」
「横須賀って…… おまえ、まさか、米軍やんけ、米軍が日本のなかで軍事行動なんかするわけないやろ」
「自衛隊との合同演習中ですよ」
「お前ら、ほんならそれなら、警察と自衛隊と米軍相手に戦争でも始める気なんか!? この国で? お前らなに考えてんねん!」

「坂崎さん」
坂崎と変わって落ち着いた口調で桜木が話す。
「私達は戦います。目的のために。相手が誰であれ」
「あほか! そんなこと絶対に無理や! 頭おかしいやろお前ら、ふざけんな!」
坂崎は口角泡を飛ばし、桜木の座る助手席を後ろから蹴った。

「坂崎さん、戦いはとっくに始まっているんです。あなたが知らないだけで、そしてこれは必要な戦いです。あなた方の為にも」

「ボケ! そんなもんはお前らの勝手すぎる理屈じゃ!」

 いつのまにか、そして当然のように僕らは後戻りできない所にいる。
彼らなりの正義はあるかもしれないがそれは戦いを正当化する口上に過ぎない。
戦争となればそれは悪でしかない。
だが必要か不必要かの選択に、サツキを取り戻すためには必要とするしかないのかもしれない。
僕はすでに決断していたのだし。

 僕はまた道を誤る。わかっていながら。



㉗へ続く


★この作品はフィクションであり登場する人物、団体、国家は実在のものと  一切関係がありません。

エンディング曲
Bob Dylan - Masters of War 


世界はここにある①    世界はここにある⑪   
世界はここにある②    世界はここにある⑫
世界はここにある③    世界はここにある⑬
世界はここにある④    世界はここにある⑭
世界はここにある⑤    世界はここにある⑮
世界はここにある⑥    世界はここにある⑯
世界はここにある⑦    世界はここにある⑰
世界はここにある⑧    世界はここにある⑱
世界はここにある➈    世界はここにある⑲
世界はここにある⑩    世界はここにある⑳

世界はここにある㉑
世界はここにある㉒
世界はここにある㉓
世界はここにある㉔
世界はここにある㉕


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