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世界はここにある㊼  第三部 

 1918年から1921年頃、今から100年ほど前に大流行したインフルエンザ、所謂『スペイン風邪』は世界中で猛威を振るい、当時の死者数は5000万人とも1億人ともいわれる。その当時の日本の人口が約5600万人と記録があることをみれば、一国が全て死に絶えるほどの恐ろしい感染症であったことがうかがえる。人類はその後、医学、薬学の進歩により数々の病に挑み、成果をあげてはきた。
 しかし今回の感染症は100年前以上のスピードで全世界に拡がり、その感染者数も死亡者数も指数関数的に増え世界を恐怖に陥れた。それぞれの国が交流を断ちパンデミックを抑える対策を実施したが変異体の出現スピードも速いこのウィルスの増殖を抑えることができず、世界は協力してウィルスとの闘い方を模索する。そして今までの医学、科学の常識を覆すワクチンをあるグループが開発しその製作のすべてを全世界に公表するという行動にでた。

 世界はこの姿勢を評価し、そのデータをもとに世界中の製薬会社、研究室がワクチンの量産に着手。その甲斐あって、恐怖の感染症は徐々にその数を減らしていき、パンデミック重度指数もカテゴリーを世界的に落とすところまで落ち着く。そして世界の平穏が戻ったように思えた。

 しかしその裏にはロセリストが主導する米国、西側諸国の一部。そしてヒスマンが関係する東側の大国、それぞれがそのワクチンの中にナオのフラクタルの改良型を利用したことを、世界の人々は知らない。
 一部、その中身に疑問を呈する科学者はいた。しかしその声は健康を回復し、経済活動をパンデミック以前に戻す国と人々の圧倒的な勝利宣言の前に、陰謀論と揶揄され消えていく運命を辿った。実際に反対行動に出た幾人かの科学者や医者が行方不明となる事件が20秒ほどの時間でニュースが流される。しかも芸能人や政界人のゴシップニュースに隠されて。
 そしてその後に実施された平和のスポーツ祭典に人々は視線をそらされ、大国は懸案事項を武力で解決するところまで「世界は戻って」いたのだった。

 高山尚人教授はそのことを当然に知っていた。彼が生み出したナオの遺伝子がワクチンに使われていることは、ある一点を除きすぐに理解できた。それが何を意味するのかも。

 ベラギーの秘密施設で研究を続けていた高山は、その一点部分の考察を続けていた。そして解けない、いや、解きたくない謎の正体を露わにしつつあった。データの前で苦悩する高山をフランツ・シュナイターはどうサポートすればいいのか迷っていた。

「ナオト、君の中ではすでに結論はでているのだと私は思う。同じ研究者としてこれは間違いない。君以上の科学者が存在することはありえない筈なんだ。こんなことが実現できるのは君しかいない。しかし君はこれにかかわっていない。なら……」
「そうだ……」
 高山は一言だけ呟く。
「彼女だろう?」フランツの問いかけに高山は小さく頷いた。

 高山は椅子の背に深くもたれ、白に統一された天井パネルを見上げる。高山の眼には白いキャンバスにどんどんと小さくなっていく無数の三角のギャスケットの図が見えていた。そしてその三角の一つにナオが閉じ込められている。何かを叫んでいる。その叫びは尚人に聞こえない。それでもナオは同じ無限の相似した監獄の中の一つで繰り返し叫んでいた。

「フランツ、君の推察を聞きたいんだ」
 高山は目を閉じるがフランツに向き合うことなく、そのままで彼にそう言った。
「私の意見など君には必要ないだろう。君は全てわかっている筈だ」
 高山は目を閉じたままで返答はない。フランツは尚人が答え合わせを望んでいるように感じた。

「彼女、ナオは君の研究を引き継いだんだろう。そして彼女を今、支配している権力者の為に、自らのフラクタル遺伝子を利用して成果をあげた。多分感染症の元のウィルスはこの技術を応用して生物兵器として開発しようとした矢先の失敗作が流出してしまった。これが真相だろう。一方、このパンデミックを抑えるためのワクチン。これも彼女の中から生まれたものに違いない」
 高山はまた、小さく頷く。

「だが、君が調べたデータと私が君から得た知識、ロイのデータを考察するとこれには大変な罠が仕掛けてあるように私は思う」
 フランツの言葉に高山は背もたれから身体を起こす。そしてモニターのデータを凝視した。

「今まで得たサンプルの数が少なすぎて不明確な部分が多いが、恐らくこの推察は正しい」
 フランツは一度、言葉を区切ってから続ける。
「ナオのサンプルと感染症ワクチン接種者のサンプルが量子もつれのような現象を起こしている」

「そうだ」今度ははっきりと高山は答えた。
「それがもたらすことは……」フランツはその先を口にできない。

「ワクチン接種者の全てが、加工されたフラクタルを今後増殖させる。無限に、それは子孫にも受け継がれ、思考にも影響する。そしてそれをナオは操れるようになる」
「真の支配者に彼女は…… なるのか?」
「あるいは彼女を利用する者たちがそうするかもしれん」

「止める方法はあるのか?」
「今の私には難しい、ある部分でナオは私を越えている。私の能力が及ぶかどうか……」
「どうすればいい、可能性としてある選択肢は」
 高山がフランツに正対する。その目に悲しみが浮かぶのをフランツは見た。そして彼は自分の今までの罪をどう償えばいいのか分からないでいるのだろうとフランツは思った。

「一つはナオのフラクタルを別のものに組み替える。それは元のサツキが必要になる。そして英人もまた必要になるかもしれん」
「ヒデトのサンプルはロイから…… ヤンから取り出せるのではないか」
「それはそうだが、多分ロイはこれから完全体に変わると思う。英人のオリジナルではなくなるだろう。ヤンもわからない」

「サツキさんは?」
「彼女は来月、ベラギーで行われるテクノロジーシンポジウムに取材チームの一員としてやってくる」
「君が僕に取材を受けてやってくれといった日本のチームのことか?」
「ああ、そのチームのなかにサツキがいる。実は日本の妻からサツキが君にアポを取りたがっていると以前に聞いていた。私は現状を説明は出来ないでいたが、その件だけはOKとして君に頼んだんだ。あとは君の知っている通りだ」
「驚いたよ、まさかそんな形でミス・サツキ・ドオヤマに会えるとは……」
「あくまで、チームの一員としてくるだけだ。彼女には私がどこかのタイミングで隠密に接触する。君は何も事情を知らないということにしてほしい。そのほうが彼女の正体を探られずに済む。彼女のことはジェームスすら知らない」
 フランツはわかったと伝え、別の答えを聞かずに彼の前をあとにした。それを聞いてしまうのはあまりに残酷であると想像できたからだ。

「ナオを消滅させること。それをできるのはおそらく私だけだ……」

 高山は崩れそうになる身体を両手で机を掴み支える。ナオ、お前は私を憎んでいるのか? それとも……

 そして運命は彼らを弄ぶように、絡み合ったままに全てを押し流していく。

 


 ㊽へ続く


★この作品はフィクションであり登場する人物、団体、国家は実在のものと一切関係がありません。


エンディング曲


April Come She Will  Simon & Garfunkel


世界はここにある①    世界はここにある⑪   
世界はここにある②    世界はここにある⑫
世界はここにある③    世界はここにある⑬
世界はここにある④    世界はここにある⑭
世界はここにある⑤    世界はここにある⑮
世界はここにある⑥    世界はここにある⑯
世界はここにある⑦    世界はここにある⑰
世界はここにある⑧    世界はここにある⑱
世界はここにある➈    世界はここにある⑲
世界はここにある⑩    世界はここにある⑳

世界はここにある㉑    世界はここにある㉛
世界はここにある㉒    世界はここにある㉜
世界はここにある㉓    世界はここにある㉝
世界はここにある㉔    世界はここにある㉞
世界はここにある㉕    世界はここにある㉟
世界はここにある㉖    世界はここにある㊱
世界はここにある㉗    世界はここにある㊲
世界はここにある㉘    世界はここにある㊳
世界はここにある㉙    世界はここにある㊴
世界はここにある㉚    世界はここにある㊵

世界はここにある㊶
世界はここにある㊷
世界はここにある㊸
世界はここにある㊹
世界はここにある㊺
世界はここにある㊻


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