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世界はここにある㊿  第三部 

 ロセリストが手配したプライベートジェットはあと2時間ほどで羽田に着く予定だ。到着は日本時間で夜の10時を回る。彼女に日本での記憶はほとんどない。早くに高山に連れられアメリカに来た。いかにナオの頭脳が常人を超越しているとしても、赤子の時の記憶を鮮明に思い出すほど彼女の頭脳は完成されていない。しかし高山教授の顔や誰だかわからない女性の笑顔はな印象にある。空気の匂い、アメリカとは違う街並みや色彩。それは記憶というよりもデータベースから見た日本の情報に彼女が感覚として結び付けた故郷への憧れのようなものかもしれなかった。
 
 ナオは到着後すぐに先発隊が用意した拠点へと移動する予定だ。横浜に近い場所でその施設は用意された。日本人の部下も精鋭を準備できている。まずは諜報活動を指示し、ネットワークシステムのチェックをしなければならないがそれほど大仕事だとは思っていない。日本の中枢に忍び込むのは容易い。ロセリストとナオの能力が重なれば、日本の全ては彼女のタブレット一台でいかようにもデザインできる。そして世界最強の米国海軍が駐屯する国、そこに拠点を作ることは単なるステップに過ぎない筈だ。

 日本の自衛隊レンジャー出身、除隊後私兵としてアフリカで内戦の地獄をくぐった経験のある桜木は、その経験と実力からナオのボディーガードとして1年前から行動を共にしていた。まだ小学生の年齢でありあどけなさの残る彼女に、当初はその知識、能力、判断力などに驚かされることの連続であった。彼がナオに指導できるとすればそれは戦闘訓練だけであったろう。だがそれも銃器や爆発物の取り扱いなど、その小さい身体でなぜこんなことができるのかとまた驚かされながら、彼女は自分が守るに値する存在であることを確信していった。
 
 そして今、桜木は彼女と一緒に日本へ向かっている。日本でナオを支えダヴァースを築き上げる。自分の娘のような年頃の彼女に、いつの間にか忠誠を誓う自分がいることにも疑いはない。天帝が作られし子が存在するとすれば彼女しかいない。そう彼は信じていた。

 桜木は到着後の移動ルートの最終チェックをしていた。あと2時間はかからないで、羽田に着く。彼自身も数年ぶりの日本への帰国に少々胸が躍っている。すぐに会う事はかなわないであろう母のことを考えていた。任務が一段落したら短い時間でも会いに行きたい。
 そんな思いを巡らせている時、眠っているように見えたナオが突然頭を抱え、座席から滑るように床へ落ちた。

「どうしました? ナオ、どうした!」
 慌てた桜木だがすぐに近寄り彼女の肩に腕を回し抱き起す。蒼白な顔色に苦悶の表情を見せるナオ。桜木は後部キャビンのメディカルスタッフを大声で呼ぶ。
「大丈夫、桜木さん。大丈夫です」
「ナオ、ナオさん、どうしたんです。具合が悪いのでしょう?異常があるなら言って」
「……大丈夫、一瞬だったから、今は…… 大丈夫」
ナオは桜木の肩を借り座席に座り直した。桜木の声にメディカルスタッフが集まり、彼女の状態をチェックする。一応の正常が確認されたが急な状態の変化に皆は心配そうにナオを取り囲んだままだ。

「疲れているんだろうが……」
 桜木は呟くがナオはそれに首をふった。
「急に頭が…… 痛いというか…… そう焼けた鉄の棒で差されたような」
「そんな頭痛は尋常じゃない。引き返そう。日本ではまだナオさんの医療体制がととのえられていない。おい、ドクター・ブリュスコワに連絡しろ」
 桜木の指示に部下が動こうとした。
「待って! もう大丈夫だから」
「しかし……」
「桜木さん、本当に大丈夫なの。これは私の健康問題ではないわ」
 ナオはスタッフが薦めた水を一口飲み、桜木にそう言った。顔色は先ほどに比べ少し赤みが戻り落ち着いたように見える。

「私も自分でびっくりしました。夢を見ていたように思うけど、急に頭にショックがきて」
「とにかく、まだ2時間くらい到着までかかります。背をもう少し倒して休んで」
「ええ、そうします」
 ナオは身体を休める。桜木は隣で彼女の様子を暫く見ていることにした。「ねぇ、桜木さん」
 眼を閉じたままのナオが声を掛ける。
「どうしました?」
「ごめんなさいね」
「どうして? 謝る必要なんかありませんよ」
「びっくりしたでしょう? 私もだけど」
「少しね。もう大丈夫そうだね」
 桜木はそう言いながらもナオの変化を見落とすまいと見つめる。彼女の横顔には少女と大人が混在するように感じた。
「あれは…… きっと誰かがひどい目にあったということだわ」
 ナオは思い出したかのようにそう言った。
「誰なんです?」
「分からない。けど、きっと私と関係がある人だと思う。私と同じものを持つ人」
「感じたんですか?それを」
「そう。確かに感じた」
「でも、君じゃない」
「そう、私じゃない。けれどこれは私に何かを伝えたんだと思う」
「助けてほしいとか?」
「そうだと思う。けど、きっともう間に合ってない」
「間に合ってないってなにが?」
「衝撃と共に何かが一つ消えたの」
「これから探そうとする人のことですか」
「分からない……」
 ナオはそれ以上は口にしなかった。そしてロイのクローンが暗殺されたことを知ったのはそれから3日後のことだった。彼女はこの事件のことを徹底的に調べるよう桜木に命じた。

 孤独の中にいつも生きてた。誰がそばに居ようとも。けれど突然に自分以外の誰かが深い意識の中に訴えてくる。それは哀しみが一番近いものだと感じる。なぜ私は生まれねばならなかったのだろう。なぜ私は生きなければならないのだろう。


☆☆☆☆☆

 
 ヤンの住まいを訪ねた高山だが、その家には誰もいなかった。つい先ほどまで家族らがいた痕跡はあるものの姿は見えない。ヤンと彼を預かっている夫妻の行方が分からないことは高山の疑問をさらに大きくした。
何かがあった。それにはポールが絡んでいる。そしてサツキらに対するポールの態度。彼女は何かを知っているに違いない。高山はサツキを思い切って訪ねることを決意した。

 フランツの協力を得て、彼女らがフランツにインタビューをする時間を聞いた。その後彼女らが滞在するホテルに直接訪ねてみることにする。ポールに聞けば簡単にそのホテルはわかるだろうが、彼に尋ねるわけにはいかない。彼女らに接触するのは秘密にしておかなければならないだろう。フランツは上手くその情報を得て、高山に伝えた。

 翌日、高山は車をホテルから離れたところに停め、歩いてホテルに近づいた。入り口が見えた所で高山は思わずコーヒースタンドでカップコーヒーを買う客の陰に隠れる。ウォルフがよく連れていた警護の男たちが5~6人、車から降りてホテルの入り口に入っていくのを見たからだった。

 今、ここで乗り込むのはマズい。そしてその勇気も高山は持たなかった。様子を伺いながら手の中のコーヒーは冷めていく。スタンドの若い店主は訝し気に時折高山を見つつも『暖かいのをいれようか』と声を掛けてくれる。高山は丁寧に礼を言い、新しいコーヒーをもらった。彼の次にコーヒーを買った初老の男が『これを入れるとうまいよ』と言ってジャケットの内ポケットからブランデーのポケット瓶を見せた。『ありがとう』と礼は言うが視線は入り口を外さなかった。それを飲み干した頃、先ほどの男達が出てくるのを見とめた。

 数人の男らは停めていた車に乗り込み素早く立ち去った。しかしそのうち2人が残って別の車からホテルを監視しているように見えた。高山はまだ中にも彼らの仲間が残っているかもしれない不安を抱きながらホテルの裏口に回り関係者のふりをしてバックヤードからロビーに入り様子を伺った。

 フロントやロビーに慌ただしさは感じず、少なくとも騒ぎがあったようではない。彼女らに危害を加えるとすれば、先日、ポールが彼女らを呼び、また帰した事実にそぐわない気がする。それは自分が最悪の結果を見たくない気持ちからそう思いたいだけなのかもしれない。

 あらかじめ調べておいた階数にエレベータを降りる。廊下はここも静かで争いごとがあったようには思えない。取り敢えずサツキは無事なのだろうか。一室から日本人女性が出てきた。サツキではない。高山はL字に曲がる廊下の角に身を隠し彼女が別の一室に入るのを見届け、その部屋の扉の前に近づいた。

 扉に耳をピッタリと付け、中の様子を伺った。かすかに会話が聞こえる。
「無事でよかっ…… ごめんなさ…… 私が…… 写真は…… サツキ……」

 どうやら何かはあったが無事なようだ。写真? 何かを写真に撮ったのか? ポールやウォルフとの話の中にも写真が話題にあがっていた。彼女らは何か撮ってはいけないものを撮ってしまったのではないか? 

 思い切ってドアをノックしようとした時、エレベータから誰かが降りてくるのに彼は気付く。別の部屋の扉の前に素早く移動し背を向けた。聞こえるのは日本語だ。
「すごかったよな、ベラギー王宮の中」
「ああ、あんなのは二度とプライべートでは観れないな……」
 取材クルーか? そんな彼らは先ほどの部屋に入っていくようだ。
「どうしたんすか? 宮根チーフ!」
 扉を開けたままで若い男が中にいるであろう人物に叫んだようだ。
「いや、なんでもないというか、ちょっと転んで顔をうっちまった。あ、痛て……」
「なんすか、何やってるんすか、あれ、三佳さんもサツキちゃんも泣いてたの? そんなに泣くほど笑ったのかあ~? ひでぇなあ~」
 そう聞こえたところで扉が閉まる音が聞こえた。

 どうやら、彼女は無事だ。高山は安堵した。そしてやはり何かあったに違いない。それには写真が絡んでいる。決定的な何かを写した写真が。
 
 高山は扉の前を通り過ぎてエレベータに乗り込み、また裏口からホテルをあとにした。思った通り表通りには先ほどの車が停まったままだ。

 彼女らは明日にはベラギーを発つ。それまでに何が起こり、ポールがどう関わっているのかを知らねばならない。そうすればヤンの行方も分かるはずだ。高山は車に戻るとフランツに電話をいれた。


 51へ続く (丸数字が50以降ありませんので半角記載になります)


★この作品はフィクションであり登場する人物、団体、国家は実在のものと一切関係がありません。


エンディング曲

Late for the sky 
Jackson Brown


世界はここにある①    世界はここにある⑪   
世界はここにある②    世界はここにある⑫
世界はここにある③    世界はここにある⑬
世界はここにある④    世界はここにある⑭
世界はここにある⑤    世界はここにある⑮
世界はここにある⑥    世界はここにある⑯
世界はここにある⑦    世界はここにある⑰
世界はここにある⑧    世界はここにある⑱
世界はここにある➈    世界はここにある⑲
世界はここにある⑩    世界はここにある⑳

世界はここにある㉑    世界はここにある㉛
世界はここにある㉒    世界はここにある㉜
世界はここにある㉓    世界はここにある㉝
世界はここにある㉔    世界はここにある㉞
世界はここにある㉕    世界はここにある㉟
世界はここにある㉖    世界はここにある㊱
世界はここにある㉗    世界はここにある㊲
世界はここにある㉘    世界はここにある㊳
世界はここにある㉙    世界はここにある㊴
世界はここにある㉚    世界はここにある㊵

世界はここにある㊶
世界はここにある㊷
世界はここにある㊸
世界はここにある㊹
世界はここにある㊺
世界はここにある㊻
世界はここにある㊼
世界はここにある㊽
世界はここにある㊾


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