世界はここにある51 第三部
高山はフランツの私邸に車を乗り入れた。ゲートでのチェックはいつもより厳しい感があった。身分が不確かなわけではないが、予定が無いことで手続きに時間がかかったようだ。許可がおり車を駐車スペースに停める。エンジンを切ったあとフランツにどう切り出すか、高山は車から降りずに暫くの間考えていた。思案に余っていた時、隣の駐車スペースに車が停まる。ウォルフの車だ。彼は高山の車に気付いていた様で降りてすぐに近づいてきた。
「ドクター、昨日はどうも」
「やあ、ウォルフ。忙しいようだね。チーフの君がフランツの側に居ずにあちらこちらへと」
高山は探りを入れるようにウォルフへ声を掛けた。彼はそのことに気をとめる様子を見せず『たいしたことではありません』と笑顔で答えた。
「ちょっと横へ乗ってくれないか」高山はドアロックを外しウォルフを助手席に誘った。
「どうしました?」乗り込んできたウォルフは表情を変えず訊ねる。
「君はフランツに何年就いてるんだ?」
「そうですね、もう5年になりますか」
「ポールはどうなんだ?」
「彼は外交部のトップについて3年ですかね。ずっと外交部にいますから歴は10年以上でしょうが、皇太子に直接お話される様になったのはトップについてからでしょうか…… それがどうかされましたか?」
「ああ、それならば君の方がフランツとは長いわけだな。フランツの信任も厚いようだし」
「それは光栄です。しかしポールは外交部のトップです。私の上司というわけではありませんが、彼の意向を無視するわけにはいきません」
「それはどんな場合もか」
高山は彼の本音を聞き出すつもりでそう訊ねた。彼がポール側の人物なら出てくる返答はわかっている。
「いえ、どんな場合も皇太子をお守りすることが第一。彼の命令でも皇太子に危険が及ぶ場合は自分の判断で動きます」
ウォルフは即答し、高山はそれを聞き話を続けることにした。
「君に昨日尋ねたことだが…… 本当に何もなかったのか? 公園でのことだ。実は日本の取材クルーの様子を見てきたんだ。君の部下が彼らに会っていたようだ…… 写真の件で」
ウォルフは一瞬驚いた表情を確かに見せたが、落ち着いた口調で聞き返す。
「私の部下が取材チームの方たちに接触したと言われましたね?それはあなたが現認したと仰るので?」
「そうだ。間違いない」
ウォルフは少しの間考え、任務用の携帯端末を取り出しどこかへ連絡を取り始めた。高山はそれを見て鼓動が早くなるのを感じる。
「どこへ連絡を?」
「少しお待ちください。心配はご無用です」
彼は部下の行動をチェックしているようだった。データを画面上で確認しまた暫く考えた後、口を開く。
「どうやらドクターの言われる通りのようです。非番の人間が7名、緊急ラインをオフにしています。どこにいるかGPSで追跡確認をしています」
「君の命令ではないのか」
「内容によってはかなりの問題ですが私の指示ではありません」
「ポールの指示でも彼らは動くか?」
「在ってはならないことですが…… ないとは言えませんね」
「ウォルフ、昨日何があった? 私に教えてくれ。フランツとロイの安全のためだ」高山は賭けにでるようにウォルフに問いただす。
「ドクター、皇太子ファミリーの安全を守るのは私の仕事です。そして指示は政府から出ます。外交部もそれに含まれる」
「ポールの指示に従うということか」
「政府の決定で外交部が取り仕切る場合のみです」
「では昨日の公園の取材は外交部の?」
「ドクター、あなたは何を知っているんです?」
「質問をしているのは私だ、君の中ではもう話しは繋がっているだろう!」
高山の言葉にウォルフはすぐに答えず、ウインドウ越しに屋敷を見つめる。そして端末の画面をもう一度確認したあと話し始めた。昨日の森林公園での襲撃事件について、皇太子の安全の為に事前情報を得て、影武者を用意したこと。ロイに似せた子供まで利用したこと。そして不幸にも襲撃事件は実際に起こり子供が殺されたこと。犯行グループは全て射殺されたこと。そしてその一部始終を、立花三佳と堂山サツキが目撃し写真を撮っていたこと。
「ポールが全てお膳立てをしたということなのか」
「そうです。しかし影武者なのは私も現場に行くまで知りませんでした。彼女らがテロ犯を呼び寄せるための餌にされていたことも後からわかったことでした」
「フランツはこの事件をしらないのだろう」
「その通りです。政府から一切を秘匿せよと」
「後始末は?」
「ポールがすべて指示をしていました」
「君が側にいてなぜ子供が殺されるような事態になったんだ」
「途中で襲撃はない。今日はガセだと情報が入ったんです」
「それは誰から…… まさか」
「政府代表からです」
「ヒスマンが直接指示を政府にしたのだな」
「私もそう思います」
「彼女らは写真を君らに渡したのか?」
「カメラは押収し事件の写真データは外交部が」
「なら写真は彼女の手元にはないだろう」
「スマートフォンで撮ったものがあるかもしれないということで彼女らを調べました。結局見つかりませんでしたが」
二人の間に沈黙が訪れる。それは数秒のようでもあり数分のような気もした。いずれにせよこれからを決めるには十分な時間だと二人は感じていた。
「ウォルフ、亡くなった子供のことは? なぜ君が知らない?」
「すべては外交部の指揮下で警察に処理を任せています。私は皇太子に情報を秘匿せよという命令がありますから表立っては動けません」
「その子はロイにそっくりだったか?」
「ええ、本当に王子だけ本物かと思うくらい。少し王子よりは小さいですが」
高山は自分の中の血が全てなくなっていくかのような冷たさを全身に感じた。ウォルフはヤンの存在を知らない。
その子はヤンに違いない。そしてポールの指示で文字通りの闇の中へ葬り去られた。いや、計画的に殺され処分されたのだ。ハンドルに突っ伏し高山は声をあげて泣いた。ウォルフはそんな高山を見ているしかなかった。
公邸での執務を終えたフランツ・シュナイターが私邸に戻ったのは夜の八時を過ぎていた。ずっと駐車場で待っていた高山とウォルフは人目を避けフランツと会い、そして彼らが実際に見聞きしたことと高山が得た結論をフランツに話した。フランツはその全てを聞き、高山と同じ解を見つけたようだった。
高山は出国したサツキを追うことにした。フランツは彼に部下をつけ、同時にウォルフにポールの身辺を調査するように命じた。そして誰が敵で誰が味方であるのかを見極める必要があった。そしてヤンの事。これはポールの出方を見ながら彼らが行った非道の証拠をそろえる。これもウォルフに全てを理解させたうえで彼に動いてもらうことにした。
「ヒスマンの血がなんだというのだ」
フランツもまた、ロイの為に生まれたヤンを守れなかった自身の罪をどう償えばいいか、それを問い続けていた。
☆☆☆☆☆
フランクフルトの街の中、一台の車からサツキは見張られていた。一緒にいる立花三佳と言う女性がどのように関わっていたのか? その情報が高山には欠けていた。サツキと彼女、両人と接触すべきか迷っていたところでサツキが単独で行動をし始める。並ぶ店先を土産物でも探している様子だ。
「一人になった。私が行って話をしてくる」
高山が車から降りようとした時、フランツが同行を命じた三人の護衛のうち一人が彼の腕を掴み止めた。
「ドクター、待って!」
「なんだ、なぜ止める」
「彼女の後ろの男、あの、グレーのジャケットの男、あれはポール・ヴュータンの取り巻きです」
高山もその男の顔には見覚えがある。サツキをポールが調べていたあのビルの駐車場に確かにいた。
「監視していたのか。まさか拉致するつもりじゃないのか」
「それなら国内から出したりはしません。何か目的はあるでしょうが」
「誰かと接触することを防ぐためか」
「おそらくそれも」
高山は焦る。チャンスを逃せば彼女は無防備で日本へ帰ることになる。フランツの力が及ばない場所で彼女に何かが起これば、もう高山はどうすることもできない。もし彼女がナオとペアであることが発覚すれば、ヒスマンやロセリストはサツキを手に入れるのに手段を問わない可能性が高い。それはそう遠くない時期に必ずくるだろう。そうなる前に彼女は無理やりでも隠す必要がある。もうこれ以上犠牲は出せない。
「彼女を我々が拉致する」
高山は信じ難い自分の出した答えを実行することにした。
「あの男はどうします」
「何かいい方法はないか」
高山は護衛の男に訊いた。彼はサツキとグレーの男の間隔をじっと見ながら考える。雑貨店の中にサツキが入って買い物をしているようだ。グレーの男は他の観光客らに紛れて店の外にいた。
高山らの車はエンジンをかけ、ゆっくりと店の前近くに移動をした。大勢の観光客は時折、車道にも出てくる。通行する車は皆スピードを落とし、迷惑そうにクラクションを鳴らしている。運転する護衛の男は観光客に注意しながらゆっくりと走る車に仮装した。
買い物を終えたサツキが店を出てきた。手には紙包みを持ち笑顔を見せていた。高山の乗る車はサツキと5mと離れていない。グレーの男もサツキの尾行を始めようとしていた。
「サツキ! サツキ!」
日本語が少し離れたところから聞こえる。サツキが声の方へ振り向く。それを見たグレーの男はすぐに背を向けサツキから視線を外した。
「今だ!」護衛の男が急発進させ、サツキの眼の前に飛び出す。そしてサツキを弾き飛ばす寸前でブレーキを踏んだ。轢かれると思ったであろうサツキは思わず持っていた紙包みを落とし道路にしゃがみ込んだ。
車から護衛の男達が飛び出した。サツキを抱えて後部座席に連れ込み車を急発進させる。周囲には悲鳴が上がり、走る車をグレーの男は人混みを分け追いかけようとしたがすぐに諦めたようだった。集まる群衆を尻目に車はスピードを増し、街の中を抜けていく。
車内に放り込まれたサツキはあまりの恐怖からか悲鳴すら上げない。両脇には護衛の男二人がサツキの腕を抱えたままだ。
「サツキちゃん、手荒なことをしてすまない。久しぶりだな」 高山は助手席からサツキを覗き込み声をかけた。俯くサツキがその声に首をもたげ高山を見る。
「せん……せ……い?」
「ああ、高山だよ。ごめんよサツキちゃん。君を守るにはこうするしかなかったんだ」
「守る? わたし? 違う! 先生! 守るのは私じゃない! 三佳先輩たちよ」
「その話を聞きたいんだ。それと今は君だ。その話もゆっくりとしよう」
「先輩は? 先輩はどうなるの」
「彼女は別のチームが陰から守るから心配ない。それに彼女へはすぐに真実を明かせない。知れば彼女はもっと危険になる。辛いだろうが今、君は神隠しにあったような状態になることが一番安全なんだ、君の先輩のためにも」
高山の言葉を聞きながらサツキはずっとその目を見つめていた。高山もサツキの視線を外さなかった。
「先生、信じていいの?」
高山は小さく頷いた。
その様子を見て男達は抱えていた彼女の腕をはなした。サツキはゆっくりと高山に向かって手を伸ばす。高山はその手を握った。彼の頬を涙がひとすじ伝う。
「先生、お久しぶりです」
サツキにも光るものが伝った。
52へ続く (丸数字が50以降ありませんので半角記載になります)
★この作品はフィクションであり登場する人物、団体、国家は実在のものと一切関係がありません。
エンディング曲
Fire And Rain (One Man Band, July 2007)
James Taylor
世界はここにある① 世界はここにある⑪
世界はここにある② 世界はここにある⑫
世界はここにある③ 世界はここにある⑬
世界はここにある④ 世界はここにある⑭
世界はここにある⑤ 世界はここにある⑮
世界はここにある⑥ 世界はここにある⑯
世界はここにある⑦ 世界はここにある⑰
世界はここにある⑧ 世界はここにある⑱
世界はここにある➈ 世界はここにある⑲
世界はここにある⑩ 世界はここにある⑳
世界はここにある㉑ 世界はここにある㉛
世界はここにある㉒ 世界はここにある㉜
世界はここにある㉓ 世界はここにある㉝
世界はここにある㉔ 世界はここにある㉞
世界はここにある㉕ 世界はここにある㉟
世界はここにある㉖ 世界はここにある㊱
世界はここにある㉗ 世界はここにある㊲
世界はここにある㉘ 世界はここにある㊳
世界はここにある㉙ 世界はここにある㊴
世界はここにある㉚ 世界はここにある㊵
世界はここにある㊶
世界はここにある㊷
世界はここにある㊸
世界はここにある㊹
世界はここにある㊺
世界はここにある㊻
世界はここにある㊼
世界はここにある㊽
世界はここにある㊾
世界はここにある㊿
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