Kyosuke

数学を通じて言葉を学んでいる教育見習いです.

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記事一覧

タフな経験のみが過去になる

ノスタルジックな気分に浸るとき, その思考の対象となる過去は, 往々にして辛い経験である. 楽をしていたり怠けていたり, ただはしゃいでいた経験は, その対象とはならない…

Kyosuke
8か月前
1

やっぱりTeX が使いたい

大学院を出てからすでに4ヶ月以上が経過してしまった. 修士課程で獲得した経験の重みを感じながら充実した教員生活を送っている. ただ一つ消えない不満がある. TeX が使い…

Kyosuke
8か月前
1

修士課程を修了しました.

本日, 大学院修士の課程を修了しました. 多くを学ぶことができました. とても良い環境で勉強することができました. 私にとって数学が, 人生の指針の一つであることを…

Kyosuke
1年前
2

大人と子供

子供は多くを知りたがり, 大人は多くを知っているつもりになる. これは脳の発達の問題であるから仕方がない. 注意すべきはこの特性の使い方である. 結論として, 親(大人)が…

Kyosuke
1年前
3

自信と自身

 自信なんて嘘さ. 何か資格を取ってみたり, 何か良い業績を作ったりすることで自信がついたと思うことがあるかもしれない. こんなものは 他者比較による相対的な評価が少…

Kyosuke
1年前
3

有名大学とキャリア

有名であることはわかりやすいという点で良い. しかしそれよりも以上の意味がない. 正しい理性を備えた人間は, 他者の為人がわかるものであり, わかりやすさは不要である. …

Kyosuke
1年前
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主体的・対話的で深い学び とは, はて..

主体的・対話的で深い学びとは, なんともいい加減な言葉である. 文部科学省が発表している現行の学習指導要領によれば, 従来のアクティブラーニングなる学びの視点を引き…

Kyosuke
1年前
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独創的な思考と現代教育の病魔

学校で行われる数学教育といえば, 少しの定義と一つの例題と多くの問題演習というイメージがある. これによって獲得できる力は, 例えば時間内に多くの問題をこなす力であっ…

Kyosuke
1年前
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大学院修了と論文

考えを文章にすることの大切さを知っている. 自分自身で完結できるほど, 私の脳みそは優れた機能を持っていないので, 文章に書き出し, 未来の自分に思考の続きを託すよう…

Kyosuke
1年前
3

修士論文と博士課程

私は博士課程には行かない. 先月末に修士論文の提出と修論審査会を終えたわけであるが, それから現在に至るまでの3週間, 私は数学を投げ出している. 精神的に参ってしまっ…

Kyosuke
1年前
4

日本語と数学

日本語は数学に不向きである. 大学数学の取っ掛かりとなる$${\varepsilon - N}$$論法 にて, 多くの学生が躓いてしまう. 例えば $$ {\lim_{n \to \infty } a_n = a} $$ …

Kyosuke
1年前
2

無知が縋るは経験のみ

経験論は標本数1である. 閉鎖的な空間には慣習というものが存在する. あるべき姿は過去によって規定され, 理論無用な感覚の世界が広がっているという意味である. ある解決…

Kyosuke
1年前
1

活動と思考

"ぼーっと生きてんじゃねぇよ"という言葉をご存知であろうか. 某テレビ番組の人気キャラクター, チコちゃんのセリフである. 私はよくぼーっと考え事をすることがあるわけ…

Kyosuke
1年前
3

教師と時間

大学生活は部活動をしていたら知らぬ間に過ぎ去っていたわけであるが, 就職活動もろくにしていなかった私のポケットには教員免許しかなかった. 特に目指していたわけでも…

Kyosuke
1年前
9

抜き差しならない経験の重み

偉大な先人の言葉には重みがあり, 納得できる. それは, 彼ら自身の経験が我々読者にはまるで根拠のように見えるからであろう. たとえ私が戦争について語ったところで, 戦争…

Kyosuke
1年前
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タフな経験のみが過去になる

タフな経験のみが過去になる

ノスタルジックな気分に浸るとき, その思考の対象となる過去は, 往々にして辛い経験である. 楽をしていたり怠けていたり, ただはしゃいでいた経験は, その対象とはならない. というか記憶にない. もちろん, 友人や仲間と残した楽しい経験はその対象になっているような気がしないでもないが, それは少し勘違いで, 楽しい経験の裏に隠れている, 辛い経験を思い出しているに過ぎない. いつも疑問に思うが,

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やっぱりTeX が使いたい

大学院を出てからすでに4ヶ月以上が経過してしまった. 修士課程で獲得した経験の重みを感じながら充実した教員生活を送っている. ただ一つ消えない不満がある. TeX が使いたい!!.

数学の資料作成に関して, 中等教育において多くのシェアを占めているソフトは数研出版のStudyaidである. このソフトを使用する長所は, 図の作成, 過去問データベースへのアクセスなどである. これは中等教育

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修士課程を修了しました.

修士課程を修了しました.

本日, 大学院修士の課程を修了しました.

多くを学ぶことができました. とても良い環境で勉強することができました. 私にとって数学が, 人生の指針の一つであることを再確認できる良い2年間でした. そしてちゃっかり修論が表彰されました.

4月からは新天地にて教員生活を再開します. 大学院で獲得した理性を活かせるような教育活動をしていきます.

以前も述べましたように, 私にと

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大人と子供

大人と子供

子供は多くを知りたがり, 大人は多くを知っているつもりになる. これは脳の発達の問題であるから仕方がない. 注意すべきはこの特性の使い方である. 結論として, 親(大人)が子(子供)へ与えるべきは学ぶ姿であって学んだ結果でない. 前者を教養と呼び, 後者を知識と呼ぶ. 以下ではそのように思う理由を教育の観点から述べる.

"常識とは18歳までに身につけた偏見のコレクションである"とアインシュ

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自信と自身

自信と自身

 自信なんて嘘さ. 何か資格を取ってみたり, 何か良い業績を作ったりすることで自信がついたと思うことがあるかもしれない. こんなものは 他者比較による相対的な評価が少し良くなったにすぎない. もしも資格試験に不合格になっていたり, 同僚の中で業績が最下位であった場合, その過程でどれだけ新しい力を獲得していようとも, これは失敗体験として記憶され, 自信とは呼べない感情を獲得することになる. とも

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有名大学とキャリア

有名大学とキャリア

有名であることはわかりやすいという点で良い. しかしそれよりも以上の意味がない. 正しい理性を備えた人間は, 他者の為人がわかるものであり, わかりやすさは不要である. 従ってこの場合有名であることの良さは消滅する. 一方, 正しい理性を備えていない人間と会話する際には, わかりやすさは極めて重要である. この場合, 外面の方が内面よりも目につきやすいものであり, 外面に現れる情報がその人物を理解

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主体的・対話的で深い学び とは, はて..

主体的・対話的で深い学び とは, はて..

主体的・対話的で深い学びとは, なんともいい加減な言葉である. 文部科学省が発表している現行の学習指導要領によれば, 従来のアクティブラーニングなる学びの視点を引き継ぐ形で, 主体的・対話的で深い学びの実践に重きを置いている. "主体的・対話的で深い学び(「アクティブ・ラーニング」) の視点からの授業改善について(イメージ)"より詳細を引用すると, これらの言葉は以下のように使用されている :

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独創的な思考と現代教育の病魔

独創的な思考と現代教育の病魔

学校で行われる数学教育といえば, 少しの定義と一つの例題と多くの問題演習というイメージがある. これによって獲得できる力は, 例えば時間内に多くの問題をこなす力であったり, 例えば難関大学の数学の解法を知っていることであったりする. 一方で高等学校学習指導要領数学編解説によれば, 数学科の目標とは以下のものをいう:

数学における基本的な概念や原理・法則を体系的に理解するとともに, 事象を数学科

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大学院修了と論文

大学院修了と論文

考えを文章にすることの大切さを知っている. 自分自身で完結できるほど, 私の脳みそは優れた機能を持っていないので, 文章に書き出し, 未来の自分に思考の続きを託すようにしている. 簡単に言えば, 私は記憶力の弱さゆえにくメモをしなければならない人間である. メモの形態は例えばこの note 二角ブログ形式であったり, iphone のリマインド機能であったり, 友人であったりする. さて, 論

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修士論文と博士課程

修士論文と博士課程

私は博士課程には行かない. 先月末に修士論文の提出と修論審査会を終えたわけであるが, それから現在に至るまでの3週間, 私は数学を投げ出している. 精神的に参ってしまった. ここでは今現在の私の心情を書き残す.

学部を卒業したのち, 2年間の教員生活を経て, 私は大学院に進学した. 進学理由は明確で, 自分の中に数学が欲しかったからである. これは嘘偽りのない当時の私の心情である. 当時の私

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日本語と数学

日本語と数学

日本語は数学に不向きである. 大学数学の取っ掛かりとなる$${\varepsilon - N}$$論法 にて, 多くの学生が躓いてしまう. 例えば

$$
{\lim_{n \to \infty } a_n = a}
$$ 

は,

$$
{\forall\varepsilon >0, \exist N\in \mathbb{N}, s. t. \forall n\in\mathbb{N},

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無知が縋るは経験のみ

無知が縋るは経験のみ

経験論は標本数1である. 閉鎖的な空間には慣習というものが存在する. あるべき姿は過去によって規定され, 理論無用な感覚の世界が広がっているという意味である. ある解決すべき課題が存在するとする. さらに解決策として1. 突飛な策, 2. 過去の事例を踏襲した策, の二つが存在するとする. このとき, 1. の策の優秀さに関わらず, 2. の策が採用されることが多いであろう. 過去の経験をもとに2

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活動と思考

活動と思考

"ぼーっと生きてんじゃねぇよ"という言葉をご存知であろうか. 某テレビ番組の人気キャラクター, チコちゃんのセリフである. 私はよくぼーっと考え事をすることがあるわけで, ぼーっとしている時間にこそ自分らしい考えができていると感じている. 幼少期にこそ先生や友人から, 私自身の活動内容を指定されることもあったが, もっぱら最近は勝手に生きているため, 自由気ままにぼーっとしている. チコちゃん

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教師と時間

教師と時間

大学生活は部活動をしていたら知らぬ間に過ぎ去っていたわけであるが, 就職活動もろくにしていなかった私のポケットには教員免許しかなかった. 特に目指していたわけでもないが, そんなこんなで教員になった. 新卒1年目は中学校で常勤講師として働いた. これがなかなか大変であった. 何が大変であったかといえば, とにかく時間がないことが大変であった.

数学の常勤講師として採用されたのだから, 数学を

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抜き差しならない経験の重み

抜き差しならない経験の重み

偉大な先人の言葉には重みがあり, 納得できる. それは, 彼ら自身の経験が我々読者にはまるで根拠のように見えるからであろう. たとえ私が戦争について語ったところで, 戦争の経験がない私の言葉には重みがない. たとえ私が貧困について語ったところで, 裕福であった私の言葉には重みがない. 私が語るべきは経験の裏打ちのある事柄であるべきであろうと思う. 戦争や貧困, 飢餓について語ることはできないが,

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