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独創的な思考と現代教育の病魔

学校で行われる数学教育といえば, 少しの定義と一つの例題と多くの問題演習というイメージがある. これによって獲得できる力は, 例えば時間内に多くの問題をこなす力であったり, 例えば難関大学の数学の解法を知っていることであったりする. 一方で高等学校学習指導要領数学編解説によれば, 数学科の目標とは以下のものをいう:

  1. 数学における基本的な概念や原理・法則を体系的に理解するとともに, 事象を数学科したり, 数学的に解釈したり, 数学的に表現・処理したりする技能を身につけるようにする。

  2. 数学を活用して事象を論理的に考察する力, 事象の本質や他の事象との関係を認識し, 統合的・発展的に考察する力, 数学的な表現を用いて事象を簡潔・明瞭・的確に表現する力を養う。

  3. 数学の良さを認識し積極的に数学を活用しようとする態度, 粘り強く考え数学的論拠に基づいて判断しようとする態度, 問題解決の過程を振り返って考察を深めたり, 評価・改善したりしようとする態度や創造性の基礎を養う。

 先述のようないわゆるドリル学習を通じて統合的・発展的に考察する力が身についた経験が, 少なくとも私にはない. 学校において数学ができる人とは, いわゆる点数の取れる人のことであり, 難問を解くことのできる人であろう. もちろんこのような人の中には統合的・発展的に考える力のある人物もいるであろうが, その人物がそのような力を獲得した経緯は, 学校教育ではなくて元々持っていた数学への関心がゆえではないであろうか. 私の身の回りにもそのような人物はいたが, その人物が数学の授業中に教科書を開いていた記憶がない. 自分の関心のある問題を勝手に解いていた印象がある.

 唐突だが次の問題を眺めてみていただきたい.

  • なぜ$${(-1)\times(-1)=+1}$$なのか?

  • 加法定理を幾何学的手法を用いて導け.

  • 長方形の面積はなぜ縦$${\times}$$横で表現できるのか?

恥ずかしながら私はこれらの問題を初めて眺めたとき, 解答を知りたくなった. 答えを自ら導きたいとは考えず, 単に解答を知りたくなった. 私はこの感情を, ドリル学習を用いた現代教育の病魔と呼ぶ. 解法を大量に覚えて難問を時間内にとくことを目標とするいわゆる詰め込み教育を施した結果, 上記の数学教育の目標は達成されず, 単なる物知りが出来上がってしまった.

実際のところ, 中学数学の教育目標は高校受験に合格することであり, 高校数学の教育目標は大学受験に合格することであり, 大学入試が詰め込み学習を要求する形式になっているので, 詰め込み学習やそれに関連する教育ビジネスが普及してしまったと認識している. その一方で, 大学数学では数学の本質的理解を要求しているため, 多くの数学が得意な高校生が, このギャップに苦しみ挫折を味わうことになる.

私は教育ビジネス的教師にはなりたくない. 数学的な解釈をする力や統合的・発展的に考える力, 粘り強く考える力を生徒に要求するのであるから, それよりも以上に私自身がそれらの力を鍛えなければならない. 頑張ります.


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