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抜き差しならない経験の重み

偉大な先人の言葉には重みがあり, 納得できる. それは, 彼ら自身の経験が我々読者にはまるで根拠のように見えるからであろう. たとえ私が戦争について語ったところで, 戦争の経験がない私の言葉には重みがない. たとえ私が貧困について語ったところで, 裕福であった私の言葉には重みがない. 私が語るべきは経験の裏打ちのある事柄であるべきであろうと思う. 戦争や貧困, 飢餓について語ることはできないが, 現代を生きる私が経験した私自身の抜き差しならない経験を記す.

消防士と看護師のもとに生まれた私は, 何不自由ない生活を送ってきた. 小学校では多くの習い事を行い, 土日はクラブチームで親に応援されながら精一杯野球をしていた. 中学校に入ったのちも部活動や恋愛, 少しの勉強を行い, 公立高校へと進学し, いわゆる一般的な道を歩んできた. 人間関係も食べ物も何一つ苦労をせずに過ごしてきたわけだが, 高校1年生の夏頃からだろうか, 私は精神的な自由を求め始めた. きっかけは倫理の授業で扱った J. S. ミルの「自由論」である. この本の中に"精神的自由"という文字があり, 私の中でこの言葉がマイブームとなった. "私は今よりも以上に私らしくいて良いのだ!!", などとそんなことを思い始めた. 今になって自由論を読み返してみると, この本は国家が個人に対して行う制限はどの程度であるべきかなど, 国家における個人の政治的自由について論じられているわけだから, 当時の私はこの本を誤って解釈していたことに気が付く. 幼少期の読書に誤解はつきものであろう. 自分にとって都合の良い解釈をしてしまうといういみである. 裏を返せばそのような解釈をしていた当時の私は精神的自由を求めていたといえる. 閉鎖的な学校社会に所属し, 権威主義の父親のいる家庭で生活すれば精神的に自由になりたいと考えることは, ある種当然の結果であったといえるのではないだろうか. 高度経済成長期と経済停滞である平成の間に幼少期を過ごして我々の多くは, この違和感を感じながら生きてきたのではないだろうか. この違和感や感情を獲得した経験が, 私の抜き差しならぬ経験である. 戦争や飢餓のような壮大な経験ではないが, 紛れもなく私が実際に経験してきた事実である.

そんなこんなで高校を卒業したのちに私は某国立大学に進学する. ここで初めて一人暮らしをした. 最初期は親のありがたみや生活も難しさを感じていたわけであるが, 慣れてしまってからというもの, 現在は一人の快適さに溺れている. 大学生活は部活動を行なっていたら知らぬ間に過ぎ去ってしまった. まぁ人生そんなものなのであろう. その中で獲得した経験で, 今最も恩恵を受けていることは, 多くの人間の意見に触れることができたことであろう. 論理を追い求めていた学科の友人然り, とにかく楽観的な部活動のメンバー然り, 言葉が通じないバイト先の社員然り, 反対意見が納得できた元彼女然り, 何が言いたいのかわからない本の向こうの哲学者然り, とにかく多くの人間の言葉に触れることができた. 特に哲学書を通じて哲学者の言葉に触れていた時間は, 大学時代の私にとって最良の経験であったといえよう. 逆に最も困難を要した経験は, 自らの意志に従って生活することである. 共存とは難しい. 主義主張が異なる二人が意見をぶつけ合うとき, そのには戦争が起こっている. 朝ご飯はパンかご飯か, で揉めている分にはこの小さな戦争はほとんど無害であるが, 政治的主張を述べ出したとき, この戦争は有害になる. 大抵の小さな戦争はうやむやになって終わる. 妥協という便利な言葉がよく使われるが, 互いに納得はしていないが, 戦争をするよりはマシなので, 互いに相手の意見に納得した気になり終戦を迎える. 私はこれが苦手である. 互いに異なる手段を用いて正しさを定めた場合, 正しさについて議論を初めてしまうと, これに終わりはない.


私は教育者の傍ら数学者という側面を持っているわけであるが, 数学の学問的特性から, わかったつもりになることが苦手である. 理解した気になった過去の自分に苦しめられたことがどれほどあったであろうか. 数学の学問的特性とは, 根拠を求める性質のことである. まず正しさを定め, その正しさを物差しとして物事を観察する学問が数学という学問である, と私は認識している. 権威主義に従い従順に生活してきた私が, 物事の根拠を求める数学を好むようになることは当然の結果といえよう.

各人に固有の人生が存在し, その本質は本人にのみ認識可能である. 言葉とはあくまで感情を近似した代替物に過ぎないことに注意すれば, その人のみ見えている景色が存在するはずである. それは私も例外ではないので, これからはこの近似の精度を上げることで, 良い文章が書けるようになりたい.


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