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#341「ビジネス頭の体操」 6月21日、22日のケーススタディ

はたらくおとな向け。普段の仕事と無関係なケーススタティで頭の体操。
その日にちなんだ過去の事象をビジネス視点で掘り下げています。
普段の仕事を超えて、視野を広げ、ビジネスの頭の体操をするのにぴったり。
考えるための豊富な一次情報やデータもご紹介。

 →部分は、頭の体操する上での自分に対する質問例、です。


6月21日(月) 今年は13ヶ月あるよ!?

「二十四節気」の一つで第10番目にあたる、「夏至」
英語では「summer solstice」。現在広まっている定気法では太陽黄経が90度のときで6月21日頃。「夏至」の日付は、近年では6月21日または6月22日であり、年によって異なる。2021年(令和3年)は6月21日(月)である。

夏至。
二十四節気の1つ、とありますが、そもそもこの二十四節気とは何でしょうか?

と言うことで、今回は旧暦について調べてみました。

旧暦、というと今の太陽暦(グレゴリオ暦)との対比で、太陰暦だったと思う方が多いと思いますが、厳密には単純な太陰暦ではなく、「天保暦法」という太陰太陽暦です。

つまり、月の満ち欠けに基づく暦と、太陽の動きに基づく暦の併用とも言うべき暦だったのです。

まず、二十四節気の1つである夏至は、1年のうちで昼間が一番長い日、です。と言うことは太陽の動きを基準としているものであることが分かります。

ここでちょっと脱線しますが、「1年のうちで昼間が一番長い日」、だから「1年のうちで最も日の出が早く、日の入りが最も遅くなる日」と思ってしまいますが、実は違うのです。
現時点で私も完全に理解できていないので、国立天文台のHPの解説部分のリンクを張っておきます(すいません)。


二十四節気に戻りますが、1年間(=地球が太陽の周りを1周する期間)を24等分して、それぞれに名前を付けたものになります(下図:出典国立天文台HP)。

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冬至、夏至、春分、秋分はその代表例(「二至二分」といいます)ですが、それらの間にあたるのが、立春、立夏、立秋、立冬であり、まとめて「四立」といいます。いわば、季節の始まりを表しているといえます。

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なぜ月の暦だけでなく、太陽の動きも勘案する必要があるのでしょうか?

それは、月の暦だけでは、季節とずれてしまうから、です。

月の暦、つまり太陰暦では、月が新月になる日を月の始まりと考え、各月の1日とします。それから翌日を2日、その次の日を3日…と数えるます。
新月から新月までは平均して約29.5日の間隔ですので、12ヶ月では約29.5日×12ヶ月=約354日であり、太陽暦の1年より約11日短くなります。となると、3年も経つと丸々1ヶ月、6年経つと2ヶ月、9年経つと…
そのうち、真夏にお正月、ということになってしまいます。

それに、季節に左右される農家などにとって、たとえ1年に11日のずれであっても、種まきや収穫の時期を決めるにのに、季節と関係なく動いてしまう暦では都合が悪いのです。

その場合に、二十四節気が使われました。

まず、季節が大事な農家などは二十四節気を活用することで不便がなくなり、町人など、そこまで季節に敏感でなくとも、数年間であまりにも季節と暦がずれるのは避けたい、という場合には、二十四節気との差分を「閏(うるう)月」と言う方法で解消していました。

今の「閏年」と同じですが、4年に1度、1日増やす、というレベルではなく、ほぼ3年に1回、1ヶ月まるまる(!?)増やすのです。

なぜなら、あくまで毎月の日付は新月の日を1日とすることになっていますから、その「月」単位で調整するしかないからです。

3年に1度、と言うのは、先ほどの通り、1年で約11日ほどのずれがありますので、3年分で33日、ほぼ1ヶ月分になるからです(詳しく言うと、19年に7回、になります)。

たとえば、ある年の3月の次に閏月が入る、とすると、その挿入される月は「閏3月」と呼ばれ、その年は13ヶ月間ある、ということことになるのです。

今の感覚で言うと、大変な混乱が起こりそうですが、暦が切り替わる明治までは、それが当たり前、だったと考えると、なんか不思議です…

実は、1日の時間も、江戸時代には伸び縮みするものだったのです…

→暦という、当たり前すぎて疑いもしないものも、違う時代があった。今日という日の計り方を変えることで、感じ方、捉え方も変わるのではないだろうか?スマホなどで個々の興味に応じた情報が取得できるようになったが、時間も個々によって違う、というふうに考えたら、新たにできるビジネスチャンスもあるのではないだろうか?


6月22日(火) ボウリング場の売上高は○○○億円

公益社団法人・日本ボウリング場協会(Bowling Proprietors' Association of Japan:BPAJ)が1972年(昭和47年)に制定した「ボウリングの日」です。
1861年(文久元年)この日付の英字新聞「ザ・ナガサキ・ショッピングリスト・アンド・アドバタイザー」に、長崎出島の外国人居留地に日本初のボウリング場が開設されたと掲載されたことにちなんだもの。

ボウリング。
最後にやったのはいつ頃でしょうか?
私は…あ、5年前にやりました。散々でした…
子供の頃は比較的よくやった気がしますが、今はどうなのでしょうか?

ボウリングの競技人口の推移を見てみましょう。
公益財団法人日本生産性本部「レジャー白書2019」によると、平成30(2018)年のボウリング参加人口は950万人(参加率9.5%)。これは、「体操」「ジョギング、マラソン」「トレーニング」に次ぐ4位となっています。意外と(失礼)多いんですね。

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毎日新聞の「ボウリング場が消えていく」という記事にあった「ボウリング場数と競技人口の推移」という資料によると、1970年代に3700を数えたボウリング場は、その後急激に減少し、1000程で横ばいとなっています。
競技人口も1990年代に4000万人を超えた時もありましたが、直近では4分の1以下にまで減少しています。

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また、市場規模ですが、経済産業省特定サービス産業動態統計によると、2019年の売上高は172億円となっています。売上高の推移は以下の通りです。

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長期的には減少傾向のボウリングですが、感染症によってどのような影響を受けているのでしょうか?

経済産業省「第4回サービス産業×生産性研究会」の資料によると、ボウリング場の月次売上は2020年4月には対前年比で実に−92.4%を底に回復は見られるものの、8月の時点でも同−42.0%と厳しい状況です。

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こうしたボウリング場ですが、さまざまな取り組みを行なっています。

その1つが、公益社団法人日本ボウリング場協会の「長寿ボウラー番付」です。
これは、ボウリングを趣味として定期的(月1回以上)に親しまれている高齢者(男性80歳以上、女性75歳以上、夫婦合計150歳以上)を調査しまとめたものです。令和元年度版では男女7,817名、夫婦540組が掲載されています。推移は以下の通り。

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増えているのは、各ボウリング場で高齢者向け「ボウリング教室」や「月例ボウリング大会」などを開催し高齢者の取り込みを図っているためです。

さらにボウリング+αの楽しみを提供することで売上と集客を目指す取り組みもされています。

ボウリング場の経営面としての厳しさですが、先ほどの経済産業省の資料では以下が指摘されています。

☑️ 経営者の高齢化や施設の老朽化
☑️ 利用者の高齢化、次世代の取り込みが遅れている
☑️ 家賃割合が70%程度と大きく、感染症による営業自粛等による経営ダメージが大きい
☑️ ゲーム代だけでは客単価が低い

→ボウリング。過去には大ブームとなった、広い年齢層が行える競技スポーツである一方で、さまざまな課題があるようだ。今後、今のトレンドを跳ね返し、売上高を改善させるには、どのようなマーケティングアイディアが考えられるだろうか?


最後までお読みいただきありがとうございました。

どこか1つでも頭の体操になるものがあれば嬉しいです。

昨年7月からこのような投稿をしています。だいぶ貯まりました。以下のマガジンにまとめていますのでよろしければ、頭の体操にお役立てください。


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