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私は、大学生のときに人間関係で悩んで、学部2年生くらいまでに、加藤諦三先生の著作が心に刺さって、むさぼるように読んだ記憶があります。約30年ぶりに、アマゾンのkindleでも、無料本を一気に読み、ファイルにメモさせてもらい、改めて、堪能させていだだきました。今回は、同じくアマゾンで発見し、購入し、積ん読しておいた、加藤諦三先生の以下の本の論評をさせていただきます。アマゾンでは、もう新品の本は、手に入らないようなので、積ん読が成功しました。

通読して、加藤諦三先生ワールドを体感することができて、心がスーと健やかな気持ちになりました。

だが、大学というところには、そんな動力つきで人間を運んでくれるものは何もない。自分の足で歩いていかなければならないところ、それが大学である。

P.3

そうなんだよね。ノートの取り方だって、わからないですよね。大学では、基本的に、口述筆記(大学の先生が言ったことをすべてメモする)がお勧めです。各自が得られる、体験、経験も違うし、大学は、僕の経験では、人生の台風みたいなところが、大学だと思っています。基本的には、勉強・学問だし、人によっては、資格(税理士など)も取得して、資格で人生を守ってもらうというのも1つでしょう。スポーツをやってみるのもいいでしょう。また、アルバイトでも、貴重な経験をできるかもしれません。その全てをやるのもいいでしょう。

ゲーテは、「大作を書こうとするな」と言っている。大作を書こうとするから何も書けなくなってしまうのである。

p.19

こういうnoteブログみたいなもので、ちょこちょこ書いたり、本の書評や検討をしたり、マガジン追加したりするのも、この加藤先生の孫引きが妥当する行いですよね。ちょっとずつの積み重ねの勉強は、迷いはないですよね。学問的には何も評価されないかもしれないですけど、やがては、そういうのにつながる可能性もありますよね。大学教授とかではないけど、noteブログなんかで、勉強を細々と続けている者には、非常に大事にしたい言葉です。まずは、書評からでもというところでしょうか。

与えてもらう人間だけでいいのか
道がないと歩けないのか

P.20 p.21タイトル

アントニオ猪木さんのような檄文が飛びます。確かに、大学では、積極的な関与が学問でも、勉強でも、社会でも求められます。

誰も自分に代わって自分の人生を生きてはくれない。誰も自分に代わって自分の死を死んではくれないのだ。そして誰も自分に代わって青春の戸を開けてくれる人はいない。

p.28

これも加藤諦三先生らしい、ココロがスーとする言葉ですよね。なんででしょうかね。それが分析できたらすごいのですが・・・。苦労や死も乗り越えられそうな言葉ですよね。加藤諦三先生は、社会心理学が専攻で、そういう社会みんなの悩みを大きく取るというのを使命としているのかもしれませんね。精神科医のカウンセリングとかとは違うということでしょうね。言ってみれば、社会のカウンセリングといったところでしょうか。本人も悩みがちな、内向的な人間だからこそ、出てくる言葉なのだろうと思います。

よく、日本の社会は、一度フェアウェイをはずすと、リカバリーショットができない社会といわれる。しかし、見ていると、リカバリーショットができない社会なのではなく、リカバリーショットをするだけの意欲がないのがほんとうのところではないだろうか。

p.33

うーん、でも、これは難しいところですね。会社をドロップアウトされた中高年の人間が、「司法書士でもやるか」といって、資格試験の専門学校に行き、わかりやすくもない授業で、挫折し、その後、どうなっているんだろうと思ったりすることがあります。現に、私もその一人で、今は、noteブログを書いている程度のことをやり、収入など全くあがりません。でも、意欲があれば、5年でも10年でも少しずつやって、勉強し、司法書士になることはできると思うが、その後、稼げるようになるかは、また、別問題で、加藤諦三先生の指摘は、判断が、すごく難しいところだと思う。中小企業でも会社でドロップアウトしない方法を考えるほうが良いのではないだろうか。やっぱり、若者に説教でもする中高年のオヤジの方が、若者と話が合って、中小企業でも、長く会社に残されやすいような気がするんですよね。組織サバイバル術を集めた側面もある、他のnoteクリエーターさんの記事を集めた、下の私のマガジンの記事でもフォローして頂けて、参考になれば幸いです。

「人間は誰でも他人の不幸には同情できるが、他人の幸せを喜べる人は少ない」という西洋の諺がある。心の奥にこうした醜い面があるのが人間である。

p.43

これもなるほど、というところではありますね。私も、人の結婚式って、あまり行かない人で、「幸せなら幸せでいいじゃん」とか「その人たちの幸せに責任を持たなくちゃいけないようで嫌な気持ちになる」とかいう気持ちがあって、行きたくないのです。心の奥にこうした醜い面があるのが人間であるとは、本当にその通りだと思いますね。加藤諦三先生の真骨頂というところでしょうか。

気にしているのは、自分だけではないのか。

p.46タイトル

これも、本当にその通りかもしれませんよね。人は、自分が思うほど、その人のことなんて考えてないものですよね。気にし過ぎの傾向がある人は、心に留めておいてもいい、加藤先生の言葉ですよね。

加藤諦三先生は、まじめ過ぎるマニュアルを中国から持たされている日本には、大変必要な人だと思うし、大学教授というのは、いろんな評価のされ方があっていいという評価がぴったりの先生だと思います。学生時代から、今もって、ファンな読者です。まじめ過ぎる日本を指摘した、私の2つのブログ記事は、以下にリンクを張っておきますので、ぜひ、ご一読ください。

まだまだ、検討したい加藤諦三先生の言葉はあるのですが、とりあえず、ここまでとしたいと思います。

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