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【雑記集】※いたって個人の感想です。

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雑記・随筆も、書くのが楽しいですね。いや、雑記や随筆こそ、書くのが一番楽しいかもしれません。 そしてこの誰に宛てているわけでもない文章が、漂流して、まったく見知らぬ(かもしれない…
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#書くこと

「文字の存在しない世界」は私にとって「光のない世界」なのだろうと気づく

「文字の存在しない世界」は私にとって「光のない世界」なのだろうと気づく

私も「物を書く人間」の端くれだからであろうか。

「文字」の中に――言うなれば、「書き言葉」「文章」の中に、いつでも必ず「人」の存在を感じるのである。
その人の「声」が実際に耳に聞こえている感じがする、とも、これは言い換えられるだろうか。

「そんなわかりきったことを今更!――当たり前じゃないか。だってそこには、その文字を書いた(打った)、あるいは文章を作った人間が、必ず介在しているはずなのだから

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自分を不機嫌にする張本人は自分自身と気づくまでの4年間【これまでのnoteまとめと索引】

自分を不機嫌にする張本人は自分自身と気づくまでの4年間【これまでのnoteまとめと索引】

このまとめ記事の元タイトルはこうだった。

-「三毒」を制す為の処方箋を自分なりに探した日々-

一言で言うなら、「自分を不機嫌に、更に言えば不幸にしているのは、自分自身が発生させている『三毒』だったのだろうな」ということである。

「三毒」とは。

これらの「毒」は、世の中や他者を毒する面もあるが、何より、「自分自身を毒する」というそれこそが問題なのである。

『それにしても何故、わざわざ「自分

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その「思い」は「ナマモノ」だ

その「思い」は「ナマモノ」だ

頭の中や心の中で思っていることって、ある種の「生モノ」で。

ほうっておいてどこにも消えていかないものについては、 言葉にするなり何なりして、――でも言葉にしたまま内側でほうっておくとそれもまたそのうち腐っていってしまうものもあるので、それを「外に出して空気に触れさせる」こと案外大事かと。

で。

そんな「外に出した言葉」というのは、そもそも単なる記号でしかないのだが、誰かが「共有」することで、

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作品を「残す」から「流す」時代へと移り変わっていくのかな

作品を「残す」から「流す」時代へと移り変わっていくのかな

紙の本は、もう買わないようにしようかなあ……なんて思い始めている自分。

いや、元々は、「電子書籍」より「紙の本」派だったんですけど。(あるいは今でもそうではあるんだけど。)

結局、「これは必ず再読するだろう」と思いながら、結局そうならない本ってのが、結構ありまして。――というか、正直に言えば、ほとんどの本がそうなってしまっております、ハイ。
(それを再読する以上に、未読のものでどうしても読みた

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「書きたくなくなったらやめよう」という感覚のほうが

「書きたくなくなったらやめよう」という感覚のほうが

「もしも書きたくなくなったら、やめればいいや」くらいの感覚のほうが(これはnoteに限らず書くこと全般)、どこか肩の力も抜けるのか、書くことについて「自由」になるなあ、と、この頃感じるようになった。

「書くこと」について、そこに、意味がある(感じる)場合も、もちろんある。

が、しかし、そこに意味が見当たらない、感じられないからといって、それは所詮、私一人が、そこに「見出せる・見い出せない」の、

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ふっと力を抜いた時にでる力

ふっと力を抜いた時にでる力

たとえば、「書くこと」についてで考えてみれば。

「自然と動き出す筆の力」を、もっと尊重したい、と、私は最近よく考えるのである。

と、なると。

そこに、「ウケたい」「評価されたい」といった「打算的意識」は、なるべくなら、入り込まないほうがいい。
(人間だから多少はあっても仕方ないけど、「それが書く目的」とはならないようにしたい、ということ。)

そうそう。

この間読んだインターネット記事の中

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「いつか書けなくなる日」のために

「いつか書けなくなる日」のために

「もういい加減、書くことについて、自分の中にあるものを、出せるだけ全部出し切ってしまいたい」
という気持ちがどこかにある。

「書くこと」が、大好きな自分ではあるのだ。

しかし、「もうこれ以上はどうしても何も書けない」という「限界」「空っぽ」を迎えたいような気持ちも、自分の中のどこかにある気がしている。

「大好きなこと」だからこそ、「どこかであきらめてラクになりたい」みたいな気持ちが、正直、少

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「永遠」に見えたのは、いつでも「一瞬」なのだ

「永遠」に見えたのは、いつでも「一瞬」なのだ

「望むことはただ一つ、こうしてただただ、何かしらを言葉で表すことを、生きている間は続けていけたらいいなあ。」

――という、それだけの願いが叶えられなくなる日も、いずれかは、来るのであろうか?

でも、あえて、「それならそれで、仕方なかろう」と、思うようにはしていたい、と思う。

そう思えばこそ、「こうして書ける今日という日」を、それだけで、「ありがたくてありがたくて仕方ない日」として、感じること

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「食べものが喉を通らなくなる」ほどデリケートではないけれど

「食べものが喉を通らなくなる」ほどデリケートではないけれど

ちょっと前の出来事である。

職場の食事休憩前に、(個人的なものであるが、)「大変心配なニュース」を耳にすることとなった。

すると、持参していた御飯を、食べたくなくなってしまった。

――これは、「私みたいな者にとっては」、大変に驚くべき事態である。

タイトル通り、それで「食事が喉を通らなくなる」ほど、私は繊細な人間ではない。

が、しかし「味がしない」とは、このことか、と。
――うん、気持ち

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「狙う」と「勘」が鈍る気もする

「狙う」と「勘」が鈍る気もする

「理屈」と「勘」は、相性が悪い。

「勘」は、「理屈」ではないからだ。

――と、いうわけで、タイトルの「自論」(それも「極論」笑)に、私は(個人的に)行きついたわけなのであるが。

例えば。

ちょっと前に自分で書いたもの(書いた時の感覚を自分でも既にハッキリとは思い出せなくなっているくらい前のもの、つまり「比較的、客観的に読めるもの」)を、読み返してみて。

「理屈」で書いたものより、その時の

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「コーリング(お呼ばれ)」とは

「コーリング(お呼ばれ)」とは

この間、細野晴臣氏のラジオ番組(清水ミチコ氏と清水イチロウ氏がゲストの回)を聴き直していたら。

細野氏がこんなことをおっしゃっていた。
(以下、聞き書き。)

※スミマセン!youtubeにあるものを添付とか、あんまり「よろしくないこと」なのはわかっているのですが、しかし細野氏の話し方のニュアンスとか、ゲストのお二人との前後のやりとりとかもあるので、参考までに!……どうかお目こぼしを!!

長く

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雑記・随筆BEST of the Year 2022〈いいねを多くいただいた順〉

雑記・随筆BEST of the Year 2022〈いいねを多くいただいた順〉

いや、はじめはフツーに、全記事対象にして「今年いいねを多くいただいた順」で並べようと思ったんですけど。

そしたら、(ページのトップ記事に月替わりで固定していたこともあって、)「80年代アイドルPOPS関連」のものが、多くその上位を占める結果となり。
(ま、「布教活動」としては良い結果を残せた、ということですね。笑)

――でも、「アイドルPOPS記事」は、年を通して本数はそんなに書いてはいないも

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記録すること-「無くなるわけではないのに消えてしまうもの」ばかりだから-

記録すること-「無くなるわけではないのに消えてしまうもの」ばかりだから-

私が日々、こうして自分の考えを文章化しているのも、「忘れてしまうから」というのが、一番の理由なのだと思う。

「忘れる」は、「知らない」に戻ることでは、けっしてない。

――ないのだが、しかし、自分自身の「意識上」や「視界」から、その「姿」は消えてしまうことを表していると思う。(「自分の中にあるもの」なのにもかかわらず。)

そして私は「ドケチ」なもので(笑)、そうして「消えてしまう」ことすら、も

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noteという「窓のある部屋」

noteという「窓のある部屋」

すっかり忘れていたのだが。

幼少期には、自分、「口が達者な子」なんて、よく言われていたのだった。
つまり、「とてもおしゃべりな子供」だったのだ。
(自分でも薄っすらそんな自分だったのを思い出してきた。)

――と、言ったならば、今現在の実生活の場での私を知る人々からは、驚かれるのではないかと思う。(笑)

さて、私が、こうして(ある時点から現在まで続いている)「どちらかというと無口なタイプ」とな

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