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その「思い」は「ナマモノ」だ

頭の中や心の中で思っていることって、ある種の「生モノ」で。

ほうっておいてどこにも消えていかないものについては、 言葉にするなり何なりして、――でも言葉にしたまま内側でほうっておくとそれもまたそのうち腐っていってしまうものもあるので、それを「外に出して空気に触れさせる」こと案外大事かと。


で。

そんな「外に出した言葉」というのは、そもそも単なる記号でしかないのだが、誰かが「共有」することで、 それは「読んで、理解できるもの」になり。
でも「共有」と言っても、実はそれぞれの頭の中でその言葉についての意味を、それぞれが立ち上げているのだ。
そして、そういった「それぞれで立ち上げる反応の共有」により、そこから自ずと何か良いものが生み出されることも多い気がする。

同じ言葉から違う意味をそれぞれが読みとる場合もあるけれど。
しかし、それでも、 同じ言葉を共有してそこに反応しあうという「その行為」自体が、 心にも、作用するところは大きいと感じる、ということである。
あるいはそれは「言葉を使える生物である人間」が、生物として生きていく上で、そもそも必要とされる作用なんじゃないのかなー、なんてことも思う。


何ていうか、更に付け足して、もう一声、まとめると。

・だから、そんな言葉が腐敗すると、心も腐敗するよね。
・で、それをやりとりすれば、 その腐敗は伝染していくものになるよね。

・「生もの」である言葉を自分自身も腐らせたくないし、そのためにも、腐らせていない人の言葉を、たくさん聴きたいし読みたいよね。

ということかもしれないです。
(まとめ方が大雑把。笑)