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「狙う」と「勘」が鈍る気もする

「理屈」と「勘」は、相性が悪い。

「勘」は、「理屈」ではないからだ。

――と、いうわけで、タイトルの「自論」(それも「極論」笑)に、私は(個人的に)行きついたわけなのであるが。


例えば。

ちょっと前に自分で書いたもの(書いた時の感覚を自分でも既にハッキリとは思い出せなくなっているくらい前のもの、つまり「比較的、客観的に読めるもの」)を、読み返してみて。

「理屈」で書いたものより、その時の、書きたいというただの「衝動」で書いたであろうもののほうが、(自分としてはだが、)我ながら、面白く感じたりする。
(つまり「自分では結果的にそちらのほうが好きな文章に仕上がっている」、ということである。)


――「文章を書く」ということについての「理屈」とは、あるいは私の場合、どこかで「上手く書きたい」「上手く書けていると人に思われたい、評価されたい」という気持ちのことかもしれない。

その「意図」、言うなれば「狙っている感」が、どうも自分の場合は、「駄々洩れ」になっているというか(そこらへん、やはりヘタなんでしょうね。笑)、そっちが前面に出て感じられ。
――我ながら鬱陶しい。(笑)

そして、その分、肝心な「書く動機」その「熱」みたいなものが、後手に回ってしまっている気もまたするのだ。

せっかく、好きな気持ちだけで書いているのに(だって、誰に頼まれているわけでもないのだから!)、これでは何だかもったいない気もする。

――私はもしかすると、何かしら文章を読む時はいつも、書き手の「言葉で表現したい衝動」「どうしても伝えたい情熱」みたいなものを、ただただ味わいたくて、読むタイプの人間なのかもしれない。



プロの作家の方の文章でも、「これはもしかすると、仕事で仕方なく、何なら嫌々、書いているのかな?」と、何とな~く感じられるものは存在する。
(「書くテクニック」だけで書いている感じと言えばいいのか。)

そういう、身を乗り出す感や心躍る感がない文章は、「ほら、面白いでしょ?」「上手でしょ?技術あるでしょ?よく練られているでしょ?」というのが感じられても、私はいまいち読者としてノリきれない。
(そうです、羨望と嫉妬もあって、プロの方の文章には、少々厳しい目を向けがちな自分です。笑)
(で、あくまでこれは、私個人の感想。
「評価されるべきではない」とは全然思わないし、逆に「やはり上手く切り抜けるな、プロだな」と感心したりはする。
――けど、私が他人の文章に「最も」求めるのって、それじゃないのかも?という、「個人的趣味嗜好の」、これは話である。)


ま、他人様の書き方のことはどうでもいいのだった。

「自分がどう書くか・書きたいのか」に話を戻そう。

そもそも自分は、「書き残したいから」書いているのだよな?

ならば、「他者の評価」なんて、とりあえずはどうでもよくないか??

評価を「何より一番に」気にし出すと、書き手としてシンプルに「書くという行為」を面白がれなくなる気がする。

――とはいえ。
「評価を全く意識するな」は、これもまた、無理だとは思う。
(例えば、やはり自分の記事の中での「いいね」の数の多寡は、気になる自分なのである。――「この差はどこから?」とか、やはり思っちゃう。笑)
しかし、始めから「他者からの評価」を念頭のそれも第一に置きながら書き出すのは、(あくまで私の場合は、)どうも「つまらなくなる」と感じた次第である。

なので。

「評価は、されるべきものなら、後からでも、必ずされることになるであろう」
と、(「盲目的」ではあるけど、)信じてみようかと思う。
――うん、まあ、「文章の神様」みたいなものが、いるのかどうかは、私になど、わかるはずもないのだが。

しかし、(文章に限らず、)何事も、邪まな気持ちなく、真摯に向き合っていれば、「神みたいなもの」は、そこに宿り始める、とは、なんとなーく、思っている。
(あくまでこれは「なんとなーく」、である。)
(「私は」そう思いたいので、そう思う。そう信じてみようと思う。)



「理屈」より「感覚」で書くほうが、私には合っている。

――という、今回のこれは、至極個人的な趣味あるいは得手不得手の話でしかないのかもしれない。

そしてまた、「理屈の作戦が功を奏す」ということが、自分においても、全くないとも言い切れない、というところでもあるのだが。

だからこれは、他人様の書き方をあれこれ言うつもりの、今回のテーマではないのである。(ということは、繰り返し強調しておこう。)

でも、私の場合、「頭で考え、作戦で書く」をすると、「先に頭だけで考えて書いてます」、更には「上手く書けていると思われたいです」というのが、匂い立って、もしかすると自分だけでなく、他人様にもその匂いは(場合によっては鼻について)感じられてしまうかも?(それは避けたいかも?)と感じた、というわけなのである。


という、本日はそんな「振り返りnote」なのであった。


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