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2023年6月の記事一覧
「余計なもの」まで求めると
「余計なもの」まで、――そこを「執拗に」求めだすと、とかく生きづらくなりがちですね。
ま、「余計なもの」まで求めてしまうのは、 何だかんだ言っても、余裕がある証拠なのかもしれませんけどね。
「白玉入りのフルーツポンチが食べたい」
だなんて、明日のご飯も美味しくいただける前提があっての欲望だものね。
(でも食べたい。笑)
謙虚であれ、但し持つべき自信は失わずに
「変わるチャンス」なんて実は
人生に何度でも訪れるが、
変わるか変わらないかは
結局自分次第なので、
だから変われない人は
いつまでたっても変われないのか。
(つまり自分の話です。
――100%「自戒」です。笑)
うっかりしがちだが。
「自分に自信を持つ」の
その反対が、
「謙虚になる」というものではない。
つまり、
「謙虚である」その目的のために
「わざわざ自信を失う」事はない。
あまり
「なりたい自分にな~れ♡」(笑)
自己愛というものは、
弱いよりむしろ
強いくらいの方がいい、
と、私は思っている。
――但し。
人より自分が得するように、
とか、
人より自分が評価されるように、
とか、そういうのって、
「自己愛」つまり
「自分を愛する」って事とは
また違うと思う。
(パッと見が似ているとは思うけど。)
(でもやっぱり全然違う。)
「自分が愛する自分」って
「自分から見た自分」になるはずだ。
「どういう自
自分でそうすると決めた自己犠牲以外は厳禁にした
てか、
「自分さえ我慢すれば」みたいなの、
客観的に見れば絶対、
そもそもあまりいいことではない。
少なくともそれは
「美談」じゃない。
自分の身は、
まず誰より
自分自身で守ろうとしなきゃ。
そして、
自分の「幸せ」もまた、
まず誰より
自分自身でつかもうとしなきゃ。
(それは我儘とは違う。)
(例えば
災害時なんかに言われることだが
「自分の身の安全の第一責任者は
自分自身である」
と
「帰属意識」と「自分自身」と
「自分が何者であるか」というのは、 別に、必ずしも他者が介在していなくてもいい。
つまり、自分自身で認識していれば基本的に成り立つ話なのに。
――「何かに属していないと」 「誰かに認めてもらわないと」 どうしても「自分が自分でなくなる」と、なってしまう人って、 結構多いのかもしれない。
「誰かに認められる」「ほめられる」「仲間になる」ってのは、あくまで「結果」つまり「オマケ」であって。
――それ
ホントに損している?
うっかり人と比べて、人より得してなかったとしても。
それは別に「=損している」という事ではないのだろう。
「別に何も損はしてません。」
と、思っておいた方が、かえって精神的にお得だと思うのだが。
(――っていうのも、まあそうか、これもまた個人の価値観か。笑)
たとえこの世のほとんど全てが、終わりを迎え死に絶えたとしても。
何か食べたい炭水化物と、何か飲みたいお茶と、何か読みたい本とさえあ
何をおいても「自由」が一番好きなのかも(※ごく個人的な感覚の話)
高校までの学生生活と
かつて送っていた社会人生活
(今も一応社会人ではありますが、笑)
の中では、
学校や職場から、
「絶対逃げられない」ような、
そんな「強烈な閉塞感」を
感じていたかもなあ、
と、ふと思い出した。
「このレールから外れたら、もうアウト」
みたいな。
――でも実際は、
そんな事はなかった。
結局、
レールからは
「脱輪しまくり」の人生だったし
(これからもそうありたいです。
「わかりやすい」はそれなりに危険
「わかりやすい」ということは
何かをとりこぼしている
(または「意図的に」削ぎ落している)
可能性も、
それだけ高いということか。
気をつけたいものである。
(「わかりやすい」が
全てそうだと言っているわけでは、
もちろんありません。)
物事を知ろうとする時の、
その「根気」については、
あらためて意識したほうがいい、
と、感じる。
そうしないと
「わかりやすさ最重視」に、
いずれ自分の頭