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「余計なもの」まで求めると

「余計なもの」まで、――そこを「執拗に」求めだすと、とかく生きづらくなりがちですね。


ま、「余計なもの」まで求めてしまうのは、 何だかんだ言っても、余裕がある証拠なのかもしれませんけどね。


「白玉入りのフルーツポンチが食べたい」
だなんて、明日のご飯も美味しくいただける前提があっての欲望だものね。
(でも食べたい。笑)