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何をおいても「自由」が一番好きなのかも(※ごく個人的な感覚の話)

高校までの学生生活と
かつて送っていた社会人生活
(今も一応社会人ではありますが、笑)
の中では、
学校や職場から、
「絶対逃げられない」ような、
そんな「強烈な閉塞感」を
感じていたかもなあ、
と、ふと思い出した。

「このレールから外れたら、もうアウト」
みたいな。

――でも実際は、
そんな事はなかった。


結局、
レールからは
「脱輪しまくり」の人生だったし
(これからもそうありたいです。笑)
つまり別に、
いくらでも逃げる場所はあったのだ。


自由って、
「自由に動きたい!動くぞ!」
と本人が思わない限り、
手に入らなかったりする。

これまで、
自分の自由を、
最終的に奪ってしまった、
その「とどめ」を刺していたのは、
だいたい自分自身だった。


もちろん、
自由を捨てる事により、
手に入るものはある。

全然、そのことを、
またはその生き方を、
否定する気はない。

――場合によっては、
またはモノによっては、
自分も、
(今こんなに愛している)自由を
捨ててでも、
手放せなくなってしまったそれに
「囚われて」しまう人生を、
選んで送っていたかもしれないし。


でも、
「実際は自分で思っているより、
どこへでも行ける」って、
どこかで思えているだけでも、
少なくともそれは精神的に
「ラク」なんじゃないかなあ、
と、個人的に感じる。

正直、
今自分があっけらかんと
いろいろ乗り越えられるのは、
「いざとなりゃあ、
どうしようと
自分の自由でしょ?」
って開き直りがあるからだ。



自分の「欲」が、
自分を「不自由」にしてしまう事も
場合によってはあるなあ、とも、
我ながら思ったりもする。
(別に「欲」自体が
悪いわけではもちろんない。)
――でも、真っ先に自分は、
欲を満たす事よりかは、
自由を求める事のほうを
今なら尊重するかなあ。

これはもしかすると、
「自由欲」が一番強いということなのか?
(そんな欲あるのか?笑)



「行き止まり」を感じるのって、
自分自身で
(実はすぐそこにある)自由を、
捨ててしまう所にも
原因があるのかもなあ、と、
これまでを振り返って思った。
……という、ただのメモ書きでした。

(もちろんこれは、
個人の人生事情に基づく、
個人的な話。
――こんなの、
誰もが同じ人生事情なわけは
ないもんね。)