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#マーケティングの仕事
百恵は自分で宇崎竜童に依頼した
「二、三日履いて明日の朝持ってきたら交換してくれますか」
「いえ、それは交換できかねます」
「ホテルの部屋以外では履かないですが明日は交換してくれますか」
「いえ、免税手続きなど済ませてますし、交換できかねます」
「これ(商品を差し出し)だとだいじゅぶですか」
「いえ、どれもだめです」
某百貨店のOn店舗。
サクッと行って、サクッと買おうと思ってきたのだが、これは手強い。
中国人
好きなことで食ってく方法
「好きなことでは食えないよ」
昭和の昔から言われている。
でもぼくはこの25年、好きなことで食ってる。
食ってるどころか、めっちゃ楽しんでる。
体験から、お話します。
そしてこれは「技」として、再現性がある。
3つのステップ。
STEP1;ビジネスモデルを構築する
ビジネスモデルは、言い換えれば、「お金が入ってきて、出ていく循環回路をつくる」。
ぼくは、独立時、次の4つの柱を立て
テクノロジーは「簡単」にした。アホを増やした
テクノロジーは
簡単
にした。
ぼくが会社に入ったころ、取引先との連絡は
電話
か
手紙(はがき)
だった。
電話にせよ
手紙(はがき)にせよ
「正しいやり方」
があった。
ベテランのやり方を真似た。
社内の記録用文書も、先輩のを見て、学んだ。
1995年、電子メールを使い始めた。
まだプライベート。
メールの同時送信機能を使ってメルマガを創刊した。
それが現在あな
「ちゃんとした服」持ってない問題
それにしても暑い。
ビッグ・ウェンズデー東京がいよいよ1週間後に迫った。
困っているのは
何を着るか
ふだん、短パンTシャツだからそれでもいいのだが、翌27日、東京會舘に行く。
2025年11月11日に予定しているJOYWOWパーティの打ち合わせだ。
まさか東京會舘に短パンTシャツで行くわけにはいかない。
名目は「打ち合わせ」だが、実質は「面接」と思ってる。
ここが東京會舘ブランドの
足、どぶ板営業と診療圏調査
この写真に衝撃を受けた。
昭和の駄菓子屋さん
注目したのがコカ・コーラの自販機
と
ひさしにぶら下がっているロゴたち
子どもの頃の記憶をたどれば、この店の経営者は「おじい・おばあ」であり、コカ・コーラなんてもんは興味がないし、好んで飲まないだろう。
だから彼らがコカ・コーラ社へ「自販機置かせて欲しい。ついでにひさしへぶら下げるロゴたちもつけてくれるとありがたい」といったオファをするとは思え
木綿(もめん)を指でちぎりながら
= 女は厨房に入ってはいけない =
ドラマ『ながたんと青と』
アマプラで観ることができます。
経営が傾いた京都の老舗料亭「桑乃木」。
長女の「いちか」はホテルの西洋料理店で料理人として働いている。
いろいろあって、いちかは料理長として桑の木の経営再建に取り組む。
いちかの強みは「きちんとおだしを取ること」。
いちかは西洋料理のサンドイッチにせよ、和食にせよ、おだしをうまく使う。
な
ぼくたちの脳内にある「安さ=善」という皮肉エラーをきれいさっぱり拭い去ること
早稲田実業vs大社高校
9回裏1アウト走者2塁3塁
1打出ればサヨナラ。
早稲田実業は、レフトの選手をサードの前、ピッチャーの左横(打者から見て)に置いた。
バッターは左打者。
ライトでもレフトでも外野へ飛ばせば確実にサヨナラ。
ところが;
「打っちゃいけない」と思うと、目の前にいるレフトの選手真正面に打ってしまう。これ、練習でもなかなかできないこと。でも、やってしまう。
これを皮肉エラーと
ぼくには何の看板もなかった
会社を卒業し、独立起業する時点、ぼくには何の看板もなかった。
ほら、「リッツ・カールトンで支配人やってました」とか「ディズニーランドでミッキーやってました」とか。みんなが「ハハーッ」とひれ伏すような看板。
「旭化成の建材部門で営業部長代理でした」
では、「そうですか」。終わり。
以来25年間、ずっと「集客」と「販売」やってきた。
勉強会を企画したら「集客」、本出したら「販売」。
あ。そう
フリーランスの生き残り術-1:愛嬌。可愛げ
さっきドラッグストアのBGMでBE:FIRST流れてて嬉しかった。
ドラッグストアで鳴るということは「普及した」ということだから。
ちなみに曲はこれ。
さて;
ビジネスは大きくなるほど離れていく。
誰と?
お客さん、そして社員同士の距離、社員と経営との距離。
ビジネスは、アタマでやるもんじゃない。
「買いたくなる」のはこころが動いたから。
あるいは、「応援したい!」という「応援」。