阪本啓一(JOYWOW)
阪本のnoteで、マーケティングに関する記事をまとめています。
フリーランス関係のnoteをまとめています
コンステレーション Constellation 「con(コン)」は「with (共に)」 「Stellar(ステラ)」は「星」 つまり、「星座」という意味。 星座を形成する各星たち本人は 「さあ! がんばって射手座になるぞ」 「今年こそはきれいな北斗七星をつくらねば、みんな気合入れよう!」 「いいえあたしはさそり座の女」 なんてのはなく、地上にいる人間が勝手にカタチをイメージし、物語を付し、喜んでるだけだ。 星座を形成する星たち同士に因果律は、ない。 ない
要するに 方程式を立てる 解くのではない 立てる。 十牛図で「第一 尋牛」が最も重要であるのと同じ意味。 事例で話すね。 NPO法人JW-UP もともと立ち上げたときのミッション、つまり立てた方程式は IT企業とシングルマザーをつなぐにはどうするか だった。 1年半やってみて、どうもうまくいかない。 プログラミングなどの仕事は自宅でできる 子どもが横にいてもできる パソコン一台あればできる 必要なスキルは企業サイドが研修してくれる ・・・これらは方程式
いまの時代、「おいしい」はあふれてる。 でもそれは、本来デリケートな「人間の身体にとって良いおいしい」かどうかは、わからない。 「豆腐」も、あふれてる。 スーパーに行けば、客寄せのように豆腐は安い値札を貼り付けられ、ひっそり座ってる。 「豆腐って、味しないからきらい」 という人がいる。 それはたまたまその人が食べた豆腐が「味しない」だけで、豆腐全員がそうとは限らない。 豆腐ちゃんたちの名誉のために、何かしたいなあ。 どうしようか。 食品は、連想で成り立ってる
マーケティング・ネオの良い事例が身近にあった。 「売る」を超えてる。 英文法で vi と vt というのを学んだ。 vi=自動詞 vt=他動詞 たとえば Goは自動詞 Sellは他動詞 マーケティング・ネオは、すべてを自動詞にするのを目標とする。 お客さん(たとえばSota)を「行かせる」 let Sota go to my shop ではなく Sota will go to my shop あるいは Sota will come to my shop
脳の働きのメカニズムはよくわからないが、 人はよく知ってるものにフォーカスする たとえば惣菜コーナーを「眺め始め」て、そこに親しんだ「南禅寺豆腐」木綿があったら自然と視線を集中させる。 南禅寺豆腐がなくて、知らない豆腐ブランドばかりだったら視線の集中はなく、視野は広いままだ。 何か映画を観ようとして、お気に入りの映画館アプリを立ち上げる。 日付をタップし、何にしようかタテにスクロール。 「知ってるタイトルがある」場合と 「知らないタイトルばかり」の場合 では
JR大阪駅構内カフェ モーニングセット サンドイッチのパンがカッサカサ サラダにはドレッシングが麺つゆレベルでどっさりしていて、野菜が浮いてる。 野菜、味しない。 オープンキッチンだから作ってくれる人が見えているのだが、彼女、これ、自分で食べたことがあるんだろうか。 某ホテル館内のパン屋さん パンは朝いただきたいのに、開店は10:30 Threadsで誰かが言ってた。 「書店のセルフレジ、あれって、どうなの? レジカウンターに本持っていって、カバーしてもらって、とい
The Economistが「2025年、世界はどうなる」特集号表紙にイーロン・マスクを選んだ。コピー「Disrupter-in-chief」(最高革新責任者)。 Zanny Minton Beddoes編集長によれば 「イーロン・マスクは車の製造をreinvent(再発明)し、宇宙旅行を再発明し、そして今度は政府を再発明しようとしている」 イーロン・マスクはまさに現代資本主義の、現代マーケティングの体現者であり、それは 求めて 求めて 求めて 得て 得て 得て
どれだけ禅の悟りに近づいたかステップで示す「十牛図」。 細かい説明は省く。 一 尋牛(じんぎゅう):牛が必要であることに気づき 二 見跡(けんせき):外へ出て探し始める 三 見牛(けんぎゅう):見つけた 四 得牛(とくぎゅう):手に入れた 五 牧牛(ぼくぎゅう):飼い慣らす 六 騎牛帰家(きぎゅうきか):牛に乗って家に帰る 七 忘牛存人(ぼうぎゅうそんじん):牛の存在そのものを忘れてしまう 八 人牛倶忘(じんぎゅうくぼう):牛のみならず、人も、消える 九
映画『ロボット・ドリームズ』 予習バッチリした。 パブロ・ベルヘル監督の話を聴いたり、「ネタバレ」になる映画評も山ほど読んだ。 舞台が80年代ニューヨーク。 監督と、パートナーのゆうこさんがニューヨークに10年ほど暮らし、その記憶からの選択らしい。 70年代はニューヨークが荒れに荒れた時期で、犯罪も多く、おっかなくて逃げ出す人が続出した。おかげで家賃が下がった。80年代、下がった家賃のおかげでミュージシャン、画家、小説家、詩人など多くのアーティストが集まるようになっ
ピッチに落ちた と泣きながらメッセージ 『たまたまコンステレーション』 の音源聴いた と言ってるがウソだ(笑) いや、ウソじゃないにしても、理解が足りてない。 Ototoartがオリジナル曲を創ってくれた。 話は変わる。 いや、変わらない。 年齢を重ねると 失うことのほうが目立ち始める たとえば歯 たとえば髪の毛 たとえば友人 たとえば若さ たとえば体力 ・ ・ ・ でも「失う」というのは実は間違いで、 「歯が抜けた空間を得た」 「髪の毛のないヘアスタ
禅の言葉 不一不二(ふいつふに) 一であり、二でもある。 映画『DOG DAYS 君といつまでも』 泣いたないた。 誰かが死ぬから泣く のではなく、愛の姿に泣けた。 愛犬家や愛猫家は 犬(猫)と自分は「二」だけど「一」なんだよね。 つまり、 不一不二(ふいつふに) というのは愛でもある。 また、同じく禅には 無分別智(むふんべつち) という考えもある。 分別しない。分けない。 これも 不一不二(ふいつふに) と同じ意味。 スナフキンが
MAIDO17 DAY1 今回のMAIDOはこれまでと色を変えて 個人コンサルテーション としている。 阪本だけではなく、参加者みんなが意見を言うグループ・コンサルテーション。 だから人数も敢えて絞った。 昨日DAY1だったのだけど、初回とは思えない和らいだ空気感で、とっても気持ち良い時間・空間を過ごせました。 これも参加者のおかげ。ありがとうございます。 さて、昨日話しながら気づいたのだけど、 ビジネス と 商い は根本的に違う。 ビジネスの成功者
旧 和中散本舗 という、360年前 元和の頃に建築された重要文化財で講演した。 塾生がメナードのサロンを経営していて、そのコミュニティメンバーが集まる。 どういう話をしよう。 ビジネスバリバリという感じでもないだろうなあ。 とりあえず、皆さんのお顔を見て、それから話す内容を決めよう。 ここ 旧 和中散本舗 は 旧東海道の草津宿と石部宿の中間にあり、旅人が休む場所だったそうな。 和中散 という薬を商(あきな)っていた。 家康が腹痛を起こした折、和中散を服用し
勉強になるからずっとフォローしていた人、だんだん異和感を感じ始め、ついにある回のVoicyでプッツン。 違う。 Voicyプレミアム会員解除 YouTubeメンバー解除 そして気づいた。 彼は、ぼくのシャドーなんだ と。 シャドーとはユング心理学でいうところの「影」で、「生きてこなかった半面」。 ぼくと正反対のことをするからこそシャドーであり、照りつける太陽光が強ければ影がより濃くなるように、反感もまた。 まあ、もともとぼくたちは「存在が阪本して」たり「存在が
ブランドは その表面に現れる ネーミング パッケージ プライス ロゴマーク ・・・ は ただ表層に過ぎない。 ブランドで最も大事なものは 動力 であり なぜそうなっているか なぜその行動を取るのか たとえば「人の移動」ひとつとってみても 徒歩 船 自転車 オートバイ 車 飛行機 など、テクノロジーや時代背景によって新しいスタイルに変化したように、 ブランドの動力も耐えざる変化の中にいる。 その動力がはたらくところにブランドの真実と美がある。 GUC
地下鉄ドアの広告 「わたしは、奈良派。」 弱い。 なぜなら、「わたしは、奈良派」とした途端、自動的に「京都」も浮かぶから。 京都と奈良、どっちを選びますか? 「わたしは、奈良を選びます」 という流れに設計されたコピーなのだが、必然的に「京都」も宣伝してしまっている。 コピーは読む人の無意識を刺激し、インスピレーションが浮かぶようにする「瞬のアート」だ。 奈良はどういう場所か。 古(いにしえ)より日本の都であった。 日本人の「阿頼耶識(あらやしき)=集合的無