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KIGO
2021年3月12日 23:51
最初は孵ったばかりの雛のようだった彼らも、この学校を巣立つ時が来た。みんな大きくなったなあ。慣れ親しんだ学び舎を後に、無限の大空へ羽ばたいていく。雲間に消える影像に惜別の情を抱きつつ、今回ばかりは感動もひとしおだ。ついぞ私は還暦を迎えた。言葉の通り、暦はようやく還ったのだ。いよいよ私も雲隠れして、人生の放課後を愉しむとするよ。鳥雲に(とりくもに)
2021年3月13日 22:56
人魚ってさ、誰が上半分が人間だと決めつけた?例えば脳味噌だけが、思考だけが人間なら?私は深い海の底で、手足もないまま想いを走らせ静かに揺蕩うだけ。春になれば少し浮上して鱗を煌めかせ、夜は瞼のない瞳でじいっと暗闇と対話するのだ。暫しの間入れ替われるなら、たまにそうなりたいと思う。「先輩の考えてること、なんか怖いっす。」そんな声で現実に引き戻される。……もしかしたら、何も考えて
2021年3月11日 22:44
3月11日。あの日から今日で10年が経った。どのような追悼の場が欲しいかという問いに住民は、ただただ祈りの空間を求めた。大きな大きな水盤には、水がなみなみと張られている。海と共に生きているのだ。目の前のさざ波を眺めながらそんなことを考えていた。いつまでも忘れない。ようやく凪いだ心の水面に零れ落ちたひとしずくから波紋が静かに、閑かに広がっていった。春の水(はるのみず)
2021年3月10日 22:05
椿はいいよねえ、紅く綺麗で、芯があってまるで燃えているみたいじゃないかェ?お侍さんが首が落ちるようだと避けたのは迷信でよっぽど今の人の方がお見舞いやらに気にするんだとか。まあ、そんなのは関係ないってのにねえ。だって寿命ってのは生まれ持った蝋燭で決まっちまってるんだから。ふふ、なんで知ってる風かって?実はァ、あたしは死神なんですよ、まあ、ご心配為さらずに。今日は椿を見に来ただ
2021年3月9日 23:31
年季の入った窓桟の柄が好き。古いガラスの気泡と揺らぎが好き。桜の花びらで繕われた障子が好き。建て付けが悪くて上手く開かないのに、隙間はあって虫も風も通り抜けるから。目貼剥ぐ。馴染みの缶かんの封を切るように。冬の暗闇に慣れた私に、あなたは少し眩しすぎるかな。北窓開く。とっておきを頬張ろう。ちょっとずつ。大切に。北窓開く(きたまどひらく)
2021年3月8日 20:55
強い日差しに熱せられ、融けるようなアスファルトに立ち昇るのとはまた違った、春の麗らかな陽炎。蜻蛉とも呼ぶように、その響きはどこが儚く、仄かに命が薫る。陽光に誘われてひとり出てきた公園では、まだ花も疎らな枝垂れ桜がふらふらと風に遊んでいた。春は出会いの季節でありながら、反面、別れの季節でもある。あの日、下りた踏切のトラバーが歪んで見えたのは瞳の中の海が揺蕩っていたせいかもしれな
2021年3月7日 23:22
私は、昔から目が悪かった。親からの遺伝だと割り切っていたとは言え、小学校の健康診断で視力が1.0を下回った日のことを、未だに覚えている程度にはショックだった。初めてメガネを買ってもらうと、世界はよく見えた。驚いたのは、壁にかけてある古い家族写真より、親の顔にはずっと皺が増えていたこと。通学路の信号のライトが実は粒々で出来ていると知ったこと。今まで一本線で描いてきた山際は、本当は細
2021年3月7日 10:24
山などに積もった雪が急に解けて、川や、野原に雪解け水があふれること。雪しろが轟々と流れ込むことよって川や海が濁ることを雪濁りという。ときもは大きな災害をもたらすこともある、雪しろ。この単語をみたとき、この「しろ」は、何から来ているのかと気になった。真っ白の白かと思いきや、漢字で書くと「雪代」らしい。伸び代、とかの「しろ」だろうか、と「代」の意味をいろいろと調べてみたが、言葉としてより古
2021年3月6日 00:08
私は朝起きるのが苦手だ。携帯のアラームは数珠繋ぎ。おまけにスヌーズもかけているから、いくら手だけで止めても間髪いれずに次が鳴り続ける。まあ、潔く起きれば良いんだけど。でも布団の中は暖かいし、気持ちがいいし。きちんと時刻を守れる人は、準備に必要な時間を確認し、そこから逆算して行動すれば良いという。しかし、根本が違うのだ。私みたいなタイプは、例え時間があろうがなかろうが、間に合うギリギリに合
2021年3月4日 21:29
”流れる”ように、”表現”が、”浮かぶ”。小説家パッケージプラン。俗世間から開放され、静かな環境は執筆に最適です。大手旅行会社が、北海道の流氷原にて新鋭のポッドを宿にした新プランを打ち出した。電気は太陽光で賄い、物資はドローンを使ってのやり取りが可能。一面の氷の世界を散歩すれば、アザラシなどの野生動物に出会えたり、室内からでもフィッシングを楽しんだり。滞在が短いと割高だが、長く居れば
2021年3月3日 20:46
曲水の詩や盃(さかずき)に遅れたる 正岡子規「曲水の宴」は、庭園を緩やかに曲折して流れる小川に、御神酒を注いだ盃を浮かべ、自分の前を流れ過ぎるまでに詩歌を詠んだとされる宮中行事である。流し雛や、ひいては雛祭りの起源と言われているそうだ。様々な時代の潮流を経て、現世に流れ着いた概念。私自身も、その一つなのだろうな。食卓の盃を手に取り、ほんの少し口をつける
2021年3月2日 20:17
雪は、自己犠牲の化身だと思っている。そんなことを考えているのは私だけだろうか?路面でもどこでも、前身が一生懸命体を張ったおかげで、やっと積もることが出来る。山などに溶け残った雪の形で、その年の作柄やら種まきのタイミングやらを占う処もあるらしいが、雪の方にしてみれば、生まれ落ちる先がどこか、は、「雪」としての生死を賭けた大博打なわけで。道端に辛うじてうずくまる残雪を見やる。排気ガスと辺り
2021年3月1日 21:59
細く透明な麺が、春の静かな雨筋を連想させるから「春雨」。なんて粋な名前だろうか。会社の通用口にて、閉じた傘を片手に夕闇の雨を眺めながら考える。僕は雨は嫌いじゃない。特に春の雨は。ふいに、このまま外に飛び出したい衝動に駆られてしまう。煙(けぶ)るようにやわらかく包み込む雨。身体のカーブに沿って弾ける、しなやかな跳ね返りが目に浮かぶ。「雨に唄えば」のシーンなんて最高だ。でも、今ど
2021年2月28日 20:49
誰かに見つけて欲しいと願いながら、同時に、人に理解されないことを求めている。そして深海の底でひっそりと、創造力という酸素が尽きる瞬間に少し怯えている。辺りは静かで、僅かな感情の揺らぎが心地よい。好きな色の泡(あぶく)だけを喰らって生きる。いつも些か手札が足りない、仲間外れの如月(きさらぎ)のように。その二月も今日で終わりを迎えた。いかなる場所でも、春は等しく輝いている。二