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#ギランバレー症候群
疲労感だけじゃなく、自分鈍麻
あゆかんの相方あゆちゃんが、こんな記事を書いていた。
いやいや、いつもありがとう。
自分のことのように気にかけ、心配してくれる人が
こんな身近にいるってことが、感謝しかない。
私は恵まれているな、と思う。
更に、毎週木曜日にやっているstandFM ラジオ
「りあるとーく」のピアチェーレメンバーからも、気絶とか疲労とか
マルチタスカ―とか抱えすぎとか忙しすぎとか
まあまあ並べてみると意外とひ
ひとりずつのありがたさ
食事に行って、ホッとすること。
一番は、ワンプレートだった時、
ですが、定食みたいに、ご飯とお味噌汁と、
メインのおかずととかでも大丈夫。
とにかく、1人前ずつだと良かったと思う。
それは、食べる分を自分のお皿に取るという事が
苦手というか、手の力がなくて出来ないから。
冬はお鍋とかも美味しくて、楽しみだが
取ることが出来なくて、困っていた。
家族は分かっているので、とってくれるけど
私の
否定や攻撃と捉えない対話
落ち着いて話せると感じられるのは
安心感と言えばいいのか分からないけど、
私はこう思うと言える関係性がありがたい。
対面で言う事はほぼほぼなくなったけど
オンラインではしょっちゅう意見を求められる。
まあ、そういう場に参加しているからなんだけど
ギラン・バレー症候群になってなかったら、
今でもそういう場所には近づいてないだろうと思う。
意見を言う事に慣れてなかったから。
クラスでも、習い事
入院中に見ていたもの
ギラン・バレー症候群で入院中、見ていたもの
病室の天井がダントツだけど、
2番は点滴が1滴ずつ落ちていく様子。
その次は経鼻経管栄養。
鼻から通した管を通じて胃に栄養が送られる。
栄養剤が少しずつ減っていくのを見ていた。
天井以外に見るものが珍しくて
寝たきりで光にも弱くなって、外の景色は見られないし
その単調な感じが、ボーッと見ているには良かった。
特に点滴は飽きもせず眺めていた。
I
どうしていたんだっけ。
記憶が飛ぶことがある。
それは、体力を使い果たして。
頭の中が「疲れた」とも感じられなくなって
一瞬で静かになる。
周囲を見ることは出来ない。
見たら気持ち悪さが増すから。
景色がピカソやゴッホの絵みたいな色彩になり、
時にダリの時計みたいに歪んでいく。
とにかく座れる場所を探して腰掛け、
俯いて目を閉じて、呼吸を整える。
「大丈夫、大丈夫」
自分に言いながら、体力の復活を待つ。
フッと
自分には意外、もしくは普通。
「そう言ってくれるのは、いいなって思いました」
これは、私が参加したオンライン座談会で、
主催者側の方が言ってくれた言葉です。
初めて参加する団体の会で、自己紹介をする時間があったので、
私はいつも通りこう話し始めました。
「私は神経難病のギラン・バレー症候群の当事者で、
顔面神経麻痺と手の障害が残っています。
顔面神経麻痺の影響で、表情が乏しく笑顔が難しいのですが
楽しん
拭いている時の情けなさったら
お礼≦謝るを変えたい
これまでの人生で、「しっかり者」と言われたことは
なかったとは思うけど、ギラン・バレー症候群になってから
お礼を言う回数も増えた代わりに、謝る回数も激増した。
本当はお礼をたくさん言いたいし、感謝もたくさん
しているのだけど、なかなか向きが逆転しない。
それは結局、手の力がないことで、
色々と周りに助けてもらうことが多いから。
「ありがとう」の前につい
「ごめんね」
急性疾患、そういうことか。
ニューロパチー??
ギラン・バレー症候群は、「急性免疫性ニューロパチー」の
代表的な疾患と言われています。
自分で病気について調べられるようになって出て来た時、
「急性免疫性ニューロパチーってなんだ??」と
最初に思いました。意味の想像すらつかなくて。
日本語の方が、断然分かりやすいニューロパチー。
ニューロパチーって、「末梢神経障害」って意味だったのか・・。
いやいや、「免疫性末梢神経障
リンスインシャンプーとキシキシ。
部屋を片付けていたら、旅行用のミニボトルセットが出てきました。
状況が落ち着いたらと捨てずにいましたが、
いつになることやらなので、使ってしまう事に。
ビニールポーチの中には、ボディソープ、
洗顔フォーム、そしてリンスインシャンプー。
そのリンスインシャンプーを見て、ギランバレーで
入院していた時のことを思い出しました。
リハビリ病院に転院になり、定期的に
病院での入浴予定が入るようになり