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一見同じ泣くだけど

病気になってからの泣いた話を聞く機会があり、
私はどうだったかなと思い出していました。

ギランバレー症候群で入院中を思い出してみると、
治療を行う急性期病院では、なにせ寝たきりで動けなくて
頭はハッキリしているだけに気持ちがついて行かなくて。

泣いていた記憶は何回かあるのですが、
気が付くと涙が出ている感じでした。
何かの感情で泣くというよりも、
色んな感情がぐちゃぐちゃになって
涙になって出るという感じ。

ただ1回だけ、はっきり泣いたのを覚えているのは
それは夜中に夜勤の看護師さんに話を聞いてもらった時。

1日中、しょっちゅう何か叫んでいる入院患者さんがいて
部屋が近かったから声がはっきり聞こえるんだけど
その日も目が覚めたらその人が叫んでて。
その声を聴いたら堪らなくなって、耳をふさぎたいけど
出来ないし、眠れないし、いっぱいいっぱいになって。

気がついたら涙が出てて、流れるに任せていたら
巡回の看護師さんが気が付いてくれて、
「どうしたの?」って。

あの声を聞いていたら堪らなくなったとも言えず
「いえ、何でも」と言っていたら
「あの声を聞いて、辛くなっちゃった?」って。

普段からすごく気にかけてくれて、信頼している
看護師さんだったので、つい気が緩んでしまって、
「そうなんです・・」と認めてしまった。

「夜勤だし、人少ないし、大丈夫です。
    なんか、すみません」と言ったら
看護師さんは「ちょっとごめんね」と言って
私のベッドの端に腰を下ろして、肩に手をあてたまま
「かんちゃんはそんなこと気にしなくていいんだよ。
    看護師はね、お手伝いするためにいるんだから」
と言ってくれました。

もう受け入れられなくてかたくなになっていたこころが
スーッと楽になって、ボロボロ泣きました。
看護師さんは、肩をトントンとしながら
「うんうん」と話を聞いてくれました。

その頃、押せないのでナースコールも使えず、
叫んだり、色んな方法で呼んで、やっと来てもらえても
急ぎじゃないと後回しにされることが重なっていて
私は生活に必要な事すら出来ない現実に打ちのめされていました。

「何にも自分で出来ないから、仕方ないんだけど、
    迷惑ばかりかけてるから、仕方ないんだけど、
    もういるだけで迷惑だとは思うんだけど」

そんなことを泣きながら言っていた気がするのですが
「そんな思いさせてごめんね。そんな思ってないからね」
看護師さんは、苦しそうな顔をして、何回もそう言って
謝ってくれました。

「分かってるんです、忙しいし、人少ないし」と言うと、
「かんちゃんがすごく気遣ってくれてるの、皆分かってるよ。
    本当に苦しい思いさせてごめんね」と、看護師さん。

とても苦しそうだったので、申し訳なくて
また「ごめんなさい」と言って涙が出ました。
その後も、「今平和だし、何かあったらPHSに
呼び出し来るからいいや」と言って、
落ち着くまで話をしてくれました。

最後お水を飲ませて、目薬を差し、
氷枕と体勢を変えてから
「うーん、今日はかんちゃんと話せてよかった。
    休憩しちゃったから、ちょっと頑張ってくるね」
と、看護師さんは部屋を出ていきました。

その背中を見て、また泣きそうになりました。
でもその事があって、その直後に看護学生さんが来て
周りに人に助けてもらうことで自分を責めなくなったことで
今の自分があると思っています。

ただ涙が出る、けどその理由が分からないだったのが
初めてはっきりと自分の不安や混乱や
悲しみや焦りや色々と向き合えた。

この涙は必要だったんだと思います。
そしてそれは、専門職として患者の様子から
今向き合おうと思い、実行してくれた看護師さんのおかげ。

それ以来、私は治療に向き合う様になります。
されるがままじゃなくて、自分の身体のことだと
はっきり意識して、治ろうと思える様になりました。

大きな涙だったと思います。
同じ泣くでも、ここには大きな差がありました。
看護師さんに、感謝。

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