佇む時間が欲しい

前は良かったなと思うのは、
佇む時間があったこと。

かっこよく書いてはいるけど、
つまり、ぼーっとする時間のこと。

最近は一日の流れが決まっていて、
この時間になったらご飯を作って
家族を呼んで食べて、片付けて。

その合間は体力を回復させるために
その日の体調にあわせて休息。

休息時間はボーッとできるかと言うと違って
休むことに一点集中。
というより、休むことになっている位なので
正直何も考えられない状態なのだ。

なので、頭の中は空っぽ、半覚醒状態。
たまに寝ているのか起きているのか分からなくなる。
目を瞑っているのかもわからなくて、
目を閉じているつもりなのに部屋の風景が見えてたり。
なんともいえない、不思議な時間。

ほんの10分程でもそれを挟むと体力が回復する。
それからやっていた用事の続きをするのだけど
たまに自然とため息が出る。

それは、またそろそろ休まなきゃと自然に思うから。
もう少しでキリがいいのに、
もう少しで終わるのに、
出来ない。

悔しい。
情けない。
と、自分に対して思ったりもする。

でも、仕方ないんだ。
出来ないんだから。
これ以上やったら、倒れてしまうかもしれない。
・・・諦めて、また横になる。

前は、全部終わらせたり、キリのいいところで
佇む時間があった。
ゆったりと気分転換に動画を見たり音楽聞いたり
美味しい飲み物を飲んで、お菓子食べちゃったりして。

今の、本気で休まなければいけない休息じゃなく
達成感だったり、ゆとりのある時間。

「佇む」の意味は、私の言っているのとは
ちょっと違うのかもしれない。

たたず・む【×佇む/×彳む】 の解説
[動マ五(四)]
1 しばらく立ち止まっている。じっとその場所にいる。
2 そのあたりをうろつく。

goo 辞書より引用

私の中では、自ら少しゆとりを持って休む。
ちょっと手を止めて見直す、その場で考えてみるイメージ。
それが私の「佇む時間」。

休息時間という程、その事を忘れてしまえないからなのだけど
何となく語感とかもしっくりくるので使っている。

そういう時間が最近はない。
常に何かに追われているというか、
あれをやらなきゃ、これをやらなきゃ。

活動時間が限られているからかもしれないが、
本当はここまで、もしくはこれもしたかったとつい思うし、
今日もこれしか出来なかったと思って、
何となく自分を責めてしまう。

そう考えない様にはしているけれど
自分にとっても何とも寂しい限り。

同じく病気をもつ友人たちに話したら、
「大手を振ってゴロゴロする」
「十分やっているんだから、誇りに思い給へ」と。

大手を振ってゴロゴロか、と笑ってしまった。
そうだ、休むのも私の大事な用事なのだ。
堂々とゴロゴロしよう。

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