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身を任せるに限る

ふわふわと風にのって飛んでいく綿毛。
自分が飛ばしたのに、羨ましくなる。

本当は飛びたくなかったのかもしれない。
飛ばされるにしたって、こんな大雨の直前じゃなくて
気持ちのいい天気になるはずの明日が良かった、とか。

でも身を任せるしかない時ってあるもので。
寝たきりだった時期なんて、まさにそうだった。
もうちょっとこうしてほしいとかあっても言えなかったし、
それは文句と捉えられてもっとひどくなったら困るから。

病気の治療でさえも、調べたり選択する余裕もなく
その前に急を要するから、決定だった。
治療法もはっきりこれというのがあるわけじゃないし
急いでるし、これでいくみたいな。

本人は書類を書いたりもできないから、家族が書く。
同意書なんて、結構怖い言葉が並んでいたりして
書けないから代わりに書くんだけど、責任というのか
何とも言えない重い気持ちがのしかかったり。

私はギラン・バレー症候群ついての質問で
「動けなかった時、どんなことを考えていたのか」
「病気について、知りたかったことはどういう点か」
「欲しかった情報やサービスはなにか」
などをよく聞かれたけれど

急性疾患なので症状の進行が早くて
生活に必要な食べたり排泄したりとか
その間の検査やなんやらとか
それをこなすだけでもしんどすぎて
合間は気絶するように寝ていた。

なので答えは
「何にも考える余裕はありませんでした」
当事者としては正直それなのだけれど
そうも言えないからやや元気を取り戻してからのことを話す。

「いつまでこの状態なのかなとか、
 どういう感じで症状が進んで、回復はどのような
 経過をたどるのかとかですかね。
 ここを見れば大丈夫という安心できる情報サイトが
 あったらいいなと思ってました」と。

それは嘘ではないし、今もそう思っているけど、
やっぱりそうですよねみたいな反応が必ずといっていいほど返ってくるので
本当は何にも・・と、少し申し訳ない気持ちになる。

自分では寝たきりで何もできないから
全て身を任せるしかない。

横になって天井を見ていると、
次の瞬間の自分のいのちを繋ごうと
身体が頑張っているのをヒシヒシと感じた。

余計なこと考えている場合じゃない。
よろしくお願いします。
素直にそんな気持ちになった。

普段からクヨクヨしがちな私が
生まれてはじめてこころから
全面的に身を任せざるを得なかった。

あの時期の無力感たらなかったんだろうけど
余りにも体力を奪われすぎてて、気持ちの動きはなかったし、
周りからの色々な声や、生きるために必要なことすら出来ない
そんな現実に打ちのめされていた。
おむつをつけるなんて初めてだったし、
汚れて泣いている新生児の気持ちが痛いほどわかった。

頭がしっかりしているのに動けなくて
介護を受けるのは本当に辛い。
頭は元気だから辛いのよといっていた
祖母の言葉も今更ながらわかった。

人間として見てほしい。
それだけだったんだけど。
身を任せるしかなかったんだな。

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