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【テレビ】封印された1970年代「左翼」ドラマ

再放送されなかった人気時代劇


6月22日のXに、「えっ?!」と驚く投稿があった。

1971〜72年にNHKで放送された時代劇「天下御免」に関する、古い新聞の投書を紹介するポストである。

その新聞の投書には、こうあった。


「天下御免」の再放送を
NHKテレビ6日最終回の「天下御免」の再放送をお願いしたい。「天下御免」は13歳で中学生の私が見ても大変おもしろく、また私のまわりの大人たちも、この番組だけは見逃さなかったようだ。だから「男は度胸」のようにぜひ再放送してもらいたいものである。

NHKから 
「天下御免」は世相にタイミングを合わせた番組なので、再放送できません。大変そっ気ないようですが、このことは、世相に合わせた番組の宿命みたいなもので、ご期待にそえないことをご了承ください。

「おタケさん」の6月22日11:36のポストより


新聞名は不明ながら、内容から、「天下御免」の最終回1972年10月6日直後の紙面だろう。

「天下御免」の再放送を希望する視聴者に、NHKが「世相に合わせた」番組だから再放送できないと答えている。


「天下御免」は、大河ドラマとは別の「金曜ドラマ」枠で放送されていた。平賀源内を主人公にした時代劇だ。1971年10月8日から、午後8時〜9時の1時間、1年間46回分放送された。

これは、傑作時代劇だった。平均視聴率30%を超える人気作でもあった。

わたしも子供の頃、リアルタイムで見ていた。めちゃくちゃ面白くて、大ファンだった。これを投書した「13歳の中学生」は、わたしではないか、と思ったほどだ(でも、わたしではない)。

「天下御免」再放送の希望は、NHKに殺到しただろう。


だが「天下御免」は、当時の放送局のビデオ事情(番組を次々上書きして消していた)から、NHKに保存されていない。だから、再放送できない、と長らく説明されてきた。

当時のビデオテープは高価だったらしいから、仕方ないか、と思うしかなかった。


それなのに、この新聞投書によれば、放送直後に、「世相に合わせた番組」なので再放送できない、とNHKは説明していた。

これは、これまでわたしが聞いてきた話とはちがう。だから驚いたのだ。


「封印」の理由


投書で言及されている「男は度胸」は、金曜ドラマ枠の前番組だった(1970〜71年度)。

徳川吉宗を浜畑賢吉が演じた。柴田錬三郎の「徳川太平記」が原作。脚本は小野田勇。


こういうことだったのではないか。


当時のドラマには、放送直後に再放送されたドラマと、されなかったドラマがあった。

それは、視聴者の人気や希望によるのではなく、「内容」によった。

「天下御免」も「男は度胸」も、今では「ビデオが保存されていない」から再放送されない(できない)のは同じだが、当時においては、内容によって区別されていた。

「天下御免」は、放送内容が「時代に合わせた」ものだったため、「男は度胸」と同じ扱いをされなかった。

世相に合わせた番組だから再放送できないーー何か、意味深ではないか。

「天下御免」の何が特別だったのか?


もう1人の脚本家


録画が消失したとされた「天下御免」だが、その後、平賀源内役の山口崇が自宅で録画した第1回と、最終回(第46回)の一部が発見された。

わたしはそのことを知らなかったが、その幻の第1回、そして最終回の一部は、1988年に「NHKビデオギャラリー」で放送された。


『NHKビデオギャラリー』天下御免
(まんがこども文庫 2023/12/6)


また、音声のみの最終回全編を視聴者が保存しており、それも現在、YouTubeにアップされている。


テレビ時代劇「天下御免」最終回(音声のみ)(natvcol 2023/10/9)


これらのおかげで、わたしは昨日、50年以上ぶりに、「天下御免」を視聴することができた。

感激であった。

オープニングの黒鉄ヒロシのイラストと、山本直純のテーマ曲が懐かしく、心が沸き立った。


しかし、第1回のオープニングタイトルが始まって、すぐまた「えっ!?」と驚くことになった。

作者として、早坂暁とともに「佐々木守」の名前があったからだ。


オープニングの「作 早坂暁 佐々木守」


たいがいの資料では、「天下御免」は早坂暁のオリジナル作品とされている。早坂は単独で「天下御免」のシナリオ集を出版しているし、舞台版や続編も書いている。

改めてwikipediaなどを確認すると、確かに回によって佐々木守が書いていたことになっていた。

でも、第1回から、早坂と佐々木の合作のような扱いになっていたことは、WikiやNHKの資料にも出ていない。


佐々木守ーーご存じの方も多いだろうが、1960、70年代を代表する脚本家であるとともに、元共産党員で、「極左」的思想をもった人だった。

日本赤軍を支持し、重信房子のゴーストライターを務めたことでも知られる。


「体制」と闘う平賀源内


ざっくりいえば、「天下御免」は、当時の新左翼的な思想を色濃く反映したドラマなのだ。

わたしは数日前、1970〜73年のジェーン・フォンダのベトナム反戦運動について書いたが、まさにその時代の空気を映している。

その左翼色こそが、NHKがいう「世相に合わせたドラマ」の意味であり、再放送できなかった理由であった疑いが、濃厚なのである。


具体的に、どんなドラマか。


四国の讃岐・高松藩の足軽の家に生まれた平賀源内は、科学的・合理的思考の持ち主で、封建主義の江戸時代に、自分が「早く生まれすぎた男」であることを自覚していた。

源内は、長崎留学で外国の「自由な風」を知り、蘭学者として江戸に行ってから後は、開明的な能吏である老中・田沼意次とともに、鎖国を解いて日本を世界に開き、日本に「自由な風」をあびせようとくわだてる。

しかし、守旧派の陰謀によって田沼は失脚。命をねらわれた源内は、「結局、日本は俺たちをまだ受け入れられない」と考え、国外逃亡をこころみるーー


そういえば、平賀源内考案の「土用の丑の日」は、もうすぐですねえ。(今年は7月24日らしい)


「学生活動家」の姿


上のあら筋を読んだだけでも、ピンとくる人はくるのではないか。

リアルタイムで見ていた子供のわたしはまったく分からなかったが、このドラマは、当時の左翼たちの心情を代弁していた。

脚本家の佐々木守が日本赤軍の支持者だったことを考え合わせれば、国外逃亡する平賀源内と、重信房子の姿が重なる。


1988年の「NHKビデオギャラリー」では、司会の市川森一が、

「放送当時は、あさま山荘事件など、暗い事件がありました。『天下御免』は、そんな暗い世相を吹き飛ばす痛快時代劇でした」

と、意味深なことを言う。


ゲスト出演した早坂暁は、

「危険な企画で、途中でいつ潰されるか分からなかった。行けるところまで行こうと思った」

と語っている。

そして、市川と早坂は、

「傑作ドラマには冒険が必要だ」

「NHKだからこんなことができた」

などと「天下御免」とNHKを讃えあっている。(佐々木守についての言及はない)


要は、連合赤軍のあさま山荘事件に象徴される、内ゲバ事件の多発で、落ち込んだ左翼の気分を、持ち上げるためのドラマでもあった。

それは、現存する第1回と最終回を視聴しただけで分かる。


第1回の冒頭、高松藩の百姓一揆に理解を示し、百姓に「連帯」する「知識人」、平賀源内の姿が描かれる。

ドラマのなかの平賀源内は、まさに学生活動家のようで、人民を指導する「前衛」なのである。

そして、自分以外の藩の役人やサムライ、つまり既成政治権力は、徹底して「時代遅れの愚物」として描かれる。


最終回のクライマックスで、平賀源内が、田沼意次にこう訴える。

「日本という国は、将軍がいなくても、幕府がなくても、サムライがなくても、大丈夫、日本です!」


これは、まあ、天皇制を否定しているわけですね。軍備(サムライ)もない、「非武装中立」の、百姓と町人だけの共産主義的な日本で「大丈夫」だ、と。


他にも、「女は男に従順であることを強いられてきた」なんてフェミな発言もあります。

とにかく、いろんな面で「時代を先取りした」ドラマであるのは間違いない。


ビデオは残っていないが、「天下御免」には、当時の美濃部亮吉・東京都知事も出演していたらしい(わたしは覚えていない)。

いま蓮舫や日本共産党らが「再現」したいと思っている、かつての革新都政の主役である。

マルクス主義者の美濃部がゲスト出演するのも、ドラマの思想内容から納得できる。


重信房子と「天下御免」


最終回、ドラマの結末では、国外逃亡をくわだてた平賀源内が、妻(中野良子)や同志とともに、気球に乗って空に消える。

それは、源内たちが「美しく滅んだ」ことを示している。源内たちは、死んだんだ、と、わたしは長らく思っていた。


「天下御免」が終わった1972年には、「ハチのムサシは死んだのさ」という歌が流行った。


この曲は、「左翼運動が国家によって潰された」ことを歌っている(少なくとも多くの人がそう受け止めた)と、広く認められていると思う。

わたしは長らく、「ハチのムサシは死んだのさ」は、「天下御免」の挿入歌だと思い込んでいた。そのくらい、メッセージが似ている。


しかし、今回、最終回の音声を聞いて、わたしは自分の思いちがいに気づいた。

平賀源内は、死んでないのである。


発掘された最終回の映像で欠落している最後の10分は、音声のみのテープで聞くことができる。

それによると、源内たちが気球で消えたあと、突然、砲撃の音とともに、「ラ・マルセイエーズ」が流れる。

そして、ナレーションの水前寺清子が言う。

「意外や意外、沸き立つパリ市街の街角に、源内さんたちによく似た人たちを見たという・・」


つまり、日本を脱出した平賀源内は、フランス革命に参加したことになっているのだ。

1779年に獄死したことになっている源内が、生き延びてフランスにいれば、1789年の革命に参加したことは、たしかにあり得る。

「フランス革命」という言葉が使われず(テロップが出たかは分からない)、「ラ・マルセイエーズ」だけで暗示されたから、子供の頃のわたしには意味が分からなかった。


ちなみに、重信房子が「国外逃亡」したのは、まさに「天下御免」が始まった1971年だった。

そして1972年5月30日、「天下御免」放送中に、重信らの日本赤軍は、イスラエルのテルアビブ空港で民間人20数名を射殺する「革命」を起こす。


「天下御免」が再放送されなかった理由が、なんとなく分かるではないか。


文革と「お荷物小荷物」


佐々木守といえば、その思想が最も色濃く出たドラマは1970〜71年の「お荷物小荷物」(ABC、TBS系)だろう。

これも、わたしはリアルタイムで見ていた。

これも、傑作であった。


「お荷物小荷物」のビジュアル


基本的には下町の運送店を舞台にしたホームドラマなのだが、中山千夏らの登場人物が、ドラマそっちのけで突然「学級会」みたいなのを開き、「今のは女性差別ではなかったか」などと議論を始めるのである。

つまり、当時中国で進行中の「文化大革命」を、日本のドラマの中でやっていた。

この「お荷物小荷物」も、最終回以外は録画が残っていない。惜しいことである。


この「お荷物小荷物」は、さすがに左翼すぎて、放送中から問題になった。

Wikipediaでは、こう解説されている。


沖縄県の基地問題、アイヌ問題、天皇制などを題材にするなど社会派作品としての面も持つ。テレビドラマの約束事を打ち破る手法で人気を博したが、当時の有識者からは「有害番組」と評された。


wikipedia「お荷物小荷物」



佐々木守の思想は、1971年に「お荷物小荷物」が終わったあと、NHKの「天下御免」に引き継がれていた、というわけなのである。


巨大な思想的影響


以上述べたのは、べつに「天下御免」を、いまさら「偏向番組」だと叩きたいからではない。

左翼思想が盛られていようといまいと、「天下御免」や「お荷物小荷物」が傑作であることは揺るがない。

佐々木守が、才能に溢れた優れた脚本家であったのも間違いない。


それに、当時は、まだ左翼思想に希望が持てた。

文化大革命の実態は知らされておらず、ポル・ポトの虐殺も起こっておらず、ソ連も崩壊していない。

そうした後の歴史を知らないのは、仕方のないことで、作品の罪ではない。


ただ、わたしは、それらのドラマがほとんど保存されておらず、その影響力を現在の時点から測ることができない、その問題を問いたいのである。


右翼や保守の人たちは、よく「自虐教育」や「反日メディア」の戦後における悪影響を問題にする。

しかし、それを聞くたびに疑問に思う。

そんなに学校の教育や、新聞の論説などに、影響力があったのか、と。

たいがいの国民は、わたしもそうだが、学校の先生の話など真面目に聞いておらず、新聞の社説なんか読んでいない。


でも、テレビは見ている。

とくに昭和の戦後は、ほかに娯楽がないから、みんなテレビをぼーっと見ていた。

わたしにしても、そうである。

そのテレビの思想的影響力は、「学校」だの「新聞」だのの数百倍あった。


しかし、学校で使った教科書や、新聞は残っていて、その内容を検証しようとすればできるけど、テレビはそうではない。

あれほどの「思想注入力」「洗脳力」を持っていたのに、「ビデオが残っていない」という理由で、その内容を現在検証できなくなっている。


これも、一種の「焚書」ではないかと思う。

以前、noteで書いたことがあるが、朝日新聞や毎日新聞、また講談社などが戦中に発行した「戦争協力」出版物は、戦後GHQによって「焚書」された。

GHQが焚書したことになっているが、わたしはこれは、朝日や毎日が積極的に協力したんだろうと思っている。

それによって、自分たちの戦争協力の跡を消すことができたからだ。


1960年代、70年代のTVドラマが残っていないのも、理由はともかく、効果としては同じだと思う。

そのため、日本人は、このテレビの左翼全盛期に、テレビが自分の思想を「洗脳」したことに気づかない。

わたしは、この時代にメディアによって左翼に洗脳されたであろう人たちと、マスコミ内でずっと仕事をしてきたから、より強く感じる。

戦後に生きた日本人は、「何が今の自分の思想を作ったか」、分からなくなっているのだ。


「これは、自分が実人生のなかで掴んだ世界観だ」

と思っているものが、テレビや映画、または漫画やアニメの影響にすぎないことは、よくある。

その影響をさかのぼって自覚できない限り、外から与えられた世界観の呪縛から逃れられない。


わたしも、今回「天下御免」を50年以上ぶりに再見して、いろいろ気づきがあった。

わたしは、その後、歴史の教科書で、田沼意次は賄賂で腐敗した政治家だといくら教わっても、悪者だと思えなかった。それは、「天下御免」で、仲谷昇が演じる「田沼意次」を見ていたからだと分かった。

平賀源内の理想を理解しながら、現実主義に徹する、仲谷昇の田沼意次は、超かっこよかった


それは小さなことかもしれないが、もっと大きな世界観や歴史観で、わたしは影響を受けていたと思う。


1970年前後のテレビの左傾について、述べたいこと、というか、思い出はいろいろある。

ビデオが残っていないなら、生き残りがせっせと記憶を書いて残しておかなければならない。

が、長くなるので、いったんこの辺にしておこう。



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