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自分で選べる日が来るまで

私にはずっと選択肢がありませんでした。

選択すれば怒鳴られ、人格を否定され、生きてる価値がないとまで言われ、立ち上がることができなくなるまで殴られるからです。

自分の意思を持てば必ず否定されます。
その意見が一般的に常識であり、理にかなっていたとしても絶対に否定されます。

まず私はなぜ否定されるのか?
その答えを探し続けました。
でもその答えはないのです。

こういう人と生きてずっと一緒にいたいと思うなら自分の意思は捨てることです。
自分は何か、”物”なのだと思いただ貝になるのです。
子供はまともそうに育ったとしても、彼らは絶対に傷を負っています。
その傷はそのまま開きっぱなしで何かを誘発する材料になるのか、癒やされて閉じるのかはわかりません。
子供にも感情はあります。
自分の父親が自分の母親に暴言を吐いたり暴力を振るったりしているのを見て平気なわけがないのです。
私と同じように、平気なわけがないのです。

平気なのは暴力を振るう夫だけです。

人はみんな常に選択をし続けて生きています。
明日の朝は何時に起きようか?
今日は何を食べようか?
今日は何を着ていこうか?
どの靴を履こうか?
どの仕事を優先的に取り掛かろうか?
このメッセージにどう返信しようか?

私はこのような選択を長い間していませんでした。
超優柔不断な人間になっていました。
自分で選択や判断をしないことを続けると、頭は考えることを諦めて辞めてしまいます。
そうなると新しいことを知ったとしても使うことはないので、何かを調べようという気がなくなります。
そして廃人が出来上がるのです。

そんな母親といて子供は幸せになれるのか?
なれないと思った時、私はもうこのようにしか生きていけないけど、子供は幸せになる権利があるのだと思いました。
子供は小さくて、一人では生きていけません。
私が廃人になることで子供に選択肢を与えることができないということは、私は子供に対して夫と同じことをしていると思いました。

私が自分の意思を捨てた時、昔のことばかり思い出していました。
私には生まれた時から住む家はあり、海外に出ていくまでその家にずっと暮らし、私の両親はまだその家に住んでいます。
私がやりたいと言ったことを両親が否定したことはありませんでした。
怒られたことはありましたが、それで不安になったり恐怖を感じたりしたようなこともありませんでした。
いつも当然両親がいて、当然住む家があり、当然好きなものがいつでも食べられると思って暮らしていました。

私はそんな生活を選択することを子供にも与えたいと思いました。
私が死んでもその選択を子供に与えたいと思いました。
夫から逃げることは命の危険を伴いますが、それでも子供が自分で選択するということを経験しないまま一生を終えるなんて絶対に嫌だと思いました。

それが廃人になった私の選択でした。

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