随筆(2021/3/11):魔法と科学の対比を、もうちょっと広く考えてみる(2.科学の「科学技術的成果←科学技術者←科学技術←科学」モデル)
2.「科学であるかないか」という別の軸を適用する
2.1.学問が「科学」になると、ほんの少し目的物(財)に近づく
事例研究と記録と編纂と整理と再利用の、法則の集大成、学問。
これに、整理の周辺の営みとして、仮説を立てて実験をして統計を取って適正な理論にすると、科学になる。
実験や統計なんだから、現実によって検証されているのは、もちろん猛烈なアド(利点)だ。
(ここまでガチガチにするかは場合によるし、場合によればもっといろんなものが要る。
妙な話をすると、理論物理学は、理論のために、究極的には実験や統計から逃げられない。が、仮説の構築にリキ入れてる際に、実験や統計の話は後回しになっていることも多々あるだろう。
例えば、超弦理論・M理論・F理論の実験とか統計とか、出来たら素晴らしいが、そういう話、ほとんど聞かないもんな)
***
とはいえ、科学が、法則や学問の一種であるという時点で、
「目的物や、あると嬉しいもの(財)を、直ちに寄越せ」
という話からは、そもそもかなり遠くなってるんだよな。
「目的物や財を直ちに寄越せ」という願いが、実際に直ちに寄越されると、これは猛烈に有難みのある「神の領域」の恩恵や奇跡や幸運になる。
少し迂遠ながら、技「術」や、技「術」を使う技「師」が存在する。
(その案件が、
「やりたいことだが、人の手に余る、よく分からない、ちょっと面倒な、有り難みのあるかもしれないもの」
だった場合、そこはざっくりと「魔の領域」扱いされるし、だからそういう技術は「魔術」扱いを、そういう技師は「魔術師」扱いをされることになりがちだ)
技術を事例研究・記録・編纂・整理・再利用しようとすると、要請される「法」則や学問がある。
そういう法則や、それをする学問は
「技術よりもう一段噛まして、分かるやつには分かる(カタギは分からない)ようにした、クソ面倒な、有り難みのないもの」
である。
「有り難みのないもの」。これは、言わば、「人の領域」だ。
こういう法則なり学問なりは、見る人が見れば有り難みが分かる代物だ。
または
「人の、少なくとも自分の手に余る、よく分からない、ちょっと面倒な、有り難みのあるかもしれないもの」
という麗しい誤解をされて、有り難くも「魔の領域」、「魔法」の世界のように扱われるかもしれない。
そういう意味では、法則や学問は、実際には「人の領域」と「魔の領域」にまたがるものとして扱われることになる。
が、そういう法則や学問の有難みが分からなければ、分からない人にとっては、ふつうに
「なんかやたらかったるい寝言」
であろう。
ただの「人の領域」であり、しかも価値に乏しいものだ。
だって、どんどん目的物や財からは遠くなるんだからなあ。不明瞭で即効性がないんだからなあ。そりゃあなあ。
というか、同じ「人の領域」のものなら、筋肉の力の方が、明瞭で即効性があることも多々ある。
そんな筋力の明快さに惹かれる人たちから見れば、学問、まるで評価に値しないだろう。
これに対して言い返すのはかなり難しいものがある。そういう人達は明瞭さや即効性を見ているのに、学問はふつうこれを直ちに示せないからだ。じゃあ、説得出来る訳がない。
***
こうなると、「科学」についても、
「もともとは目的物や財から数段間接的で「遠い」ものである法則や学問のうち、目的物や財との擦り合わせを試みたものである。
とはいえそれそのものはやはり、シンプルでなく即効性もない、法則や学問に過ぎない」
と難じられても、これに反論することはかなり難しいだろう。
科学に価値が認められているとしたら、一つはそれが人の領域と魔の領域にまたがり、魔の有り難みを高く評価する人たちに、魔法の一種として麗しく勘違いされているからだ。(やだなあ)
もう一つは、目的物や財との擦り合わせのため、現実を加味しており、単純に目的物や財により近いからだ。
(ここで
「つまり、現実をより反映しているから、って話だろ」
と安易に納得してはならない。
それは「つまり」ではないからだ。
「現実そのものに有り難みを感じる」
のは、
「現実の、目的物や財に対する寄与」
よりも
「現実そのもの」
を重んじる人たちだ。
これはつまり、
「目的物や財に、相対的にあまり価値を置かない」
人たちだということを意味してもいる。
残念ながら、もちろんこういう人たちは、世間的にはだいぶ少数派に属する)
2.2.科学を活かして技術が「科学技術」になると、ほんの少し目的物(財)に近づく
さて、科学は、「目的物や財が直ちに欲しい」人たちからすれば、
「人の領域だか魔の領域だか分からない、学問のかったるさに比べたら、少しマシではあるが、それだけ」
の立ち位置に過ぎない。
科学は、ただの法則や学問より、もう少し目的物や財に近い。それだけ。相変わらずかったるい。
***
だが、科学には、(有難みではなく)ある嬉しさがある。
前回、手段や技術は、法則や学問より、もう少し目的物や財に近い。という話もした。
(正確に言うと、財との距離が、技術よりもさらに遠くなったのが学問で、学問からやや近くなったのが科学だと言える)
で、科学に基づいた技術、即ち科学技術は、ふつうの技術より、実は財に近付くことが出来る。
そりゃあもちろん、現実によって検証されているんだから、実際に財をもたらせる度合いは高くなる訳だ。
要するに、科学技術は、技術よりもさらに、ほんの少し、財に、近い。
2.3.科学技術を生かして行為者が「科学技術者」になると、かなり目的物(財)に近づく
ちなみに、科学技術は誰でも使える度合いが比較的高い。そこも嬉しさがある。
それでも、
「ボタンを押せば財が出てくる。しかも、信頼に足る、高い確度と精度で」
とまではいかない。
ここまで行けば非常に嬉しいではないか。
で、やはり、「誰でも使える度合いが比較的高い」科学技術でも、それが使いこなせる人は、実質的には希少価値が高い達人な訳だ。
で、そういう、特に科学技術に長けた、リアル「科学技術者」と言うべき人たちは、いる。
「科学技術者」は、「科学技術者に依頼する依頼者」の立場に立てば、これはだいぶマシな扱いになる。
そりゃそうだ。「ボタンを押せば財が出てくる。しかも、信頼に足る、高い確度と精度で」という話なんだから。
だから、こういう人達は、非常に重宝される。(飼い殺しや口封じもされるかもしれないが)
2.4.恩恵や幸運に頼らない、人が到達した奇跡、目的物(財)たる「科学技術的成果」に、しかしもう神の領域の有難みはない
科学技術者は、財を、安定的にもたらすことができる。依頼者の認識では、ボタン一つで。
こうした財、即ち「科学技術的成果」は、恩恵や幸運に頼らない、人が到達した奇跡だ。
しかし、ここに有難みがあるかというと、それは有難みを感じる人たちの感じ方にもよる。
「降って湧いてくるものではなく、自分で手に入れるものなので、有難みには乏しい」
という人、割と多いのではないだろうか。
「降って湧いてくる、有難いもの」
は、「神の領域」と呼びうる。
「自分で労力等のコストを支払ってようやく手に入っている」
時点で、「神の領域」もへったくれもない。
自分の手でやらなならん以上、
「神も仏もあったものではなく、ご褒美もへったくれもなく、ごく当たり前の自助努力に過ぎない。有難み? ある訳がない」
ということである。
「クソー」という気持ちになるの、まああることだろう。
2.5.「目的物→行為者→手段→法則」と「抽象→具体→さらなる具体」と「科学←学問」の3つの話を、無理矢理一直線上に潰す
さて、今までの話には、3つ軸があった。
「目的物→行為者→手段→法則」という、いわば降下する順序と。
「抽象→具体→さらなる具体A」という、もう一つの降下する順序があった。
抽象が「目的物→行為者→手段→法則」、具体が「財→専門家→技術→学問」、さらなる具体Aが「恩恵・奇跡・幸運→魔術師→魔術→魔法」と考えてもらってよい。
これに加えて、「科学←学問」の、反転して上昇する順序があった。
本当はこれは「抽象→具体→さらなる具体B」と考えてもらった方がよい。
さらなる具体Bは「科学技術的成果←科学技術者←科学技術←科学」となる。
***
さらなる具体Aとさらなる具体Bを、
「目的物や財が直ちに欲しい」
という観点から、一直線上に並べることも可能だ。
というか、こうしたニーズを持つ依頼者にとってみれば、大事なのは
「目的物や財からどれだけ近いか遠いか」
だけであって、
「現実に寄せた科学かそうでないか」
ではない。
現実に寄せたかどうかは、それが目的物や財を実現するかどうかという観点でしか評価されない。
それらの実現に寄与している現実も、そうでない現実もあり、当然ながら後者は依頼者にとってはこだわる価値のないものである。
(というか、依頼者を前にする場合に「限って言えば」、ここに科学者や科学技術者がこだわらない方がいいだろう。
成果物ではなく、御託を納品するの、依頼として成立してないではないか。これは私も陥りがちな罠だ)
こうなると、依頼者としては、
「科学かどうかはどうでもいいので、目的物や財に近いか遠いかだけ知りたい」
という動機で、一直線上にしたものが欲しくなる訳だ。
こういう動機は、ある。(というか、あって当たり前であろう)
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で、トップに貼り付けた画像を、縦一直線上に狭めてみよう。
即ち、
1.恩恵・奇跡・幸運(有難みのある神の領域の目的物・財)
2.科学技術的成果(有難みはなくとも嬉しさはある目的物・財)
3.科学技術者(依頼者にとってはボタン一つで2.がもたらされるに等しいので嬉しい)
4.魔術師(3.ほどの確度や精度はない)
5.科学技術
6.魔術(5.ほどの確度や精度はない)
7.科学
8.学問(仮説・実験・統計・理論で現実に寄せ直すプロセスの有無のため、7.ほどの確度や精度はない)
だいたい、こうなる。
こうなると、科学や学問が、それほど有難みを認められてない。という話になってしまう。イヤな話ですね。
(でも実際にもこう見られがちではある)
***
次回は、今まで何度か口にしてきた「有難み」という観点から、「神の領域」「魔の領域」「人の領域」の話をします。(これで終わりになるはずです)
乞うご期待。
(続く)
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