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随筆(2021/3/21):魔法と科学の対比を、もうちょっと広く考えてみる(4_FIN.評価者枠・実践系枠・成果枠の追加)

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4.まだまだいろいろある枠

4.1.「授受者」

4.1.1.人の領域にありながら、神の領域の財を有難くもらう「授受者」は、有難みを感じる「評価者」でもある

さて、前回まではまだシンプルな構造の話をしていました。
ですが、これはちょっとシンプルすぎて、まだまだ現実を反映していない、使い物にならないところがあります。
もうちょっとリアリティのあるものにしないといけません。
そうなると、実はだいぶ複雑な構造になります。(だからこの話は最後に回したのです)

***

そもそもは、「目的物」である、あると嬉しいもの、「財」の話をしていました。
ある日不意に与えられた、神の恩恵であり、神の奇跡であり、天から与えられた幸運。
神の領域の、授かりもの。
まずはそこをそもそもの話の始まりとしていたのでした。

***

さて、ここで、「授かって嬉しがる人」の話が出てきます。
「神の領域」「人の領域」の話は、例えば「恩恵」「授受者」の話になる訳です。
神から授かったものを、人が受ける。それは、嬉しい、有難いものである。そういう構造です。

***

この記事では一貫してプラスの「財」の話だけしていますが、「負債」の話ももちろんあります。
この場合、神から授かったものを、人が受ける。それは、辛い、困ったものである。
「財」の場合は、人はこれを再現して増やそうとしますし、「負債」の場合は解決して減らそうとします。

つまり、いずれにせよ、人は何らかの実践をすることになります。
この話を、次の節でします。

4.2.当たり前すぎて意識されない、もう一つの人の領域、「実践系」

4.2.1.「行為者」の「行為」としての即効性がある「腕力」

メチャクチャ当たり前の話をします。

神から授かったものを、人が受ける。それは、嬉しい、有難いものである。
これが再現出来て、増えたら、それはもっと嬉しいではないか。(有難みは減る。後述)

または、神から授かったものを人が受けて、それが辛く困ったものであった場合、これを解決して減らせば、辛さも困惑も減る。

どうすればいいか。
そりゃあ、やっていくしかない。
人が。

というか、今正に嬉しかったり辛かったりする、他ならぬ自分がやるのが、一番手っ取り早い。
そういう話になるだろう。

つまりは、「行為者」として「行為」をせねばならない。
もちろんこれは面倒っちいし、授かる有難みは一気になくなる。
そう、「人の領域」の営みになる。

***

そういう問題意識で、「腕力」について、考えてみましょう。
魔法と科学の話をしてたら、腕力の話が出て来ちゃったよ。スゲエな。何なんだこの記事。ちょっとおかしいぞ)

腕力は、有り難みのない、「人の領域」です。
ふつうは腕力は、自分、殊に自分の身体や、「自分が身体を動かしている」という運動主体感や、行為と、切り離せない。
そういう意味では、自分にとっては、ごくありふれたものだ。そしてこれは誰かからもらうものではない。有難みなどない。

だが、これが自分にとって、一番頼れるものでもある。
そりゃあそうよ。自分と(ほぼ)一体であり、自分が(ほぼ)使いこなせる、自分の力なんだから。

そして、
「自分が自分にとって頼れる」
「信じて託して問題なく物事が出来る」
ということは、よく言われることだが、とてつもなく大きな自信をもたらす。
逆にこれがないと、まず物事は出来ないのだし、あと自信はだいぶなくなるし、雰囲気としても自信なさげになる。たいへん困る。

(ただし、多くの場合、腕力に出来ることには限度がある。
穀物のでかい袋を担いだり、場合によっては切り出した石材を運ぶことも出来るかもしれない。
だが、大きすぎる石材を運ぶことは出来ない。
また、雨を降らすことは出来ないし、堤防が決壊しないという保証も出来ない

4.2.2.意識されない「やりやすさ」としての「技能」

やっていくうちに、「やりやすさ」というのは、身体が覚えていきます。
これは、ふつうは、意識しないものです。
が、「あれをやるぞ」と思った時に、自動的に脳が選択しているものでもあります。
一般には「(熟練する)技能」と呼ばれるものですね。

4.2.3.意識的に扱えるようになった「やりやすさ」としての「知識」

意識扱えるようにした「やりやすさ」は、「知識」と呼ばれることが多い。
これは、「ああするぞ」と思った時に、「「ああ」とは何か、細かく見ると、どういうもので構成されているか」という話です。

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知識そのものが意識構成しているか知りません。
自伝的記憶(思い出等)に結びついた自己同一性と密接な関係のある、「自分自身を説明する意識」、アントニオ・ダマジオの言う「延長意識」だったら、知識意識構成要素と言って差し支えあるまい。
が、そこまでいかない、「感じる意識」、ダマジオ言うところの「中核意識」もある。
これは「知識」参照する何かではあろうが、これ自体は「知識」要するものかどうかはかなり疑わしい。

***

なお、
「技能を知識として意識すると、うまくやれなくなる」
というのはよくあるし、
「技能からではないルートで学んだ知識が、技能に活きて来ていないから、役に立ってない」
というのも、よくあることです。
だから、技能知識は、別のものとして、分けておいた方がよいでしょう。

それでも、知識技能活きて来ることあります。
というか、技能の中から扱いやすさのために結実して意識されたもの知識となることもよくあり、そういうものはたいへんに役立ちます。
例えば、
「あのパターンだとああなるな」
というのは、身体だけでなく、頭脳でも覚えておくと、気が付いた時に意識的に対応できるようになります。
当然これは、得られていると、様々な局面での「行為」が、明らかに適応的になる訳です。そういうのがとても大事。

***

このように、「恩恵」「奇跡」「幸運」を受け取った「授受者」は、しばしばそれと似たものを増やすために、「腕力」をもって「行為」します。
そして、「行為」は、「やりやすさ」に従って最適化されます。
「腕力」一体化されており、意識されない「やりやすさ」「技能」。
その中から意識され、意識的に扱えるようになった「やりやすさ」「知識」。
これらがあると、猛烈にやりやすくなる。

4.3.「恩恵」「奇跡」「幸運」を模造した、人の領域でもたらされた「目的物」「財」の一類型たる「成果」

そして、それら(とは言っても主に「腕力」)によってもたらされた「目的物」「財」は、「成果」と呼ばれることになります。
これは、もはや、神の恩恵、神の奇跡、天からもたらされた幸運ではありません。それらのような、授かった有難みは、もうない。
人がこの手で作り上げた、有難みもへったくれもない、「人の領域」のものです。

ですが、これがあると、有難みはないが、嬉しさは大きい。
一回性のものを、再現できるんだから、うまくやれば量産できるってことだ。
生活世界はこれによって豊穣なものになりうる。家は住みやすくなり、飯が旨くなり、枕を高くして寝られるようにもなる。

4.4.「要望者」「依頼者」「使役者」

4.4.1.「評価者」に立ち返ると、「誰かにやって欲しい」というニーズ、ある

さて。
これには、大きな問題が、しかも複数あります。

「行為者」は、「財」を嬉しがる「評価者」でもあった訳です。
だから私的腕力行為をしてまで、「恩恵」「奇跡」「幸運」模造した「成果」を、己の手で作り上げたのだ。

で。
「評価者」に立ち返ると、以下のようなデメリットに気付くでしょう。
まず、「自分でやった」ら、「誰かにもらった」という、有難みのあるニーズは満たされない。
それに、「疲れる」んだ。
これでは、困る。

つまり?
「誰かにやって欲しい」。
そういうニーズが出て来ても、まあしょうがないんだよな。

4.4.2.「評価者」は、人の領域の技術者や魔の領域の魔術師に要望を出して依頼して使役する「要望者」「依頼者」「使役者」となることもある

そんな訳で、「評価者」の、「行為者」とは別の、もう一つの類型があり得ます。
つまり、他の行為者に、要望を出して、依頼して、何なら使役する、「要望者」、「依頼者」、「使役者」という類型が。

彼らは、要望依頼使役に、何らかの対価を払う。これをしないと、他の行為者はふつう、誰も応じてくれないからだ。
しばしばそれは、要望者等自身の作った、嬉しさと有り難みのある「成果」を使ったものになる。
他の行為者は、それの嬉しさや有り難みや欲しさ次第では、それを受け取り、代わりに何かをやるだろう。
そんな対価が払えない場合は、力ずくでやらせる場合ももちろんあるが、その話は今やってる話にあまり影響して来ないので、バサッと省略してしまいます)

こうすることで、業態としての「専門家」、要するに「技術者」(不確かさの大きい、だからこそ有り難みのある事柄については「魔術師」)が成り立つ。そういう分業化が生じてくる。

後は、「技術者」や「魔術師」の話は、もう既にしたので、特に繰り返しません。

***

要するに、「財」には「評価者」がつきもので。
どうするかによって、さらなる分岐がある訳です。

つまり、「行為者として直ちに自分がやって、「成果」を出して、これを恩恵等の代わりの「財」として扱う」か。
あるいは、「要望者等として、成果を出してもらうべく、専門家に頼む」か。

前者の場合、「腕力による行為をする行為者」「技能」「知識」の話に。
後者の場合、「人の世俗の領域」「技術者」「技術」「学問」の話か。
あるいは、「魔の領域」「魔術師」「魔術」「魔法」の話につながっていくます。
(後者2つはその後「人の科学の領域」「科学」「科学技術」「科学技術者」、そして「科学技術的成果」の話につながります)

5.ざっくりとしたリスト化(最終)

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そんな訳で、ヘッダとトップにも貼りましたが、再掲です。

・「目的物」の一類型としての「財」の具体例、「神の領域」の「恩恵」「奇跡」「幸運」

(***越えられるが存在する壁***)

・を、有り難く受け取り、また後で欲しがり、再現しようとする、「人の授受の領域」の「評価者」の一類型としての「授受者」

(***越えられるが存在する壁***)

・が、「人の実践の領域」で自ら「腕力」「行為」して再現しようとする場合の「行為者」
・のための「手段」としての「技能」
・のための「法則」の断片としての「知識」

(***越えられるが存在する壁***)

・によって人の手でもたらされる、「人の成果の領域」の「財」の一類型としての「成果」

(***越えられるが存在する壁***)

・を他人にやってもたらしてもらおうとする、「評価者」のもう一つの類型としての「要望者」「依頼者」「使役者」

(***越えられるが存在する壁***)

・に要望され依頼され使役される「専門家」としての、「人の世俗の領域」の「技術者」と、「魔の領域」の「魔術師」
・のための「手段」としての「技術」「魔術」
・のための「法則」の集大成としての「学問」「魔法」

(***越えられるが存在する壁***)

・を現実に寄せ直した「人の科学の領域」の「科学」
・に基づく「技術」としての「科学技術」
・に基づく「専門家」としての「科学技術者」

(***越えられるが存在する壁***)

・に基づく「財」のもう一つの類型としての「科学技術的成果」

大体こういう大雑把なまとまった領域がある。というモデルを考えています。

それぞれの原因結果関係や、目的手段(・課題達成・問題解決)関係については、矢印で示しました。
黒実線が主たる経路ですが、従たる経路としては灰破線の経路もありうると考えられます。

「恩恵」等が一番効用が強く、その他はそれぞれの効用からの距離があります。
しかもそれは、上の順序の通りではない。これは図で見た方がより理解しやすいでしょう。

そんな訳で、これで説明出来ることもかなり多いでしょう。
何より、しっくりくる(少なくとも思いついた俺は)。

***

この図は、使いたい方がバンバン引用して下さって結構です(署名は削らないで下さい)。
また、「説明が不十分で分からない」ということがありましたら(ありうる話です)、その旨コメント等でご連絡ください。気合があればご回答します。

(いじょうです。長い間、ご清聴ありがとうございました。お疲れさまでした)

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