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磨く結晶体

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わたしの中の大切なもの
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#詩

なにも

なにも

私は

特別な肩書きなど

何も持っていない

何にもなりたくない

何かになってしまったら

何かにつけ狙われてしまう

私は何者でもない

だから そっとしておいてほしい

そっと

🌿imo

リフアト・アライールさんの詩🌿“ If I must die ”

リフアト・アライールさんの詩🌿“ If I must die ”

“ If I must die ” ( Refaat Alareer )

If I must die
もし 私が死ななければならないのなら

you must live
あなたは生きなければならない

to tell my story
私の物語を伝えるために

to sell my things
私の遺品を売り

to buy a piece of cloth
布切れと

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おまじない

おまじない

大丈夫
大丈夫
大丈夫じゃなくても
大丈夫

🌿imo

(自分を励ます)
(それぞれお気に入りの節まわしで)

詠む芋(俳句・短歌)#012

詠む芋(俳句・短歌)#012

踏み台にしても構わぬ わが愛を
そのかわり頼む 愛する島を

🌿芋仁

コップの水

コップの水

愛されていない と嘆くより
愛するものがいる(ある)喜びを貫く。

─ みかえりはいらない ─

私が亡きあとも続いてほしいと思える。
どうか 幸あれと願う。

そのために 私も精一杯生きる。

そのための 苦悩だと思えば

私も 生きる 意味がある。

🌿imo

孤島

孤島

「はっ と目が覚め
頭に浮かんだことを
メモしたけど呟いてもみる。。
『人は元来わかり合えないものなのだ』
…というところから
出発すべきなのではないかと。
それぞれ、
体という入れ物の中に入っている。
わからない者同志が生きてる連続、
それこそ奇跡なのではないかと。
“一瞬の重なり”以上に
期待しすぎてやしないかと。。」

(※2022年4月5日(火)早朝のツイート)

私はいつも突然で唐突であ

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何者でもない自分

何者でもない自分

ある時から
わたしは こう思っている

「私は『何者でもない』自分を愛してる」と

 *

この美しい空
画家なら描かずにおれない…

舞い落ちる紅葉
詩人なら謳いあげたくなる…

寄せては返す波の音
音楽家なら再現したくなる…

歓喜、情熱
踊り手なら体が突き動かされる…

─ 全てに魂が宿っている ─

その生命力に
少しでも触れた途端

私の五感は共鳴し始め
狂おしいほどの感動が生まれ出る

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ぬれぎぬ

ぬれぎぬ

わたしを
(島を)

「すぐにヘソを曲げて
 “拗ねる」存在”に
仕立て上げないでほしい。

耐えて 耐えて
許して 許して

それでも
耐えられないからこそ
異を唱えている。

…それなのに。

ほとぼり冷めるのを待つ…
そんな偽善はもうやめて。

勇気をだして 
自ら謝る道

その扉を開いてほしい。

🌿imo

わたしの涙のささやきが
時を同じくして
海の向こうでも起こった
見えない涙の共振と気づく

ちいさな蝶のはばたき

どうか気づいてほしい
あのひとにも
あなたにも
まだ見ぬひとにも

透明な蝶々の
涙の振動が

やさしく そっと
とどいてほしい

いつものこと

いつものこと

勇気をだして
いざ声をあげると

居場所がなくなる

透明になる

繋がりは引き潮になり

人は通り過ぎていく

取り残されていく

どんどん

どんどん

それでも
炭鉱のカナリアとして
死に続ける

涙を友として

🌿imo

呼び声

呼び声

Luchuの民よ
いつの日か
貧しくとも
自身の足で立とう

悠久に思えるその果てに
かならずや真の自治は来る

悲願は叶う 
問題は その時
以色列になってはいけない(2023〜)
(結局は
こんなマインドを後ろ盾にする基地に
囲まれているのだ
入植されているのだ
侵食されているのだ
わたしたちの島は…)

島が苦しく 島を後にした者よ
それでいい

ただ
島に残った者が
「流浪」を許している

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〜ひとり〜『藍色の福音』

〜ひとり〜『藍色の福音』

導かれるように若松英輔さんの本を読む。
昨年 秋から少しずつ手にとり読んでいた
『藍色の福音』。

若松さんの文章を読む時は急ぎたくない。
そうしようと心がけているのではなく、自然とそうなっている。
若松さんの綴る本は決して難解でなく、むしろ私のような者にとって、とても読みやすい文章だ。だからこそ、一行一行を、そしてその行間を、大切にしたい。

いつの間にか、読むペースは一章ずつ。
詩も一編ずつ。

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柔らかな サンクチュアリなる茶室にて 真実という お茶を差し出す

宮沢賢治が
『春と修羅』
という言葉を遺してくれたから
私は「此処にいてもいいんだ」
「生きてていいのだ」
と思える。葛藤したまま生きる。