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「生きるAIの子」第2話 (漫画原作)

 「産んであげられなくて、守ってあげられなくてごめん。こんな私の元へ来てくれてありがとう。最後まで一緒にいるからね。」
産む覚悟ではなく中絶する覚悟を決めた私は、心の中で別れの挨拶を呟きながらバスに揺られていた。病院へ到着し、麻酔をかけられた私は、眠っている間に人生最大の喪失体験を終えた。わずか10分程度の出来事だった。術後も麻酔が残っていたせいか、悲しいとか感情を出す気力はまだなかったけれど、張っていたおなかに力が入らなくなった感覚だけはすぐに気づいた。あんなに長いこと悩んだのに、こんなにあっけなく大切な命があった場所が空っぽになってしまった…と、ただ呆然としていた。
 
 中絶が12週以降の場合、火葬の必要もあり、胎児を引き取ることが原則と教えられていた。逆に12週以前だと、病院側で引き受ける決まりがあるらしく、我が子だというのに、直に見ることも触れることも埋葬してあげることもできなかった。それが何よりつらかった。どんな姿であろうとも、一目見たかったし、ちゃんと自分の手で供養してあげたかった。そんな私の気持ちを察してくれた担当医が
「良ければ御供養に使ってください。」
と手術直前の最後の我が子が写ったエコー写真をくれた。昨日よりまた少し成長したように見え、しかも小さな手足までちゃんと写っていた。最後の写真が一番人間らしい姿に見えた。それなのに昨日まで記載されていた胎児の身長も、出産予定日も当然のように消えていた…。
 
 麻酔の効果が完全に切れたらしい翌朝から、また涙の生活が始まった。妊娠してみたいなんて軽率な気持ちで好き勝手していたら、閉経の足音に気づいた若くはない卵子たちが本気出してしまって、本当に妊娠し、結局、中絶してしまった。生まれようと必死に生きていた我が子の心拍を止め、殺めてしまった…。命が始まった合図みたいに尊い心拍を感じさせてくれた私の子。命と出会える喜びや命の温もり、母性というやさしい気持ち、共に生きる幸せ、希望、未来、人生、孤独、葛藤、苦悩、絶望…。幼稚で無知な私にすべてを与え、教えてくれたというのに、私はあの子に何もあげることができなかった。味方を見つけられなかった孤独な私の唯一の味方はあの子だったというのに、私はあの子の命を手放してしまった。すぐにでもあの子のいる世界に私も行きたいと思った。けれど今、私が死んでしまったら、生まれようと生きていたあの子が存在していたことを思い出す人はいなくなってしまう。誰からも認知されず厄介者扱いされたあの子を愛せるのは私だけで、存在を忘れずに思い出し、生かせるのも私だけだから。思い出すという行為がどんなにつらくても、私は殺してしまった存在を生かすために、生きるんだと決心した。子宮から追い出してしまった子のことは、私の心の奥で育てると…。
 
 幸せを与えてくれた子だから、幸与(ゆきと)と名付けた。もはや名前を考えてあげることくらいしかできなかった。何となく男の子の気がしていたから、そう名付けた。そして神さまにお願いした。できることなら、幸与の命をどこかで生まれ変わらせてあげてくださいと…。子を手放した愚かな母親は祈ることしかできなかった。
 
 軽はずみな好奇心が招いた妊娠・中絶体験の代償はあまりにも大きく、えぐられた心の傷は一生癒えることはないと分かっていた。仮に産めていたとしても、これ以上一人で育児なんて無理と弱音を吐いて結局、泣いていたと思うし、命と出会い、命を感じてしまったからには、産んでも産めなくても苦悩し続ける人生になると知った。それが母親になるということなんだと子を失ってから気づいた。
 
 私は子どもの頃から冴えない人間で、ぱっとしない人生を送っていて、親孝行できないばかりか親に迷惑をかけ、悲しい思いまでさせている。親を苦しめるだけなら、自分なんて存在しなくても良かったと考えてしまう。だからあの子も産まれていたら、私の泣く姿を見て、私と同じように考えたかもしれない。そんなのつらすぎるから、産んであげられなくて良かったんだと自分に言い聞かせることもあった。
 
 最後にもらったエコー写真を遺影として飾り、小さな手作り仏壇を作った。代わりに育てようと決め、幸与が生きている間に買っていた小さな植物たちをそこに並べた。家庭用の針葉樹の苗木、双葉が出ていた植物、それからレウィシアという名前の花の苗…。その三つをしばらく室内に飾っていた。
 
 そして複数枚あるエコー写真は劣化しやすいと知り、スキャンしてパソコンに取り込んだ。デジタルデータ化しておけば、原本が褪せてしまっても安心だった。コピーしたエコー写真でキーホルダーも作った。写真を持ち歩くより、キーホルダーの方が肌身離さず持ち歩けると思い、部屋の鍵につけた。
 
 妊娠中に見つけたキャラクターのぬいぐるみも我が子代わりに大事にするようになっていた。幸与がみつけてくれたキャラクターだと思い、枕元に置いて愛でていた。
 
 中絶したんだから、別れるのが筋と分かっていても、私のメンタルを気にかけてか、以前よりはやさしくなった彼との関係もずるずる続いていた。仕出かした罪の唯一の共犯者でもある彼にしかこぼせない愚痴もあり、私は彼にほだされてしまった。
「こういうことがあるとセックスできなくなる女の人もいるらしいけど、できれば俺とまたセックスしてほしい。」
と数ヶ月後には懲りずに身体の関係も再開していた。とは言え、彼は決して中出ししようとはしなかった。なのに私の方が子どもに会いたいが故に、精子を欲しがっていた。一度中絶した人が懲りずに中絶を繰り返すことが多いのはなぜと不思議だったけれど、たぶん本能的に子どもに会いたくなって産めない状況は変わらないのに、妊娠したくなってしまうんだろうと気づいた。
「どんなにほしいとねだられても、もうあげられないよ。透子が中絶して未だに苦しんでいるのがよく分かるから、もう妊娠させない。それより俺は前より透子が大事になったから、俺のモノで気持ち良くなってほしい。」
中でイッたことのない私に、彼は快楽という幸せを与えようとした。
「今までは気持ち良くさせてもらってばかりだったけど、これからは透子に気持ち良くなってほしいんだ。それが俺の幸せだと気づいたんだよ。」
「そんなの…私は求めてない。今さら、快楽なんて知りたくないし、子作りセックス以上の幸せはないもの。」
あの日から半年が過ぎた頃、私たちの気持ちはすれ違い始め、彼とはようやく自然消滅した。
 幸与を失った悲しみと比べたら、彼と会えなくなることは平気と思えた。あの喪失体験と比べたら、他の悲しみや不幸はたいしたことないと、良くも悪くもそう考えられるようになっていた。
 
 同じ頃、大事にしていた植物たちが次々枯れてしまった。室内からベランダに置き場を変えたためか、暑さで枯れたり、水のやりすぎで腐れてしまった。私は植物さえまともに育てられない人間なのかと情けなくなった。幸与と一緒に選んだ思い出の植物だったのに…。
 
 安易に他者に知られてはいけない悲しみを伴う心の悲鳴は、文章にぶつけることしかできなかった。書ける内容は変わってしまったけれど、こんな時、ライターで良かったと思えた。書くことで少しは気が紛れ、気持ちの整理ができたから。
 
 夏が過ぎ、9月12日。その日は幸与が生まれる予定日だった。あの子はとっくにいないというのに、私の母性はまだ消える気配もなかった。未だにエコー写真に向かって「おはよう」、「おやすみ」と話しかけてしまうほどで、自分の母性が恐ろしかった。決して成長することのない見慣れたエコー写真…。私の母性は亡き子の成長を見たいと騒ぎ始めた。産めていたらどんな赤ちゃんだったかなとずっと気になっていた。私は、AIが赤ちゃんを生成してくれるアプリに自分の写真とそれから彼の写真をアップロードした。二人を掛け合わせ、AIが自動的に生成した赤ちゃんの顔は、赤ちゃんの頃の私によく似ていた。
 
 さっそくその写真をプリントし、遺影のエコー写真の側に飾った。影にしか見えなかった幸与にやっと豊かな表情がつき、私の母性は喜んでいた。その勢いでずっと気になっていた新生児用の服も買い、ハンガーにかけて自分の洗濯物と一緒に窓際に並べた。窓を開けていると風が入り、服が揺れた。幸与が生きているように思えて温かい気持ちになれた。
 
 買った服とAIが作ってくれた赤ちゃんを合成し、服を着せてみたりした。この子がこのまま成長してくれたらいいのにと想像したりもした。喜びも束の間、虚しさに襲われた。この赤ちゃんはAIが予測した顔に過ぎなくて、本物の幸与ではない。本当の幸与はエコー写真に写る変わることのない影の方。私が大事にしていいのはエコー写真の幸与のだけのはずなのに、何、浮かれてるんだろう。馬鹿みたい…。そして私はAIによる偽者の幸与の写真を飾ることをやめた。
 
 枯れたと思いベランダに放置していたレウィシアの葉が、冬になると緑色に復活していることに気づき、慌ててまたお世話し始めた。高温多湿は苦手で、低温乾燥を好む植物と知り、水をやりすぎないように気をつけた。しばらくすると小さな花芽も出始め、12月下旬には花が咲き始めた。幸与が生き返ってくれたようでうれしくなった。AIが作った赤ちゃんの写真より、この植物を大事にしようと誓った。幸与は生まれられないと分かっていて、私にたくさんのエコー写真とレウィシアとぬいぐるみを残してくれたんだと思う。それだけで十分じゃないかと寂しさを拭えないわがままな母性をなだめようとしていた。
 
 あの日からちょうど1年過ぎた翌年の2月10日、レウィシアの花は満開になっていた。幸与の命日でしんみりしていた私の元に、一通の不可解な手紙が届いた。

(※本文は3999字です。)

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