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制作日記ーパリは燃えているかー

1月11日

高校一年の時、NHKスペシャルで初めて「映像の世紀」をみた時、

この映像の中にあるような、切れ切れの過去に消えていった声を描きたいと胸が熱くなった。

その時から、マンガを描く時に最もよく聞いていた曲はテーマ曲の「パリは燃えているか」である。

投稿作の時も、同人誌の時も、商業の時も、フリーの時も、原稿を描いているイヤホンの奥から、いつもこの曲が流れていた。

惰性で怠け心が発生した時は「映像の世紀」をみて、初めてみた時の衝撃を思い出して、心を奮い立たせた。

小学生の時に「火垂るの墓」を観たショックも強烈に覚えている。

主人公がオープニングから駅で孤児となって糞便垂れ流しの死の直前にある。

目を疑った。

子供にこんな映像をみせていいのか、
アニメ映画というものは子供に夢や希望を与えるものではないのか、
こんな恐ろしい映像を作った人は鬼のような人ではないか、と幼な心に思った。

当時劇場ではトトロと同時上映だったらしいが、あんな地獄のような映像を見た後で、森の妖精となんて戯れない。。。と思った。

けれど、ジブリ作品で最も自分の心が抉られるほどの影響を与えられた作品といえば、「火垂るの墓」なのである。


高校生のとき、お正月の金曜ロードショーで「シンドラーのリスト」をみた時、1週間ほどご飯がうまく食べれなかった。
スピルバーグはパニックを描くのが天才的と思っていたけれど、襲撃のシーンや看守の気まぐれでいつ殺されるのかわからぬ恐怖は、テレビからも伝わった。


大学生の時に映画を漁っている時、「さよなら、子供たち」(ルイ・マル監督)を観た。

思春期の少年二人がギムナジウムで、静かに友情を結ぶストーリーだが、戦争末期の当時の冷え冷えとした空気を凍えるようなブルーの画面で表現し、当時の少年たちからみた「日常」「普通の出来事」を、何かを訴えるわけでもなく、過度な脚色もせずに淡々と描いていることに一番感動した。

そして、厳しいながらも、カトリック信者であっても生徒を守る校長の選択と、最後の印象的な言葉が忘れられない。

「さよなら、子供たち」は、これまで観てきた映画の中で、最も好きな作品になった。


二十代の頃、大磯の図書館での映画会で、「わが闘争」(1960)を観た時、ワルシャワゲットーでの悲惨な惨状に釘付けになった。

記録フィルムにうつされたゲットーは、貧困と飢餓、腐敗、死体、ノミやシラミ、伝染病、心が壊れた人たち。。。。それらがありのままに映し出されていた。

彼らは人ではなくて、もう虫けらのようであった。。。。


小さい頃から「戦争」にまつわるテーマを求めていた。

けれど、こんな陰鬱な世界を描いても、マンガでは読まれないだろう。。。とずっと心に鍵をかけていた。

時々作ることはあっても、未熟すぎた。


しかし、それは、時間が無限に広がる「若さ」あってゆえの怠惰や甘えであったと今なら思う。
今は、あと20歳若かったら。。。。という後悔ばかりだ。

今は本当に自分がやりたいこと、作りたい作品に、半生を捧げたいと思っている。

その当時のことを思っているだけで、胸が熱くなり、力が沸いてくるからだ。
あの時代を描くことが、子供の頃から誰にもいえなかった、表に出す勇気が出なかった、それでもずっと心の奥底で願い続けてきた、本心に叶えたい夢である。

この一年半、制作日記を綴る中でたくさんの紆余曲折があったけれど、最後の着地点はその想いである。

今発表されている表現物より、当時の取りこぼされた声の方がはるかに多い。

泡藻となった何千万もの経験や声の、ほんのいくつかを、自分の手で創作という形で作り出したい。


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ほぼ毎日更新。 マンガとともに歩む制作日記です。 イラスト、マンガのほかに、マンガメイキングや、日々思っていることを赤裸々に、悩んでい…

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