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鈴木秀之のノート。

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(令和3年3月14日〜)
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#村上春樹

「壁」をくぐり抜けられるの?!(Do me_mix)

「壁」をくぐり抜けられるの?!(Do me_mix)

昨日のブログでは、このごろ
B'zの過去作のオリジナルアルバムを
あらためて聴き返しながら、そのなかでもとくに
1994年リリースの7thアルバム『The 7th Blues』での
「DISC1」の三曲目『未成年』及び
「DISC2」の三曲目『THE BORDER』、さらに、
1990年リリースの3rdアルバム『BREAK THROUGH』の
三曲目『BREAK THROUGH』を聴き、
「壁」に

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読書とハグと許容感と見世物の世界。

読書とハグと許容感と見世物の世界。

さくじつのブログでは、本を読むことについて、
読書によってぼくは心が救われた、
って感じられる場面もあって、
とのように記していたですが。
とは言ってみても、この
心が救われた、つまり、じぶん自身が
精神的に救われた、ということだと思うけれども、
それが、具体的にはどういうことなのか?
ってえのはうまく説明できないな。

心が救われる、とは、
どのような状態なんだろう。
なおかつ、たとえば、読書で

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物語と進みつ戻りつ。

物語と進みつ戻りつ。

おとといのブログの中で申しました
村上春樹さんの仰った「地下二階」のことをね、
このことばを読んだのは、もう
かれこれ何年も前のことなんだけれども、
今、また、あらためて考えているの。

たとえば、人間を「家」と見立てて、
一階が生活のフロア、
二階は寝室やプライベートのフロア、
地下階はものをストックしたりするような
すこし奥まった空間、そして、この
地下階には隠れた別の空間が存在している。

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深さと浅さ。(秘密の扉より地下二階へと。)

深さと浅さ。(秘密の扉より地下二階へと。)

ぼくは、以前のころには、なにか
深いことを考えたい、とか、
深いことをじぶんのブログでも記したい!
みたいなことを考えてもいたですが、
今はもう、あんまり、そういう
深いことを書きたい的なことは考えてないかな。

考えの深さ、または、表現の深さ、って
一種の価値になるとも思うのですが、
同時にむつかしさも増えてゆくだろうし、
さらにぼくの場合はさ、そのむつかしさに
ぼく自身が着いてゆけない場合もあ

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ことばと物語を読む姿勢。

ことばと物語を読む姿勢。

昨日のブログでは、ぼくはこどものころ
漫画をあんまり読んでいなかった、そして
おとなの年齢と成った今のほうがより、
漫画を読んでいると思う、
というようなことを申したのですが。
そのブログのなかでは、ぼくが
こどものころあんまり漫画を読まなかったのは、
両親がほとんど本を読んでいなかったこと、
というのを一つの理由として挙げまして、
なので、つまり、ぼくも本を読まなかった。

いつぞやのブログでも

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美術館がやって来る ヤァ!ヤァ!ヤァ!

美術館がやって来る ヤァ!ヤァ!ヤァ!

美術館を訪れたときの楽しみのひとつが、
ミュージアムショップでのお買いものだ。
今しがた鑑賞した展覧会にまつわるグッズが
たくさん置かれているならばなおのこと、
それらのグッズを眺めるだけでも楽しいし、
どれを購入しようか? を考えることは、
楽しい、且つ、美術館の一番の悩みどころでもある。

昨日のブログでは、先週末、
愛知県刈谷市の刈谷市美術館にて
和田誠さんの展覧会「和田誠展」を訪れたことを

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「じゅしんでんわ」にまつわるストーリー。

「じゅしんでんわ」にまつわるストーリー。

ロールプレイングゲーム『MOTHER2 ギーグの逆襲』では、
ネス(主人公)は、とある場面で
「じゅしんでんわ」というアイテムを手にいれる。
「じゅしんでんわ」とは、
「じゅしんでんわ」と呼ばれるぐらいだから
携帯電話ではあるけど、発信はできず、
受信しかできない。

受信しかできない「じゅしんでんわ」は、
ときに、ストーリー的に重要な電話が
かかってくることもあるし、また、公衆電話から
デリバリ

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何かのメタファーが宿ってしまうこと。

何かのメタファーが宿ってしまうこと。

前回noteでは、メタファー(隠喩・暗喩)について
もういっそのこと、あらゆる
「〜のような」のような語句が使われてない文章はすべて、
メタファーの文章なのだ、って思うことしか
ぼくにはできない、というようなことを記しました。

つまりはさ、たとえば、
「〜のような」的なことばが使われない
比喩の文章がメタファーで、そしてまた、
「〜のような」的なことばが使われない
直接的な言い方の文章もあって、

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目に映る全てのことは、メタファー。

目に映る全てのことは、メタファー。

Mr.Childrenのとある曲を聴いたことで
「メタファー」ということばを知り、また、
村上春樹さんの小説作品を読んだり、かつ
吉本隆明さんの講演を聴いたり、によって、この
「メタファー」について考えるようになった。
とは言ってみても、いまだ
「メタファー」というものとは、
どういうことなのか? ってえのはね、
じぶんとしてはよくわかっていなかったりするけど。

「メタファー」とは、
比喩の一種

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ある登場人物の長い話と青サギ。

ある登場人物の長い話と青サギ。

昨日はお休みの日で出かける予定も無かったので、
家でゆったり、ゆっくり、のんびり
録画で撮り溜められたビデオ等を観たりしていた。
そして、このごろのブログでもしるしております
ドラマ『ブラッシュアップライフ』もね、
夕方ごろには第7話、さらに夜には第8話、と、
二話分を観ました〜。

『ブラッシュアップライフ』のストーリーの中でも、
物語の真相へと迫ってゆくこの第7話及び第8話が、
ぼくはとくに大

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その【街】に【行】かなくてはならない。

その【街】に【行】かなくてはならない。

前回noteでは、村上春樹さんの新作長編
『街とその不確かな壁』について、
その題名の英訳が
“The City and Its Uncertain Walls”
とされていて、ならば、どうして
「壁」は「Walls」という複数形になっていて、また、
「街」は「The Town」ではなくって
「The City」になっているんだろう?
というようなことをしるしたのですが。

そうして考えてみるとね

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「The City」とその「Uncertain」な「Walls」。

「The City」とその「Uncertain」な「Walls」。

昨日のブログでもすこし記したけれども、
先日読み終えました村上春樹さんの新作長編
『街とその不確かな壁』及び、1985年刊行の
『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』で登場する
「夢読み」とは、何なのか? とは、
ぼくはぜんぜんわかってない。もしくは、
「夢読み」の読む「古い夢」というのも
よくわからないし、そして、
「夢読み」が「古い夢」を読む「図書館」も、
ふつうの図書館の佇まいではな

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しがない読者なりに。

しがない読者なりに。

昨日のブログでは、先週木曜日に発売なされました
村上春樹さんの長編小説『街とその不確かな壁』を、
読み終えたことを申しまして。そして、
先日のブログでも書いたですが、ぼくは
読書感想文を記すのが苦手ではあるんですが、
今回もまた、この読書の感想をね、
記す、というのはできがたいんだな。

そもそも、ぼくは
文芸批評家でも評論家でも無いので、
そんな、批評や評論もできないし、
こういう個人的なブログ

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なかなか得がたい読書体験。

なかなか得がたい読書体験。

先週の木曜日に発売なされました、
村上春樹さんの長編小説
『街とその不確かな壁』を読み終えました。

この読書体験はね、なんと申しますか、
これまでのじぶんの読書の中でも、
至極、特別のようなものだった気がしている。
でも、だからと言って、この小説は、
素晴らしいから、読んで〜! って、誰しもに
おすすめしたいわけでもない、とも思っている。

読書中、ぼくが感じていたこの
「特別さ」のことを説明す

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