マガジンのカバー画像

鈴木秀之のノート。

1,144
(令和3年3月14日〜)
運営しているクリエイター

記事一覧

それぞれどのようなちがいが生じるのか。

それぞれどのようなちがいが生じるのか。

前回noteでは、あることばを
漢字で書くか平仮名で書くか?
ということについて、たとえば
「隠ぺい」「ほう助」「破たん」などを
例に挙げて申しあげました。
このつづきとして考えるとすれば、熟語の
いっぽうの字を平仮名で表記されることばとして、
「障がい」という語句をよく目にするのですが、
このことばをどうしてそのように表記されるのか、
というのはぼくは詳しいことは存じない。

滝川一廣さんの著書

もっとみる
あることばを漢字で書くか平仮名で書くか。

あることばを漢字で書くか平仮名で書くか。

おとといのブログでは、お願いをする場面で記される
「お願い致します」ということばは、じつは
この表記はまちがいで、ただしくは
「お願いいたします」と、「致す」を
平仮名で書く、というのをネットで見ながら
ぼくなりに思ったことを申しました。

そこからさらに調べてみるとね、この
「致す」を平仮名で記すのは、文法上
「補助動詞」は漢字で書かない、
とのことなのだけれど、それは、文化審議会国語分科会より

もっとみる
ことばとはなにかよりわからなくなってくる。

ことばとはなにかよりわからなくなってくる。

「慇懃無礼」という語句を初めて知ったとき、
その概念にことばを付けた人、
すごい! と思ったんだった。

「慇懃無礼」とは、『広辞苑(第七版)』によれば
【うわべはていねいなようで、実は尊大であること。】
とされていて、また、そのうちの「尊大」とは
【たかぶって偉そうにすること。横柄。傲慢。】
とのことでして、つまり、ていねいなことば及び
敬語で話していたとしても、その裏では
相手をばかにしている

もっとみる
なにかをお願いするときには。

なにかをお願いするときには。

以前、SNSやネットニュースで読んだのは
「お願い致します」と文書で記すときには、
その「致します」を、平仮名で
「お願いいたします」とするのが正しい、つまり
「お願い致します」という表記はまちがい、
というものでして。その理由とは、
「お願いいたします」と記すときの「いたす」は
文法的には「補助動詞」であり、
動詞とする「致す」とは用法がちがう、
という説明がネット検索するとたくさん書かれている

もっとみる
「敬語」について考えること。

「敬語」について考えること。

大人の年齢だと言えるぼくは、でも、
敬語って、恥ずかしながら
いまだむつかしいと思える。
そしてまた、学習塾講師として勤めるぼくは
小学生や中学生の生徒さんに、国語の単元で
敬語の考え方を教えるのもむつかしいと感じる。

敬語には、大きくわけて
尊敬語、謙譲語、丁寧語があるとされるけれども。
このなかでは、みっつめの
「です」「ます」等をつける言い方の丁寧語は
わかりやすいとしても、でも、
尊敬語

もっとみる
使うことができることばを駆使しながら。

使うことができることばを駆使しながら。

ある組織では「上意下達制度」及び
「上申制度」というものがあると言われている。

前者の「上意下達制度」とは、
上位者の意志を下位者へと通じさせることであり、いわゆる
「トップダウン」とも言い替えられる。
後者の「上申制度」とは、ぼくは、一昨年公開の映画
『MONDAYS/このタイムループ、上司に気づかせないと終わらない』
よりこの語句を知ったのですが、ある組織において
下位者より上位者へと意志を

もっとみる
権力性と妥当性とクーデター的なこと。

権力性と妥当性とクーデター的なこと。

前々回及び前回noteよりひきつづきまして今回も
「人間関係」について考えていることをね、
もうすこしだけ申したいのですが。
「人間関係」と密接に結びついているものと言えば、
ぼくとしては、それはつまり
「権力」だと思うのよね。

上司と部下、社長と社員、先生と生徒、
国家と市民、先輩と後輩、親と子、
などなどの関係性だけでなくって、
ふたり以上集まれば、そこには多かれ少なかれ
「権力」が介在する

もっとみる
「人間関係」とはどういうことなんだろう。

「人間関係」とはどういうことなんだろう。

昨日のブログでは、人間の悩みとは
人間関係に関することである、
というのはよく言われることだけれども、
そのことから、たとえば
人間関係に関する問題をどのように対処できるか?
ってゆうのを、今のじぶんなりに
考えていることを申しあげました。
とは言いながらも、ならば、そもそも
「人間関係」とはどういうことなんだろう?!
というのもよくわからないと言えばよくわからない。
なので、このことをもうちょっ

もっとみる
人間関係と窓と日和と。

人間関係と窓と日和と。

人間の悩みとは、そのほとんどが
人間関係に関することである、
というのはよく言われるけれども。
人間関係に関する問題とは、たいていの場合
完全に解決するのはとてもとてもむつかしい、
とも思える。

人間関係に関する問題について、
その対処の方法には、ぼくとしては
三つあると考えていて。
その三つというのは、
・耐える
・変える
・離れる
なのだと思うのよね。

ひとつめの「耐える」というのは、つま

もっとみる
ほんとうのほんとうに何を考えているか?

ほんとうのほんとうに何を考えているか?

ハルノ宵子さんの著書『隆明だもの』を、
先日、読み終えました。
この書籍は、戦後思想界の巨人と呼ばれる
吉本隆明さんの長女・ハルノ宵子さんが、
平成24年に亡くなられた隆明さんのことを綴っておられて。
その書籍の帯には、
【故人を讃えない、型破りな追悼録。】
と記されているのですが、まさにそのような
故人を讃えない、と申しあげますか、つまり、
ほんとうの意味としてうそがないような、
というふうにも

もっとみる
ワンクッションと観察と。

ワンクッションと観察と。

前回noteでは、ある物事を
「好き」か「嫌い」かで分けるのではなくって、
興味が「ある」か「ない」かで分けたい、そして、
興味がないことについては、
興味を持てたい! と、思おうとしたい、
とのように申しました。
このことはね、でも、たとえば、
あらゆることに対して興味を持ち、なおかつ
じぶん自身の「嫌い」という感情を排除できたい、
的なことではなくって。
説明するとすれば、なんて言うんだろう?

もっとみる
何かを鑑賞したときに。

何かを鑑賞したときに。

ある作品を鑑賞することにおいて、
その作品のことを、ぼくは大好きだけれど、
他の人にとっては嫌い、もしくは
ある人にとっては好きだとしても、
ぼくはそんなには好きじゃあない、
という状況がある、とは、もはや
当たり前なのだとしても、考えてみれば
どうしてそんなことが起こりうるのか? って、
不思議と言えば不思議のような気もする。

つまり、同じものを鑑賞したとしても
人によって見え方や感じ方が変わ

もっとみる
鑑賞における情熱の灯。

鑑賞における情熱の灯。

ぼくは音楽を聴くのが好きで、そして、
今では売れなくなったとされるCDを
今もなお購入するし、はたまた、
ライブ映像作品のブルーレイやDVDもね、
購入して、日々、鑑賞をいたしております。
とは言えども、なかなか、たとえば
ぼくが10代だったころと比べると、
「ある作品を聴く」ということについては
その鑑賞の分量が減っていると思うのよね。

10代のころはさ、もう、無我夢中のごとく
大好きな作品を

もっとみる
懐かしさの気持ちと地続きの日々。

懐かしさの気持ちと地続きの日々。

前々回及び前回noteでは、このごろの
ドライブ中の音楽鑑賞として、
B'zの過去作のオリジナルアルバムを
いろいろ聴いている、ってゆうのを申しました。

現在42歳のぼくは、中学生のころ
B'zの音楽を知り、そして、大学生のころには
ファンクラブ(B'z PARTY)へと入会しまして、
CDや映像作品を日々鑑賞したり、また、
ライブも毎年参加したり、という大学生だった当時、
友人からは、B'zば

もっとみる