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ある音のその先の時間に鳴らされる音。

ぼくは、ダンスはうまく踊れないけれど、
音楽を聴きながら、その音楽のリズムから
じぶんの身体が揺られるのが好きなんだなあ〜。
とは言えども、音楽によって
身体が揺られることも、
むつかしいと言えばむつかしいと言える。
つまり、音楽を聴きながら
身体を動かすのもむつかしいものだ。

たとえば、ライブの演奏で
音楽を聴いているようなとき、
その音楽によって身体を動かそうとするには、
その音楽の曲を、よく知っていれば
その曲の構成も知っているんだから、
ある音の後には、次の音が
どうなってゆくかも知っているので、
この身体も動かせやすいだろう。
でも、あんまり知らない曲の場合では
その構成もよくわかっていないからこそ、
うまいこと身体が動かせにくいこともあるだろう。
しかし、ライブ演奏においては
CDや配信でリリースされている音源とは打って変わって、
特別なアレンジになるときもあるからこそ、なおのこと
身体を動かすのがむつかしいとも言える。

そんなときにね、
ぼくとしては、その音楽を聴きながら
次の音を予測して、もしくは
次の音を予感しつつ、この身体が
揺られているようにも思うのよね。

つまり、「四拍子」の音楽ならば、
ドン、ドン、ドン、ドン! というような
四拍の音がひとまとまりになっていて、
そのひとまとまりが、たとえば
四回繰り返されたり、もしくは
そうでもなかったりもしながら、
音楽が形成されてゆくとは存じますが。
その音楽の中で、曲の展開が
転換するようなときとは、たいてい
そのひとまとまりの最後の音の直後であり、
それもね、いきなり場面が
転換するのではなくって、なんだか
転換しそうな気配が音楽の中で予感されていて、
その気配を感じながら、この身体を
動かしているんじゃあなかろうか?!
って感じたんだった。

そしてまた、たとえば、
ドン、ドン、ドン、ドン! というその
ある「ドン!」のときに、
足を踏み鳴らそうと思ったら、
その「ドン!」の音を聴いてから
足を踏み鳴らしていては遅いんだから。
いわば、次の「ドン!」が
鳴らされることを予測しながら、
つまり、予感しながら、そして、その音が
鳴らされることを信じながら、
身体を動かしているんだとも思えるのよね。

ちょっとうまく言えてない気もするけど、
この感じ、わかる???

さらに、その音はつづかないで
曲が終わることもあって、その
曲が終わることだってもね、
音楽を聴きながら、この次の場面で
この音楽が終わってゆくことも、
予感しながら演奏を聴いているのでしょう。

つまりはさ、音楽とは
「時間の芸術」である、
というふうにもよく言われるですが。
ある音のその先の時間に鳴らされる音を
予見するようにしながら、その場に流れている
「時間」を感じることが、
「音楽を聴く」という意味なのやもしらない。

ぼくは、ダンスはうまく踊れないけれど、
ぼく自身の身体の感じるままに、
音楽のリズムに揺られてゆけたら。。。。

令和6年7月20日


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