「福島を忘れない」と日頃から簡単に口にする人が苦手。終わってもいないのに忘れるもクソもない。自分が忘れているからそんな言葉が出る。そういう人の多くにとって、原発事故は政治的イシューの1つに過ぎない。何か起きれば「忘れない」というが、次の瞬間には別の社会問題へ関心が飛ぶ。
「被曝」という観点を無視して何が「福島の復興」だろう? 希望に溢れている? 「こんなに線量が高いと聞いてなかった」 移住者の率直な声にちゃんと向き合った上で書いてる? 未除染の場所で家庭菜園を始めた移住者に何かあったら? 自己責任? 無責任が集まって、果たしてその先は?
福島県浜通りの福島第一原発周辺、双葉や大熊の帰還困難区域やその周辺の記録はnote内に多数あれど、放射線量について何かを書いてる人を見ることは殆どない。烏賀陽氏やまさのさん、僕など、極めて少数だ。まるでわずか13年で放射能が消えてなくなったかのようだ。避難指示解除=安全だとでも?
明日からまた、一泊二日で福島に行きます。32回目の取材。明日は双葉の漬物工場を見てから六国を抜け大野駅まで、明後日は富岡の小良ヶ浜をじっくり歩いて来ようと思います。地に足のついた徒歩取材、これで延べ500kmを超えます。暑くなりそうですが、しっかり水分補給して頑張ります。