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5月11、12日の双葉、大熊、富岡取材を終えて-5 『盆流し』


赤坂神社跡地。再建は決まっているが、いつ工事が始まるかは不明とのことだった。

 富岡町小良ヶ浜赤坂。赤坂神社の手前で、自宅の片付けに来ているお爺さんに出会った。

「おう、写真撮りに来てんか」

「はい、原発事故後の双葉郡の絵本を描いていて…そのために通ってます」 

「おう、絵本描いてんのか、そらええことだ。そこ(道)はいいけっど、こっち(家)はまだ帰還困難区域だな(笑)」

「やっぱり自由に通れるようになってよかったですか」

「ふふ、まあそらそうだけど…まだ(自宅の避難指示解除まで)3年くらいはかかんじゃねえかなあ。それに、誰も戻って来ねえよ」

観光案内板に書かれた小良ヶ浜灯台、漁港、海岸、
全てがまだ帰還困難区域で行くことが出来ない。

「六国の方に商業施設を作ると聞いてますけど…」

「どうだろうなあ 何しろ、人がいねえんだから。人がいなきゃ商売も出来ねえよ。この先行くの? 大熊との境で行き止まりだよ」

あのバリケードの向こうは大熊町の帰還困難区域。3号機の爆発で汚染された。

「はい、去年12月にも来ていて…海に行きたかったんですけど、薮が酷くて行けませんでした」

「海もなあ、昔は砂浜まで行って盆流しとかしてたんだけど、震災のあとがばあっと道掘っちまって。行けなくなっちまった」

「盆流し?」

「お盆に仏様にお供え物すっぺよ。それを線香たいて海に流すんだよ」

「ああ、そういう風習とかも、出来なくなってしまったんですか」

「何であんな掘っちまったんだかなあ。もう誰も出来ねえよ」

 笑顔が素敵なお爺さんだった。定期的に家の片付けには来ているが、本人も戻るかどうかは決めかねているようだった。

 一期一会。

 追記:海にほど近い旧墓地の手前で、原子力災害防災対策本部の人に声をかけられた。砂浜まで至る道のことについて聞いてみたところ、その道は津波で流されたとのこと。

昔はこの先に砂浜への道があった。
川の手前で道が消えている。
この草の向こうの砂浜へ行ける日はまだ先のようだ。

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