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風評加害って何?

 大熊町などでは、原発事故当時小学生だった若者が次々と町に帰還してきている。その親御さんたちは、その決断を一体どのように受け止めているのだろう。

 線量計を持って日々現場を歩いてきた自分の感覚では、地表から1mの空間線量が震災前の25倍も50倍も、果ては100倍以上もあり、土壌の汚染が放射線管理区域はおろか100万Bq/kgさえ超えるような場所へ、20代の自分の子どもを住ませようとは思わない。40代以上で、そこで子(自分にとっての孫)育てをする気がないのなら構わないが。しかしそれとて、何を好き好んでそんなリスクを背負うのかと思うだろう。

大熊町の避難指示解除された場所にて。

 僕が双葉郡へ取材に行った帰りには、玄関先で除染の儀式がある。靴は捨てて着ていた洋服やリュックなどは全て洗濯、そして自分自身もすぐにシャワーを浴びる。カメラなどは濡れた布で表面をきれいに拭く。これは、自分の家の中に放射性物質を持ち込まないためだ。僕ら夫婦は子どももおらずともにアラフィフなので構わないが、うちにはこまちがいる。犬の場合、被曝の影響が出る前に寿命を迎えると言われているが、それでもやはり自分の飼い犬に健康リスクは出来る限り与えたくないという夫婦の決まり事だ。

 こういうことを家の中で話すならともかく、それをどこか公の場所で口にした時点で、人によっては「風評被害」「風評加害」「福島差別」というだろう。

 しかし、そう考えることの何が悪いのか。例えば大熊町に帰還した若者に向かって「そんなところに住むな」「病気になる」などと自分の考えを押し付ければそれは問題だろう。しかし、「自分の子どもが若かったら住ませない」そう思ったり言ったりすることの何が風評で何が差別なのか。現実を見据えた上で自分なら住ませない、そう判断しているだけの話だ。こちらが自分の考えを押し付けないのと同じように、あなたたちも自分の考えを押し付けないでくれよと思う。

 「子を守りたい」という極めてシンプルな感情を、相場感がどうだとか量の概念がどうだとか正しい知識がどうの科学がどうの知ろうとすることだの、他人の物差しで測られたくないしガタガタ言われたかない。

 「風評加害」? くだらねえ、コタツの上でPCのモニター見ながら屁こいてクソでも食ってろ

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